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9、食卓を囲んで

「累くん、帰国&コンクール優勝おめでとう!」 「あ、ありがとうございます」 「いや〜、ほんとに大きくなっちゃって、立派になって……俺は嬉しいよ。コンクールの配信見たとき、俺鳥肌たっちゃったもん」 「えっ、見てくださったんですか?」 「そりゃ見るよ! すごくかっこよかったよ、累くん」 「へへ……ありがとうございます」  そしてとある日曜日に、累の帰国を祝う食事会が催された。  彩人が累を連れてきたのは、『Hideout』という店名のリストランテバルである。彩人のホスト時代の先輩・久世忍が経営する店だ。  バルといえば気軽な立ち飲み屋、という雰囲気だが、リストランテバルでは特に食事に力を入れている。しかし、レストランほどかしこまった雰囲気はないため、空にとっても居心地の良い店だ。壁は煉瓦調で、棚にはたくさんのワインの空き瓶が飾られている。初めて『hideout』にやって来た累は「へぇ……かっこいいお店だね」と、興味深そうに店内を見回していた。  そして壱成と累は、帰国して初めての再会である。壱成はまず累の身長の伸び具合に驚き、「俺よりでかいじゃん!」とショックを受けていた。 「いらっしゃい、今日もお揃いで」  料理が一通りテーブルに並んだところで、白シャツに黒いエプロン姿の忍が、テーブルサイドにやって来た。もうとっくに四十を超えていると彩人に聞いたことがあるけれど、空はいまだにその言葉が信じられない。 「あ、忍さん。お疲れっす。今日はマッサ、来てないんすか? 日曜なのに」 「新人の面接するって言ってたし、また後で来るんじゃない?」 「あ〜、うちも来週、新人クン入るんすよ。忍さんにも紹介しなきゃっすね」 「そう、じゃあ良い肉用意しとかなきゃだね」  確か、空のバスケ部顧問と忍は同年齢だ。気は優しく教え方もうまい教師だが、ぽよんと出たお腹やてっぺんがあやしくなった髪の毛と相まって、顧問はいかにも『おっさん』という言葉が似合う。だが、忍の体つきには無駄がないし、長めの髪をゆるく結え、すらりと立つ姿はまるでモデルのよう。昔から、独特の雰囲気のある美しい男なのだ。  親しげに話をしている彩人と忍のかたわら、壱成が累に向かって「この人は元ナンバー1ホストで、しかも元刑事。それで今は、彩人の店のオーナーしながら、趣味で飲食店もやってんだよ」と忍を紹介している。複雑すぎる経歴に、累は「はぁ……へぇ……」と分かったような分からないような返事をしている。  すると忍はぽん、と空の頭を撫でくりまわしながら、壱成のほうへと視線を向け「雑な紹介ありがとう」と言った。そして興味深そうに累を見ている。出会えばいつもこうして頭を撫でてくる忍に、空は「もー、やめてよ」と文句を言った。 「へぇ……この子が噂の累くん? すっごいね、すっごい美少年」 「あ……ありがとうございます」 「もう五年くらいしたら、もっといい男になりそうだなぁ。どう、空くんと一緒に、うちの店で働いてみない?」 「え? うちの店って……」  と、累が素直に戸惑っていると、彩人がすかさず「ダメっすよこの子は。ヴァイオリニストなんすから」と言って止めた。 「ああ、そうだっけ? 惜しいなぁ、すぐにでもナンバー1になれそうなのに」 「これからもっと大物になる子なんすから、ホストなんかやらせちゃダメっすよ。生活も不規則になるし、身体には悪いし、変な客に捕まったら面倒だし」 「いや、兄ちゃんがそれ言う?」 「俺だから言うの。空もさ、俺よか頭良いんだから、壱成みたくまともな道を歩いて欲しいわけだよ」 「分かってるってばー。もう」  彩人から『夜の仕事はダメ』、と散々言い含められて来ているため、空の返事もめんどくさそうなものになる。忍はふっと苦笑して、「ま、夏休みのバイト感覚でも良いからさ。気が向いたら連絡して」と言い残し、のらりくらりと厨房の方へ逃れていってしまった。 「累、すごいねぇ、一目見ただけで忍さんがスカウトしてくるなんて」 「そうなの? でも、空も一緒にとかって言われてたけど……」 「俺の方はネタだから。ちっちゃい頃、忍さんがホストごっこしてくれたらしくてさー、そんで俺も『ほすとになる』とかって言ってたらしくて」 「へ、へぇ……」  忍とマッサはしばしば早瀬家に遊びに来ていたため、空にとって彼らは、すっかり『親戚のおじさん』状態だ。