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ヘンナヤツ(1)
「ハイボール、こいめ」
これで何杯目のハイボールだろうか。2.3杯目くらいまでは覚えている。だがそれからの記憶は、曖昧だった。自分が一体何杯飲んだのかすら覚えていられないくらい、俺は結構酔っている。こんな自棄酒して、正直美味いなんて思えない。どうせ飲むなら美味い酒が飲みたいのに。
女に振られた。それだけでこんなにも俺の心の中は荒廃して、美味いとも思えない酒を浴びるように飲んでいる。弱くて、惨めで、可哀想な俺。店員に差し出されたハイボールを受けとる。今の俺を慰めてくれるのは、きっとこのハイボールくらいだろう。冷えたジョッキに唇をあてがって、ごく、ごく、喉に流し込む。弱いのも、寂しいのも、全部全部、この炭酸で割られたウイスキーのように薄まってしまえばいいのに。
「...だせぇ」
思わず声に出して自嘲してしまう。
酒で紛らわそうとする自分に。
泣きそうになっている自分に。
人に頼れない自分に。
子どもみたいに、自分の感情に素直になってわんわん泣き叫べたら、どれだけ楽だろうか。
生まれて27年。俺には変なプライドばかりが付きまとってしまった。きっとこれがオトナという生き物なのだ。
「何がダサいの?」
「.....あ?」
数秒間を置いて、それが俺に向けられた声だと認識した。声の主は、1つ席を空けて隣に座っている客だ。声色は男のものだ。彼がいつからこの席にいるのかは、当然俺は把握出来ていない。
あ?なんて、随分喧嘩腰な口調になってしまったが、それだけ俺は、イライラしているらしい。面でも拝んでやろうと、重たい上体を起こして男を視界に入れた。
20代中頃、スーツ姿の会社員らしい装い、短髪に眼鏡、ちょっとムカつくくらいに程よくイケメン。俺のイライラゲージがまた少し上昇した。
「人のはなし、かってに盗み聞きしないでくんない?」
「あ、気に障った?」
わかってんなら声掛けんな。綺麗な顔なのは認めてやるが、俺が求めてるのは悪いがお前じゃない。
俺は男を無視して、ハイボールを飲み下した。男は俺の態度に気を悪くすることなく、更に続けた。
「でもさ、ハイボール濃いめを5杯も飲んで“だせぇ”なんて隣で呟かれたら、他人とはいえちょっと心配にならない?」
「よけーなおせわってコトバしらねぇの?」
「知ってるよ」
「...てかさあ、おれ5杯ものんでた?」
「飲んでたよ」
「まじかぁ」
「まじだぁ」
そんなに飲んでいたのか。どうりで頭がフワフワするわけだ。
「かぞえてたんだ?」
「俺が把握する限り5杯だな。だから正しくは少なくとも5杯、かな」
そこまで言って、男は手にしていたジョッキを口に運んだ。
「それ、なにのんでんの」
「お兄さんと一緒」
「ハイボールこいめ?」
「そう。5杯目の」
思わず男の目を見つめた。男は眼鏡の奥で目を細めて、ニコリと愛想良く笑った。
「ヘンナヤツ」
この男、どうやら暇つぶしの相手くらいにはなりそうだ。男は満足した様子で、飲みかけのジョッキを差し出してきた。俺も半分ほどになったジョッキを掲げて、男のジョッキに軽く当て、乾杯した。
ちょっとだけ、酒が美味くなった気がした。
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