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No.1:音のない世界へようこそ
ジリジリと首筋を焼く太陽
9月になったというのに秋のかけらも見当たらない真夏の陽気。
(なんでこんな暑い日に、草むしりなんか…熱中症にさせる気かよ…)
高校生活が始まって初めての夏
桜ハル はそんな悪態を心の中で吐きつつ、
校庭で黙々と雑草をむしり取っては投げを繰り返していた。
『よ!進んでるか?』
そこへ手をひらひら躍らせてニヤけた顔の友人、古瀬夕 が近づいて来た。
『俺、凄くない?』
胡散臭い演技でもしてるかのように満足げな笑みを見せ、
ハルは投げた先に出来ている雑草の山を指さした。
『お前…よくこんな暑い中、まじめにやるよなー…』
『さっさと終わらせて教室戻りたいだけだよ!』
両手がパチンとあたる音
話の勢いで手の動きが早くなる
その会話に声はない
ー彼らは聴こえない 手(手話)で会話をしているー
♪キーンコーンカーンコーン
チャイムの音と共に、生徒たちと一緒に草むしりをしていたひと回り大きな男が
パンと膝に手を打ち立ち上がった。
そして近場の生徒の方をポンポンと叩き歩いて気だるげに汗を拭うと、
『よし、今日はこの辺で終わりにしよう!水分補給しろよ!昼飯だー!』
そういうな否や、教室行け~と生徒たちに向かってシッシと手を払うしぐさをして笑った。
『会津 先生、いっもやる気に満ちてて熱いよな…』
『うん…』
日焼けして黒くなった担任、会津芳樹 に目をやりつつ苦笑気味にハルと夕は教室へ向かった。
――放課後
1日の授業を終え、眠気を押し殺していたハルは大袈裟なほど大きなあくびをした。
目をこすりつつスマホのメールボックスにある新着メッセージをどんどん開封していく。
ほとんど興味のないお知らせメッセージばかりだ…
(ぁ…)
その中で、題名が凝り固まったようなご挨拶分のメッセージを見つけ開く。
『こ…これこれこれこれ!!!来た!!返事来たーっ!!』
『っあんだよ、いきなり!?』
席を飛び出し、黒板前の机に突っ伏していた夕に覆いかぶさるように横から突っ込んで行き、
ハルは手に持ったスマホをずい!と夕の顔面に押し付けた。
『…バイト?コーヒーショップのバイト…?受かったの!?』
まだ理解しきれていない夕の前でブンブンと勢いよく縦に首を振る。
半泣き顔でハルは喜びの万歳をした。
『一昨日、あのショップで面接してもらったんだ!昨日は連絡なくて、落ちたと思ったのに』
『お前、あのコーヒーショップお気に入りだもんな、よく受かったな!』
『聴こえないですって、その分頑張るって押し切ったんだ!』
『まじか…(笑)』
ハルには放課後になると毎週3日は通っているだろうお気に入りの喫茶店があった。
高校に入学してから帰り道に見かけていた喫茶店「Sprout 」
宿題を片付けるのにちょっと座れる場所を探してふらりと入ってから、なんだか店の雰囲気が気に入り通うようになったのだ。
店内は北欧を思わせるような明るい茶色と白を基調とした家具で揃えられ、
ドライフラワーやシンプルな小物たちで飾られている。
店内正面にあるカウンターから見えるシルバーのエスプレッソマシンからは、いつも酸味と苦みが入り混じったコーヒー豆の良い香りが漂ってくる。
そのマシンで淹れられたカフェラテがまた美味しいのだ。
そんな至福の一杯を淹れてくれる店主は、物腰柔らかな40代前半の男性、良く通うようになったハルに最近声を掛けてくれるようになった。
『あの優しそうな店主、名前は?』
『しいなさん、椎名猛 だって』
『へ~かっこいいよな、いっつも落ち着いた雰囲気でさ』
『うんうん』
夕もハルに誘われるままSproutに何度か行っていた。
『でも、大丈夫なのか?大きなチェーン店でもなさそうだし、接客とか…』
『そこは俺も色々考えてるよ、とりあえずメニュー表にあるものは写真か文字にして、
お客様から指さして注文してもらえるようにする。あとは…』
椎名にも心配された事を夕から投げかけられ、ハルは思案顔で今考えてる事を話してみた。
ー正直うちは大きなお店ではないし、凄く忙しくなることもそんなに無いんだけど。
お客さんもそこそこ入ってくれるからね、…接客が心配だけど何か考えはあるのかな?
申し訳ないけど、僕は耳が聴こえない事をちゃんと理解出来てないから…
色々質問する中で失礼な事があったらごめんね。-
‟バイトをさせてください!”
そんな簡単な言葉だけメモ用紙に書き、緊張しながら椎名に渡して返ってきた言葉がこれだ。
何度か声を掛けてくれていた事でしっかり筆談で返してくれたが、それに自分がすぐ返答できなかったハルは数日考えた後、改めて履歴書と接客案を手に椎名の所へ向かったのだった。
『ま~俺はいつでもお前を応援してるよ、いつか旨い珈琲淹れたいって言ってたもんな』
『うん、椎名さんみたいに、美味しいカフェラテや珈琲で人を幸せな気持ちにしたい』
はぁ~とため息をつきながら自分の働く姿を想像するハルを、
夕はやれやれといった様子で温かく見守るのだった。
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