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10エピローグ

また一年の月日が忙しく過ぎていった。 アスターの工房は海と、畑が広がっている高原との間の土地に移設することになった。 店舗の建築はソフィアリの屋敷を作った職人たちがそのままこの地に残り、更に仲間を招き、現地の若者を雇い入れて仕事をしてくれている。 その名はそのままずばりの『アスター香水店』うまくハレへが観光地になった場合の目玉の一つにしたい。 海が見える場所に中央の宿にも負けない白亜の宿を建設し、そこに香水やオメガ目当てでくるアルファ、保養に来る裕福な商家や貴族など中央からの客を泊まらせる。 予約を取るため中央にも窓口を作ることにした。キドゥの街にはその連絡を取り仕切る会社も作った。 この宿以外にもそのうち宿を作る予定だが、全てを支店とし、オメガの多いこの街で保安の為、中央からの人の出入りを管理するのが目的だ。 アスターの店以外にも高原の花畑へ向かっていく坂沿いの街道に、元々の景観に似合う白を基調とした美しい商店街を建てる。 これも観光客向けで、ハレへとキドゥ両方から人気の店の出店を募っていく予定だ。ここにはそのうち中央からの出店も目指す。 逆にキドゥには銀行や職業訓練校などを設立していきたいが、まずは手始めに町内に子供や学び直したいものたちを集めた小さな学校を開く。 リリオンがソフィアリのために中央から呼んでくれた大学教授に、まずは見どころのある者たちを選んで学ばせ、後に彼らに教師になってもらうのだ。 ソフィアリは自分が怖い思いをした経験から、できればヒートの時にオメガが逃げ込める場所も作りたい。 想像で広がる街は無限大だ。 そのうち紫の小瓶に入った傑作のオメガの香水を携えて、再びアスターが中央を夢中にさせにいくだろう。 そしてその時こそこの小さな街に注目が集まるに違いないと思うのだ。 街と成長し、互いに学び合い、育ち合う。 若い領主見習いは日々希望に満ち溢れていた。 時には興奮から目が冴え、優しい番に嗜められるまで眠れないことすらあったのだった。 数日前あれから音沙汰がなかったバルクが久しぶりにこちらに来ると連絡をしてきた。 バルクが訪ねてきた時、ソフィアリは新居でいつもどおり、アスター家も交えて昼食をとっているところだった。 バルクは一緒に中年のふくよかな女性を連れてきていた。兄の恋人にしては、失礼ながら年嵩だな思っていたが、とても品の良い感じの女性だ。 それよりもみなが釘付けになったのは、 小さな愛らしい赤子がその女性に抱かれて眠っていたからだ。 布を吊るしたハンモックのような黄色の布に、お尻と背中まで入れられて、小さな可愛らしいぷくぷくした足がそこからはみ出ている。 目をつぶっているが、愛らしい顔は女の子か男の子か判じ難い。 「あ、兄さん? その子は……」 「そう。俺の子。こちらは旅の間もこの子の世話をお願いしていた、この子の母の乳母。 隣街までは警護の者も来ていたけど……  物々しいと色々と人の噂に上るから宿に置いてきた。以前アスターに相談したとおり、この子を農園に預けるために連れてきた」 「はあ???」 責めるようにアスターを見ると、彼は微笑んで妻とともに赤子を迎えに行った。 「どれ、顔を見せておくれ。本当に愛らしい子だな。ふてぶてしいお前の子とは思えんよ」 「だろうな。相手に似てる。俺にとっては絶世の美人だからな」 「相手って…… 番がいるの?」 初耳であるし、見当もつかない。兄は恐ろしいほどの遊び人だったからだ。 「ああ。深い事情があって手元に置けない。お前たちに育ててもらうには忙しすぎるし新婚だし、ちょっと厳しいと思ってな…… それに今のところはこの子とお前の間に血縁がしれないほうがいいとも思うし…… ここならば、他のオメガたちも大勢農園にいるだろう? それにこの子には、少なからずアスターとも縁があるからな」 「どういうことだ? アスター?」 「まあ、これはなあ。私の若き日の恋の話になるからなあ。もちろん今は妻一筋の私だが。ゴホンっ」 そう言って。妻を見やるとウィンクをよこす。 「遠い昔初めてオメガの香水を作った私は、その宝を人に誇示したくて仕方なくてな。密かに愛していたオメガの香りだったし、人に見せびらかしたい気持ちもあったのだよ。中央に売り込んで大人気になった。しかしまさか彼女の運命の番を名乗る男が訪ねてくるなんて知らずにね…… 私の初恋はこうして幕を閉じた」 「もう何度目かの初恋だったけどね」 アスターの妻がそう横槍を入れて笑った。 