マッサはともかく、忍は『おじさん』とか『おっさん』という言葉に敏感なので、口には気をつけねばならないのだが。 「しかし良い男になったなぁ〜累くん。で、空くんにはなんて告白したわけ?」  向かいのソファに座る壱成が、テーブルごしにきゅるるんとした視線を送ってくる。空はむくれて、「だからぁ! もういーってその話は!」と話題をぶった切った。 「ははっ、そりゃ照れるか。壱成ド直球すぎじゃん?」 「だって、気になるだろ。彩人だってめちゃくちゃ気にしてたじゃないか」 「まーそうだけどさぁ。空、照れて拗ねると全然しゃべんなくなるだろ?」 「そうだな……。もうちょっと落ち着いてからじっくり聞くか……」 「言わないっての」  プリプリ怒る空を宥める壱成と彩人は、友人のような空気感で言葉を交わしている。だがその薬指では、揃いの銀色の結婚指輪がきらりと光る。  空港で電撃プロポーズをされて以来、二人の指輪を目にするたび、累が差し出したあの指輪のことを思い出す。こうして交際することになったわけだが、あの指輪はどうするつもりなのだろう。  そんなことを考えていると、累がふと空の方を見て、微笑む。ボーッと考え事をしていたものだから、不意打ちを喰らった気分である。  ――累……あれから何もしてこないけど……。舌に噛みつくのはさすがにやりすぎたかな……。  累の大人びたキスに驚かされたけれど、あの時感じた感覚は忘れ難く、空の中にはじわじわと熱が燻りはじめているのだ。あの日から一週間ほどが経っているものの、累には特に変わったところはない。というか、累は音大でのレッスンに加えて凱旋公演のレッスンも始まっていて、空のほうも部活が始まって忙しく、二人きりになる時間がないのである。正直、少し寂しさを感じ始めていて……。  ――『結婚しよう』とかなんとか言ったわりには普通っていうか、なんていうか……付き合い始めたんだし、もっとグイグイ来られるかと思ってたのになぁ……。 「そういえば、お二人は結婚式ってしたんですか?」 と、いいタイミングで累が壱成にそんなことを尋ねるものだから、飲みかけていた水が変なところに入ってしまった。「うえぇっほぉ!!」と空が咳き込んでいると、累がすかさず「だ、大丈夫!? どうしたの?」と背中をさすってくれた。 「な、なんでもない……。あ、そーだ俺、兄ちゃんたちの入籍パーティんときの写真持ってるよ。二人ともタキシードとか着てさ、みんなでお祝いしたんだ」 「え、見たい! 見せて」  目を輝かせて食いついてくる累に、スマートフォンに保存してある写真を見せた。  空のスマートフォンには、真っ白なタキシードに身を包んだ二人の兄の姿が、何枚も記録されている。忍がレストランを借り切ってくれ、そこでささやかながらもパーティを催したのだ。  彩人のホスト仲間はもちろんのこと、その日は壱成の仕事仲間も出席していた。それまで、壱成は会社で彩人のことは伏せていたのだが、思い切って職場でも同性婚のことを公表したのだ。壱成が先陣を切ることで、同性婚に踏み出すことができる社員がいるかもしれない、と上司や同僚、彩人とも相談してのことだったらしい。  一時期は多少落ち着かない空気ではあったようだが、壱成の同性婚が社内で広まって半年ほどが経った頃、同じく同性婚に踏み切ったカップルが二組も誕生した。一組は、常務取締役とデザイン部部長という男性同士の熟年カップル。そしてもう一組は、人事部長と課長補佐で、こちらは女性同士だったそうだ。  社会に先んじて同性婚を受け入れてきた企業として名前が売れ、『エデュカシオ』はさらに飛躍している。壱成も出世して、今は忙しい身の上なのだ。 「すごい、タキシードブランドのモデルさんみたいですね、お二人とも」 「え? へへ〜そう? そんなに?」 と、累が手放しで褒めるものだから、彩人は素直に嬉しそうだ。壱成は少し照れているようで、「モデルなんて言い過ぎだろ。彩人はともかく」と謙遜している。 「あ、空もスーツだ! すごいじゃん、かっこいいね」 「えっ? そ、そうかなぁー?」  その日ばかりは、空も爽やかなライトグレーの細身のスーツを身に纏っていた。きっちりと髪も整えて額を出し、兄たちと並んで三人で撮ってもらった写真は、我ながら凛々しくも見える。  