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第1話

“人間界はとっても怖いところだから、ルーチェは人間に喚ばれても絶対に応えたらいけないよ”  人間界に憧れを抱いているルーチェに父や兄弟、仲間たちはそう口酸っぱく忠告してくる。  ―――ルーチェ以外はみんな人間界に行っているというのに、だ。  ルーチェはそれが不満だった。他の精霊たちのようにルーチェだって人間界に行きたい。正直、人間界が本当に危ないところなのかも少し疑わしく感じている。  だってルーチェの周りのみんなは、喚びかけがあると生き生きとしながら応えるのだ。  彼らの楽しそうな姿を見る度に、みんなが意地悪をしてルーチェを除け者にしているのではと、そんな捻くれた考えが浮かんでしまう。そんなわけがないことは承知していたけど、つい心が荒んでしまった。  虹色草の花を編んで花冠をつくりながら、ルーチェはぷくりと頬を膨らませる。 「うー。ぼくも人間界に行きたいよお!」  完成した花冠を放り投げて、ルーチェは背中から花畑に倒れこむ。それから手足をばたつかせた。 「どうして他のみんなはよくて、ぼくはダメなのっ?」  ちょっとだけでいいのだ。人間たちの世界を覗いてみたい。ここではない別の世界にルーチェは興味津々だった。 「誰かぼくを喚んでくれないかな……」  そもそも応じる応じない以前に、ルーチェは喚びかけられた経験自体がない。他の精霊はどんどん召喚されているというのに、この差はいったいなんなのか。  抜けるような青の空にぷかぷかと浮かぶ島々を眺めながら、ルーチェは切なく溜め息を溢す。  ルーチェがふんわりとした甘い何かを感じとったのは、そんな時だ。 「んん?」  ルーチェは上体を起こすと首を傾げて、さっと辺りを見回す。それからすんすんと鼻を鳴らして匂いのもとを探った。 「いい匂い」  大好きなお菓子とも、花畑のどの花の香りとも違う、なんともルーチェの心を掴んで離さない不思議な香り。  ルーチェは人型からぴんとした長い耳を持つ、白くて丸いモコモコとした獣の姿に変化すると、この香りの正体を求めて走りだした。  花畑を駆けて駆けて、そうして甘さを一層強く感じた瞬間ルーチェは突然開いた穴の中に落っこちた。 『ひえ!? ひょえぇぇぇぇーっ!』  虹色草のように七色に光るその穴は小さなルーチェを吸い込むとすぐにポンと吐き出し、あっという間に閉じてしまう。ルーチェはそのまま受け身もとれず地面に叩きつけられた。 『ぐえっ』  ふかふかとした毛に覆われた丸い体がボヨンと跳ねる。体を打ちつけた痛みに涙目になりながら身を起こしたルーチェは、正面にあるものの姿を捉えた途端、血の気を引かせた。  紫がかった毒々しいピンクの花弁。その中心部に鋭い牙の並ぶ巨大な口を持った植物が、ルーチェの眼前でうねうねと沢山の蔓を蠢かせていた。 『―――ッ!』  精霊界では見たこともない、おぞましい生き物。ルーチェはすぐにでも逃げ出さなければと思うのに、腰が抜けて立ちあがれない。そうこうしている内にいくつもの蔓が伸びてきて、ルーチェの小さくて丸い胴体に絡みついた。  簡単に持ち上げられたルーチェの下で、花の化け物が唾液を垂らしながら大口を開けている。食べられる、そう思った次の瞬間風が舞った。  目の前で花の化け物がバラバラに切りきざまれた。 『え……?』  何が起きたのか分からないまま、植物から切り離されたルーチェは天を仰いだ状態で重力に引き寄せられる。二度目の衝撃を覚悟してルーチェはきつく目を閉じた。  しかし感じたのは固い地面ではなく、もっとやわらかい感触で。 『??』  ぽかんと間の抜けた表情で惚けているルーチェを抱きとめたのは、苦々しい表情を浮かべた若い男だった。  フードからはみ出た目の覚めるような深紅の長い髪。夜の闇のような黒い眸は切れ長く鋭い。その身には眸と同じ色のローブを纏っていた。  ルーチェが彼の姿を眸に映した瞬間、ルーチェの体に電流のような感覚が走る。身体中の毛がぶわりと逆立ち、体温が急上昇する。 「おいお前。俺が召喚した召喚獣でまちがいないのか」

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