1 / 4
第1話:俺のせいで俺の存在が危うい件について
「君は、不思議な子だね」
そりゃ未来から来ましたからね、とは流石に言えず「はあ、まあ」と誤魔化してさり気なく両手に包まれた手を引き抜こうとした。
やわらかく包まれているだけの筈なのにビクともしなかった。
「寧哉 くん、僕は不安でたまらない。君は自分の魅力をちゃんと分かっているのだろうか。己の魅力に気付かない花は確かに美しいが、美しい者は美しいということをしっかり自覚するべきだと僕は思うね」
「俺の顔がいいのは自覚してますんで」
まさかこんな腹立つ発言を自分がする日が来ようとは。
ぞわ、と鳥肌が皮膚の上を這いずったのは自分の口から出たとは思えないような発言のせいか。
はたまた俺の左手が骨に沿うように指の腹で丁寧に撫でまわされているせいか。後者に関しては何度も手を引き抜こうとしてるのにビクともしないからもう気にしない方がいいかもしれない。
こんな腹立つセリフを自分で言う日が来るとは思わなかった。
そして正確に言えば特別顔がいいと言うわけではない。単純にこの人のドンピシャ好みの顔だったと言うだけだ。
「いいや、君はやっぱり分かっていない」
「はい?」
あんたが初対面の時から散々美しいだの綺麗だの言って来たから言ったのに、拒絶してくるな。
そういうのは裏切りっていうんだぞ。
俺はもうあんたの中で顔が最上級に良いものだと思ってるしまってるんだから発言には責任を持ってくれ。生半可な気持ちでDTの顔面を誉めやがって……とんだ己惚れ野郎が完成したじゃないかどうしてくれるんだ。ええ。
手のひら全体で撫で込むような手つきに変わったそれから左手を引き抜……けなかったので、右手で手をひっぺ剥がしてやろうとする。
「ひぇっ、」
ちぅ、と手の甲に唇を当てられた。うっわ。セクハラだセクハラ。
「君の魅力は顔だけではないよ。顔が美しいだけなら、僕は君のことを口の中に入れて舌で転がしてやわく噛んで嘗め回して愛し尽くしたいとは思っていなかっただろうからね」
「……あの」
「どうしたのかな、生まれたての雛のような声を上げて。そんな声で囁かれてしまったら僕は何でもしてあげたくなってしまうじゃないか。そうじゃなくても他でもない君の頼みなら聞いてあげると言うのに」
「純粋に怖いので手を離して貰ってもいいですか?」
「ふふっ。つれないね、君は」
手を解放して寂しそうに微笑まれたが罪悪感は一切ない。
俺がつれたら俺が存在しなくなるんだ。
なんだか怪文書みたいになったけど、これが全てだ。
解放されて自由になった手で湯呑を持つ。茶がうまい。
はあ。俺はただ異世界転生がしたかっただけなのに。どうしてこんなことに。
異世界転生ジャンルが飽和しすぎた現代社会は大変痛い方向に向かっていた。
異世界転生できるかもしれないという方法を試す活動、略して転活という、中学二年生が黒いノートとかに書いてる『深夜二時に姿見を触れば向こうの世界に行ける』みたいなレベルの活動が流行っていた。なんて社会だ。現実と二次元の区別がついていないだなんて。
かくいう俺も異世界に行きたかった。
軽い理由を述べるならば「明日の授業で絶対当たるから」重い理由を述べるなら「俺のせいで両親が離婚しないから」だ。
はっきり言ってさっさと離婚でもなんでもさっさとすればいい。今時子供がまだ学生のうちは離婚しないとかいう考えに驚いたが。
うちの家はこれでも上流家庭なのだからそういうものなのだろう。
けれどその学生というのが高校生なのか大学生なのかで現在大変揉めているので、今すぐにでも離婚することを推奨したい。
そんな結局どっちも軽い理由で異世界転生がしてくて転活してみた。
ハワイに行きたい、みたいな気持ちに限りなく近い。どちらかと言えばモルディブの方に行きたい。
そして、失敗した。大失敗だ。
異世界転生を成功だとして、失敗は何も起きないということだろう。
大半の人は普通に失敗する。成功が知りたいことだろう。
ただ、俺の場合は大失敗だ。
昔の日本にタイムスリップして自分の先祖であろう人間から言い寄られているのだから。これを大失敗と言わずして何という。
本当にどうしてこんなことに。
剣と魔法のファンタジー的な世界で俺TUEEEしたかった。一見弱小なスキルだけど使い方を工夫して最強になるみたいな無双とかしたかった。でも俺は頭が悪い方だから攻略本をつけて欲しかった。
けど、俺が落ちた先は異世界じゃなかった。
それはタイムスリップ初日に身元引受人になってくれた目の前のお方、|住良木敦祢《すめらぎあつね》さんの存在こそがすべてを物語っている。
お茶を飲みがてら盗み見れば、簡単に目が合う。
あんまり見ないで欲しい、というのは会って2日で言った。それでも見てくるし、これでも熱視線は減った方なのだから良い方だと思わなければならない。
目線を合わせておいて、いたたまれなさにぱちぱちと数度瞬きをしてから伏せると、住良木さんが伸ばして来た手が視界に映った。
それに驚いて伏せていた目線をもう一度上げると、するりと親指の腹で頬を撫でてきた。