こうして並んだ写真を見ると、空と彩人は改めてよく似ていると自分でも思う。特に、鼻筋から目元のあたりがそっくりなのだが、どうして身長は似ないのだろうかと疑問を感じずにはいられない。  壱成が椅子に座り、その傍らに彩人が立っているものや、二人並んで微笑んでいる写真もある。パーティの最中の写真もあれば、着替え風景を収めたオフショットのようなものもあるのだ。これらはすべて、プロのカメラマンが撮った写真ばかりで、さすがのようによく撮れている。 「うわぁ……どれもこれもすごく素敵ですね」 「ははっ、ありがと。楽しかったな、この日」 「うん、最初はちょっと恥ずかしかったけど、良い記念になったしな」  写真を次へ次へと送っていっていると、壱成の家族の写真が出て来た。親戚がいない彩人とは違い、壱成には両親もいて、兄夫婦とその子どももいて……とにぎやかだ。  ちなみに壱成の母親は再婚し、新たな人生のパートナーを得ていた。過去に浮気からの離婚を経験しているため、すっかり疑り深い性格になってしまっていた母親を、義父は数年かけて熱心に口説き続けたらしい。そして、壱成が社会人として働き始めた頃、二人は再婚したのである。  だが壱成の両親は、始めは壱成が同性婚をすることに戸惑い、反対もしていた。彩人のことは完全にただの友人だと思っていたらししく、面食らったというところもあるのだろう。  だが、挨拶に行った彩人が、壱成の両親を説得したのだ。幼い空を抱えていた彩人が、これまでどれだけ壱成に助けられたのか。もう壱成のいない人生など考えられないということを、誠心誠意の思いを込めて伝えて来たというのである。  その頃には、壱成の兄・涼成(りょうせい)のもとには二人目の赤ん坊が生まれていた。兄夫婦はすぐに二人に協力してくれるようになっていたため、壱成らが実家を訪ねて説得を重ねるたびに彩人に子どもの面倒を見させるなどして、場の雰囲気を和ませてくれたらしい。  そのおかげもあって、壱成の両親の態度は徐々に柔らかくなっていった。そして空が初めて挨拶に行った日、壱成の両親は空を見て、「孫がもう一人できたみたいね」と言って笑ってくれた。  そして結婚式の日は、皆が笑顔でその日を迎えることができたのだ。  黒いタキシード姿の壱成の父、黒いシックなワンピース姿の壱成の母、子どもを二人抱えた兄夫婦、そして壱成と彩人と、空。空には到底縁がないと思っていた大勢での家族写真が、今はスマートフォンに収められている。  その経緯を壱成が累に語って聞かせている声を聞きながら、空は当時の兄二人の姿を思い出していた。承諾を得るまでの間、壱成はどこか落ち込み気味だったけれど、いつも彩人が明るく笑って励ましていたものだ。兄たちの支え合う姿を見て、空は育ってきたのである。 「本当、大変だったけどねー……って、彩人、泣いてない?」 「な、泣いてないし。ただちょっと……思い出すとなんかこう、胸がぎゅーっと」  涙ぐむ兄の姿にも慣れっこだが、彩人と壱成の結婚式は、空にとっても大切な思い出だ。気を抜けば自分もしめっぽくなってしまいそうになるので、空はあえてのように彩人をからかう。 「もー、兄ちゃんこの話になるといつも泣くじゃん。涙腺よわすぎ、歳なんじゃない?」 「はっ? なんだとぉ!?」 「まあまあ二人とも。ほら、肉食べよ。ここの肉マジで美味いから」  洒落たカッティングボードの上に、ドンと乗ったうまそうな肉から、食欲をそそる香りが湧き上がってくる。その他にも、グリル野菜のサラダやポテトなど、彩り豊かな食卓だ。  取り分け用の皿に盛られた肉のボリュームは相当なもので、食べる前から満腹になってしまいそうな絵面である。だがナイフを入れてみると、じゅわっと肉汁が溢れ出し、綺麗に色づいた肉の断面は艶やかだ。ブラックペッパーの清々しい香りと混ざり合い、食欲をいかんなく刺激されてしまう。  大きめに来て切って口に入れてみると、思いの外柔らかい噛み心地だ。咀嚼するごとに溢れる肉の旨味は濃厚で、だがまるでしつこくはない。「日本って、こんなにご飯美味しかったんだ……」と噛み締めるように呟いている累がなんだか可愛くて、空の表情もついつい緩むのだ。  だが、そんな空を見てニヤついている兄二人に気づき、ハッとする。空は無言で肉を頬張った。

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