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02:毒を喰む

ああ、きっとこれは毒だ。 君はどうしようもなく甘美で、鋭い、僕だけの毒だった。 毒を喰む 「朝倉、今日は早いな」 「そうか? いつも通りだろ」 講堂の一番後ろの席を陣取って、朝倉は机に突っ伏していた。 その瞳はうっとりと垂れ下がっていて、まだ夢を見ているような、そういう表情をしていた。 いつも通り、だなんて。 下手くそすぎて笑えてしまう。 時計を見るとまだ、一限が始まるまで二十分もあった。 僕らの他には誰もいなくて、まだ暖房の空気がその端々まで行き渡っていない。 少し意識して息を吐けば、うっすらとその息が白んで溶けた。 朝倉の隣の席には、真っ黒なリュックが置かれている。 リュックが置かれている席の、その隣の席に座ろうとしたところで、朝倉がリュックを床に下ろした。 何も言わないけど、隣に座れば、ってことなんだろう。 変な顔、してないかな、と気になった。 嬉しくてにやけそうな頬をさりげなく手の甲で隠して、席に着く。 ちらりと視線を送った朝倉は、僕の方を見てはいなかった。 僕はなんとなくそれが面白くなくて、一度はスルーした朝倉の嘘を混ぜっかえす。 「いつも通りなんてよく言えたな。この授業、受けるのも初めてじゃないのか?」 「えーと、なんだっけ」 「文化人類学。それもわからず来たのか」 「教科書は……」 「毎回授業開始時にプリントを配るタイプ」 「ふぅん」 朝倉は、授業のことなんて本当にどうでも良さそうに言って、そのとろんとした瞳をどこか遠くへやった。 僕の方ではなくて、まだ誰も座っていない席のそのどこかに、誰かを探すような視線。 じんわりと、胸の奥が冷えていく。 「なあ、朝倉」 「なんだよ」 少しだけ低い、アルコールなんて一滴も飲まないのに酒焼けしたような独特の声が、心地よく耳を撫でた。 声は、僕ら以外誰もいない講堂の、しんとした空気に吸い込まれて消えていく。 「あの子のどこがいいの」 「……なんの話だよ」 さっきまで心ここに在らずだった朝倉の声に、微かな緊張が滲んだ。 机の上で組まれている腕の中に、頭を沈める。 声も表情も、腕の中に隠されてしまった。 バレてないわけがないのに。 もしかしたら、本人にだって。 そう考え至って、それは一番気分が悪いな、と思う。 朝倉が自分のことを好きだと知っていて、何食わぬ顔をして朝倉に笑いかけるあの子を想像する。 白い肌に桃色の頬を乗せて、朝倉くん、と微笑む彼女。 何にも染められていない真っ黒な髪の毛が、ゆったりと揺れて、朝倉の気持ちをくすぐる。 「あのさぁ、長谷」 腕の中へ頭を埋めたまま、くぐもった朝倉の声が僕の名前を呼んだ。 たったそれだけなのに、胸の奥をぎゅっと掴まれたような心地がする。 「……噂で、聞いたんだけど」 「噂。噂か」 言いづらそうに朝倉が口にした言葉を、繰り返す。 ああ、なんだ。 朝倉は彼女に会いに来たわけじゃなかった。 僕だ。 僕に会いに、来たんだ。 「お前、あの子と付き合ってるって、本当か?」 じっとりと、朝倉の瞳が僕を捉えた。 嘘だよな。 そんなわけないよな。 だってお前、俺の気持ちを知ってたんだよな。 すがるような瞳に、心の奥が揺れた。 全身の毛が逆立つように、ざわざわと身体が震えた。 心臓が大きく、速くなっていく。 「ああ、付き合ってる」 「……そうか」 僕は慎重に、そしてできるだけ大胆に言葉を選んで、朝倉にそう告げた。 朝倉はそれだけ言って、また視線を宙にさ迷わせた。 廊下から、誰かの足音が聞こえてくる。 よく、聞き知った、かかとを擦って歩く特徴的なヒールの音。 僕はそれに気がつかないふりをして、ゆったりと朝倉の顔を覗き込んだ。 「お前が悪いんだからな、朝倉」 そう言って僕は、朝倉の唇に自分のものを重ねる。 全ての熱が、唇に集中しているようで。 僕はそれを朝倉に悟られたくないような、わかってほしいような気持ちで。 身体に毒が回る感覚っていうのは、もしかしたらこういう感じかもしれない、と僕は思った。 君と彼女が出会った時。 僕は初めて、人が恋に落ちる瞬間を見た。 そして、同時に。 自分は知らない間に君に惚れていて、そしてたった今、失恋したのだと理解した。 だから、僕。 「っ、長谷! 何す−−」 「は、長谷くん、朝倉くん、何、してるの」 朝倉が「何するんだ」って言うより早く、彼女がそう言った。 僕の肩越しにその声の主を見る朝倉の表情は、僕にキスされた時なんか比べ物にならないくらいに青ざめていて。 僕はそれを見て、小さく笑った。

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