「この子はここで一時期過ごした、さる公爵夫人の孫に当たるのだよ。この子のもう一人の親も、一度だけ思い出の縁にここを訪れてる。ミカは美しくて聡明な少年で。フェロモンは僅かに香り、未完成だったが芳しく…… 店には置かないがインスピレーションを高める香りとして私のコレクションにはいっている」 「ミカってまさか……」 ソフィアリたち双子と同じ学校に在籍していた。美しく燃えるような朱赤の瞳がとても印象的で覚えていたのだ。何度か学内で目があった。身体が弱くてあまり学校には通えていなかったようだが…… アスターの妻が赤子を乳母に代わって抱き上げた途端、目を覚ましてふにゃふにゃと泣き声をあげた。 アスターの息子のメテオが珍しく興味を惹かれて駆け寄ってくる。 「この子の瞳。お日様みたいに奇麗だ」 そういうとにこにこしながら赤子に手を伸ばしてあやしはじめる。 すると不思議なことにその子はメテオを見てすぐに泣き止んだ。そして何事か喃語で話しかけるように呟いている。赤ん坊のその瞳の色は、キラキラと輝く朝日のように美しい。 「この目の色…… 本当にミカ・アナンの子なのですか? 彼は公爵家の嫡男だったはずですよ」 ソフィアリはたまたま飛び級をするほどの秀才で、貴族が多い生徒を取り仕切る『明星』という成績優秀者の集団と懇意にしていた。そのため生徒のことに詳しかったのだ。 貴族院議員である公爵家の嫡男がオメガであり子をなしたなど一大スキャンダルだ。 「そう。ミカは俺の番でオメガだ。もちろん他言無用。家を継ぐためには番を持ってフェロモンを撒き散らさない身体になりたいと持ちかけられて。俺は協力したまでだ」 「そんな理由で子をなしたのですか?」 睨みつけて怒る美貌の弟に兄は情けなく困った顔を見せながら溜息をついた。 「孕ませれば俺のものになってくれると思ったんだよ…… ずっと好きだったが手に入らないと思っていたから。でもまあ、俺への愛情よりあいつは家を継いで、議会で仕事をする夢のほうが勝ったってことだな。手元においてやるには、存在自体がリスキーだ」 そういうと今はメテオが抱きしめていた赤子のふわふわとした髪を撫ぜた。 「僅かな間しか一緒にいられなくて、ごめんな。ラン。俺なりに。愛してるんだよ」 「父さん!! この子俺のものにしたい」 なんと隣にいたメテオが食い気味にそう言い切り皆に宣言した。 「メテオ、赤ちゃんはものじゃないわよ」 母が眉をひそめて窘めるがメテオの顔はいたって真面目だ。 「まあ、いつかはお前の弟にするか、そのうちソフィアリのところの養子にするかといったところだと思うが…… メテオお前、急にどうしたんだ?」 メテオは父親の才能を受継ぎながらも何処か少し冷めたところのある子に育っていた。 これほどはっきりと物を言ったことなど生まれて初めてだったのだ。 「俺は多分、この子のことを守るために生まれてきたと思う」 そうメテオはうっとりと呟くと、滑らかな頬で赤子のふわふわとした頬に頬擦りをした。 もしかしたらやはりメテオもアルファなのかもしれない。なにかこの子に惹かれるものがあるのだとしたら、この赤子はオメガなのか。 まるで魂で繋がった絆があるかのようだとアスターは感心した。 幸せで胸が温まる光景に、大人たちはショックから立ち直って、すぐにこのランと呼ばれた小さな命を育んで行こうとメテオに続いて決心した。 「遅くなって悪かったな」 仕事で隣町までいっていたラグが帰ってきて、ランを見て目を白黒とさせている。 「俺の甥っ子だってさ」 そういうとメテオからランを受け取って白くてぷくぷくとした愛らしい顔をみせつけた。 アスターの華奢な妻もにこにこしていった。 「この街がどんどん賑やかになって。うちにも沢山人が来てくれて。私、嬉しい」 アスターはいつでもどんと構えアスターの思いつきに賛同し、時に悔しい思いをしながらも分かち合って支えてくれた妻の度量に、この度も心からの感謝を送りつつ。その頬にキスをした。 まるで昇る朝日のように皆を照らしてくれるようなランとメテオの存在が、ソフィアリたちが切り拓いた街の未来を更に絆いでいく。 新しい世代として街になくてはならないものとなっていくのだが。 番同士がお互いに手に手を取り合って羽ばたき合える。そんな素敵な未来を今は夢に見ながら。 それはまた、別の香る物語。 終

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