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1.ウラアルファ〈1〉
「高久 ~っ!!」
放課後、昼間とは打って変わって静まり返る廊下で、手ぶらで歩いていたところを呼び止められる。
日中であれば騒がしい校内も、今は部活か、殆どが帰っている為に人気がなく、耳をつんざくような声がよく通った。
「誰だよ、うるせえな……」
聞き覚えのない声に呼び止められる理由が見当たらなかったが、眉根を寄せながら面倒くさそうに振り返る。
「こんなところにいやがったのか、覚悟しろ!」
足を止めて佇み、駆け込んでくる者をぼんやりと見つめていたが、近付けば近付く程に見覚えのない顔で首を傾げる。
「誰だ、アイツ。ああ……、またケンカでも売りに来たのか」
突然の出来事に驚くも、淡々と述べている姿からは動揺が見受けられず、呟きながら相手が何しに来たのか考え始める。
常日頃から他校の誰かしらと揉めている身としては、見ず知らずの者にやれなにくそと絡まれてもなんら不思議ではない。
ありふれた日常じゃねえか。
しかしわざわざ因縁つける為だけにノコノコやって来るなんて、熱心な野郎もいたもんだな。
「ん……?」
「大人しくしてろよ。お前が一人でいてくれてラッキーだったぜ」
「え? お前……、なに?」
思考を巡らせて自分なりの答えへと辿り着けた頃、唐突に景色が一変して頭の中が真っ白になる。
同時に今さっき築き上げたばかりの予想が、音を立てて脆くも崩れ去っていく。
それも無理もない、てっきり喧嘩を売られたと思い込んでいたところに、このような展開が待ち構えていたのだから。
「ちょ、おいおい……、なにやってんだ?」
無様に押し倒された挙げ句、興奮冷めやらぬ様相でボタンを外しにかかっている人物を前に、ようやく何かがおかしいと頭が理解する。
では一体何の為に現れたのか、考えたくもないけれどこの状況から弾き出せる一つの答えはもう決まっていた。
「おい、テメエ……! なにしてんだ! 離せ!」
冷静に分析していく程、何やら取り返しのつかない展開が近づいてくる。
「なんのつもりだ、お前……! ふざけんな!」
咄嗟に腕を掴むも、馬乗りで陣取る男には通用せず、とてつもなく不利な体勢を強いられている。
離れろ、と言ったところで素直に聞き入れるはずもなく、そんな簡単なものならそもそもこのようなことにはなっていない。
まさかこんな事になるとは思わず、周囲へと視線を向けるも人影すら見当たらず、油断していた自分へと歯噛みする。
浴びせ掛ける言葉にも耳を傾けず、焦れた様子で留め金を外し、次第に肌が露わになって嫌悪感で満たされていく。
「おい、いい加減にしろ! この変態野郎!」
凶行を阻止するべく、相手の腕を掴んだり、引っ掻いたりして足掻き、身の毛がよだつ行為をやめさせようとする。
しかし簡単に両腕をまとめ上げられてしまい、どんどん状況は不利になっていく。
「くそっ、ありえねえだろ。こんなこと……」
ひんやりとした感触が背中へと伝わり、誰の足音もしない廊下が何処までも続いている。
普段の騒がしい一帯が嘘のように静まり返り、こんなところで見ず知らずの男に突然押し倒されて絶体絶命な状況に陥り、あまりにも惨めな展開に自分でも呆れてしまう。
誰か一人くらい通りがかれよという気持ちと、こんな情けないところ見られたくないという想いがせめぎ合い、一人でなんとかしなければと足蹴にするも状況は一向に好転しない。
「まずねえぞ、こんなこと……」
途端に疑われてしまいそうな、日頃から喧嘩をしている者の実力。
こんな状況一つ覆せない現実に、そのうちヤジでも飛ばされてしまいそうだ。
けれど、仕方ない。
普通こんなことになるなんて、誰も思わねえだろ?
ここから喧嘩に発展するならすげえけど、それはまずありえねえよな……。
「んっ……」
また何処かへ意識を手離していたうちに受け入れてしまった微かな刺激によって、現実へと一気に引き戻される。
「お、おい……」
視線を向けて見れば、一目瞭然。
一つも残すことなく取り払われたボタンと、露わになっていた肌へ落とされる愛撫。
「テ、メ……、いい加減に……!」
初めての出逢いはつい先程、どう転んだとしてこんな展開は有り得てならない。
そんなに俺は安くねえぞ、なんてなかばふざけたような言葉が浮かび上がる程度には、ぐるぐると思考が混乱し始めていた。
このままでは相手のペースに持ち込まれ、その後は考えるだけでも嫌になるようなことが恐らく待ち受けている。
「……あ、いつっ……」
時おりピクりと反応してしまうのを抑え込みつつ、ふと脳内を一人の存在が過ぎっていく。
今日に限って何故いないのか、思い浮かぶ人物に何故か沸々と腹を立てていきながら、それが誰であるかを次第に思い出す。
あの野郎、一番肝心な時にいやがらねえ。
視線をさ迷わせていきながら、脱出不可能である状況を覆してくれるような者はいないかと、キョロキョロと辺りを見回していく。
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