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第1話

   一、妄想炸裂アルファバース  窓際の狭い座席から立ち上がると、安斎(あんざい)公平(こうへい)の膝はパキパキと乾いた音を立てた。郷里の鹿児島から東京までは、たかだか一時間半程度のフライト。けれど久々に座ったエコノミークラスの座席は、身長が百九十センチ近い公平にはやはり少しこたえる。 「すみません。ちょっと、よろしいですか?」 「え? あ、はい。俺でよければ」  スーツケースをターンテーブルから引き下ろしたところで、公平は小柄な女性に呼び止められた。良く言えば柔らかい雰囲気の、率直に言えば気の弱そうな、いかにもオメガらしい〝守ってあげたくなる〟感じの女性だ。 「あの、もし違ったら申し訳ないんですけど……私にビジネスクラスの個室を譲ってくださった──」 「ああ、はい! 俺です。よかったお体平気そうで!」 公平が答えると、女性は「お陰様で」と微笑んだ。今は薬が効いているのか、彼女のフェロモンは機内で感じられたほどは匂わない。    最新の統計によれば、地球上のどんな地域でも約百人に一人が《バースファクター》と呼ばれる副次的な内性器を持っているという。バースファクターが男性のものである人は《アルファバース》、女性のものである人は《オメガバース》と呼ばれ、女性のアルファバースと男性のオメガバースは雌雄同体の体で産まれてくる。    そのため、法の上では生殖役割の違いで性別を分けることは今やほとんどない。どこの国でも自認や外性器に基づく男女の区別を第一性別、バースファクターの種類──アルファとオメガに、バースファクターを持たない人を指す《ベータ》を加えた三種類──による区別を第二性別として定義し、結婚についても相手の性別を問わない場合が多い。    こうした人間の出現は人類史において決して古くはなく、紀元前三世紀頃のファラオとその側室のひとりが人類史上最古のアルファとオメガであると言われている。    最初のアルファが大国を治める王であったように、歴史に名を残す名君や権力者にはアルファが多く、大抵はその影にオメガの内助があるようだ。とはいえ性別格差の是正が進んだ現代では、そこまで顕著にアルファとオメガのカップルばかりが高い地位に就いているというわけでもない。せいぜいが「言われてみれば多いかも」くらいのものである。    二千年あまりをかけてその数を殖やしてきたとは言え、そもそもバースファクターを持つ人間の割合は現時点で全体の約一パーセント。そのうちのアルファの割合は、オメガよりは少し多くて約六割程度だ。    公平は十三歳の時に飛び級制度を使って入学したアメリカの工科大学でも、この春に博士号を取ったフランスの航空宇宙大学院でも、常に様々な性別や国籍の人たちと机を並べてきた。そうした環境において、属性で人を区別すれば顰蹙を買う。そしてそれはこれから助教として働く日本の大学でも、きっと同じことなんだろう。    けれどその一方で公平は、家ではずっと「お前がアルファとして得た力や財産は全て、人や社会の役に立つことを第一に考えて使いなさい」と教えられてきた。それに、そうすることのできる自分の心身や能力を誇りに思ってもいる。    高貴な者には奉仕の義務(ノブレスオブリージュ)。それが元禄時代に金鉱山の経営で財を成し、アルファ同士の婚姻で血脈を繋いできた安斎家の家訓だ。「一族が全員アルファ」という血脈自体は自分の秘書をしていたオメガの男性を伴侶に迎えた祖父の代で終焉したものの、家訓は今でも脈々と子や孫に受け継がれている。 「本当に助かりました。──発情期は終わったはずだったんですけど、ここのところ少し周期不順の発作があって……」    女性はそう言いながら公平に何度も頭を下げ、最後は恥ずかしそうに少しだけ声を小さくした。 「気にしないでください。どんなに注意してたって、そういうことってありますよね。俺にもオメガの親戚がいるから少しは分かりますよ」    公平がそう言って微笑むと、女性はまたほっとしたように「そうでしたか。ご親戚が」と胸を撫で下ろしているようだった。  

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