うわ、スキンシップおじさんだ……。
「顔色が、優れないね」
眉を下げ、可哀想でたまらないものを見るような住良木さんに『お前が俺を溺愛するせいやで』とは言えない。
「そうですか? 普通ですよ」
こんなもんです。照明の問題ですよ、なんて嘯いて一口も残っていないお茶を啜った。
住良木敦祢 さんは俺の先祖にあたる。
始祖とかじゃないだろうけど、まあなんというか『先祖代々』の代々のどっかに住良木さんがいる。
俺からどこまで遡れば住良木さんに辿り着くかは知らないけれど、祖父の家に先祖代々の家系図ではなく名前が書いてある名簿のようなものに住良木敦祢さんの名前を見かけたことがある。これであつねと読むんだな、と学習した記憶があるからそれは確かだ。
タイムスリップしたと言っておいてなんだけれど、ここが何年前なのかよく分かっていない。
これは本当に申し訳ないことに俺の日本史の勉強不足のせいだ。歴史の教科書とか資料集と一緒にタイムスリップさせて欲しかった。というかテストみたいにちゃんとタイムスリップ先の範囲を1週間前とかに提示してくれれば多少なりとも勉強したと思う。
元号とか、文化アタックで有名な飛鳥時代しか知らない。暗記科目が苦手過ぎることがまさかこんなところで困ることになるとは思わなんだ。
そんな知っているようで知らない過去の日本に落ちてしまったものだから、最初は和風ファンタジー系異世界なんだなと思ったのだがどうやら違うのではないだろうかと思い出したのは橋の上から川を覗いている時だった。
物憂げに川を見ていた俺を何がどうしてなのか、住良木さんは自殺志願者だと思ったらしい。確かにワイシャツはグシャグシャだったしソシャゲのし過ぎによる寝不足のせいで顔色もよく無かったのでそう思えても仕方なかったのだろうが。
そんな自殺志願者兼変な格好の不審者にしか見えない俺に心優しい住良木さんは声をかけ、一目惚れをし、家に寄せ、別の世界から来たのだと勘違いを続けて支離滅裂な発言をする俺の話を信じて身元引受け人になってくれた。
その際にようやくお互いに名を名乗り、同じ苗字ということを知った。
住良木さんは「……これは、運命だね……」とうっとり微笑んでいたがそれどころではなかった。
その時にパズルのピースがハマるように、知恵の輪が解けるよう唐突に全て理解したのだ。
『俺、異世界転移大失敗してる』と。
転活していた時はハワイに行きたいみたいなノリだったけれど、こうして大失敗してタイムスリップしてみると自分が相当異世界に行きたかったのだと自覚できた。
かなり、大分ショックを負った。
けれど何も無い異世界で辛い目に合うよりも、身元引受け人にまでなってくれた優しい住良木さんがいる方がマシだなと持ち直した。
住良木さんはどうか、詐欺に用心して欲しい。
しかもすいすいと呆気に取られるほど簡単にこの世界での待遇などが進むものだから、俺はこのタイムスリップを受け入れる他無いのだろうと察した。
アマプラが恋しくなる時はあれど、元の世界に戻りたいとは思ったことがないのだから、きっとなるべくしてなったのだろうと。
当時は住良木さんの熱のこもった視線に気付かなかったからそんな呑気なことを考えていた。
俺も詐欺に用心して欲しい。
さて、もう分かってしまっていると思うが、住良木さんは俺の事が好きだ。
同じ苗字なのだからと初対面の時から下の名前で呼ばれた時には既に蜂蜜のように蕩けた声だったから気付くまで暫くかかったが、間違いなく俺を愛している。
衣食住まで献身的に面倒を見てくれている住良木さんを拒絶するなんて、とは思ったけれど、俺の先祖である住良木さんが衆道に走られたら俺が存在しなくなると気付いてからはちゃんと気持ちには応えられないとハッキリ拒絶した。
追い出されるかもしれないが、今ここで俺が路頭に迷うよりも衆道に走られて存在そのものが消え失せるよりもマシだと自分に言い聞かせて決死の覚悟で拒絶したのだが。
住良木敦祢という人間は紳士的というか人間として出来ているのか。
追い出すことはせず、無理矢理関係を迫ることもせず。
このまま想っていても良いだろうかと静かに微笑んで訊ねられたものだから、それくらいならと了承したのだ。
本音としては欠片も思って欲しくはない。存在が消えるなんて普通に嫌だ。
消えて無くなってしまいたいと思ったことは今まで両手で数え切れないけれど、こうして実際に消えるかもしれないと思うと中々に嫌なものだ。
第一、俺を愛したせいで俺が消えるなんて話、住良木さんからすれば皮肉にも程がある。
だから未だに俺は本当は未来から来た貴方の遠い孫だと言い出せずにいる。
これが正解なのかは分からない。答案用紙がないから、採点のしようがないから自己採点するしかない。
自己採点としては、今日も俺はこうして存在しているし住良木さんは楽しそうなので二重丸をあげてもいい。配点するならば4点だ。
ただ、スキンシップと甘い囁きのやり過ぎは衆道の始まりなので控えて頂けるとありがたい。
ともだちにシェアしよう!