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〈4〉
壱成とすっかり仲良くなった賢二郎は「ほな、また飲みましょね」と笑顔を残して先にタクシーを降りて行った。そのあと壱成から「今日はどっちに帰る? やっぱ累くんとこ?」と尋ねられた。
累の両親が海外赴任となってから、すっかり累の家で過ごすことが当たり前になりつつある。初めは寂しがっていた壱成だが、ようやくそういう状況にも慣れてきたのだろう。
「うん、累んちで帰りを待つかなぁ〜」
「了解。俺も今日は起きとこうかなあ……って、無理か。なんだかんだで結構飲んじゃったし……ねむ……」
ちょっと気の抜けた表情でシートにもたれかかる壱成の頬はほんのりと赤い。それにすごく眠そうだ。結局空は一滴もアルコールを摂取していないので、意外とまだまだ元気である。
「兄ちゃん、昔からあんな感じで仕事してたんだね」
「ああ……そっか。仕事中の彩人見るの、空くんは初めてだもんな」
「うん。あんな不規則で不健康な仕事はダメ! って口酸っぱくいうくせに、兄ちゃんすっごく楽しそうだったし……なんていうか、幸せそうだったし」
「そうだね」
「俺が言うのも変だけどさ……なんか、ホッとしたような感じ。うまくいえないけど……」
「……そっか」
ぽん、と壱成の掌が頭の上に置かれる。幼い頃と同じタッチで軽く撫でられ、空は小さく肩をすくめた。
「あのさ、みんなして俺の頭を撫で回してさぁ。俺、もう二十歳なんですけど」
「それはわかってるんだけどな〜。俺にとってはやっぱり、空くんはいつまでたっても空くんだから」
「そりゃそうだろうけど」
「彩人も嬉しそうだったな。累くんが演奏して、そこに石ケ森くんやサーシャさんがいて……空くんから繋がった人たちがあの場に集まってさ、すごくいいイブの夜になって……俺も嬉しかったよ」
「壱成……へへ……そうだね。俺も嬉しい」
穏やかで優しい壱成の微笑みを前にすると、なんだか無性に甘えたい気分が湧いてきてしまう。……だが、ついさっき自分でも宣言したばかりだが、空はもう二十歳なのだ。昔のように壱成に抱きつくわけにはいかない。
かわりに、空も壱成に笑みを返した。もうすぐ累の家に到着する。
壱成が運転手に声をかけると車はゆっくりと減速を始め、高比良邸の前で停車した。
「……兄ちゃんには言わなくていいんだけど」
「ん? なに?」
「兄ちゃん……すごくカッコよかった。ホスト、やってるところ」
「……ふふっ、うん、そうだよな。彩人には内緒な」
「うん。……じゃ、おやすみ!」
開いたドアから顔を覗かせ「メリークリスマス!」と壱成に言い置いて、空は早足に累の家へと駆け込んだ。
間違いなく、壱成は彩人に空の言葉を伝えるだろう。
照れ臭くてたまらなかったけれど、気持ちを素直に言葉にするのはなんだかとても清々しかった。
+
「ただいまー」
「累、おかえり」
累が帰宅したのは、午前0時を少し回った頃だった。
そろそろ帰宅するとメールが入っていたため、空はキッチンでココアを作っているところだ。先にシャワーを浴び、すっかりぬくもっている空を、冬の空気を纏った累がぎゅうっと力強く抱きしめる。
「つめてっ! こら、累もすぐお風呂入ってきなよ、手冷たすぎ」
「ああ、雪が降り始めてたからね。はあ〜〜……つかれたぁ……」
「珍しくぐったりしてるじゃん」
見上げた累の表情は随分とくたびれている。首を傾げつつ累を見上げ、ほんのりと冷たい頬を両手で包んだ。
「俺たち帰ったあとも演奏してたの?」
「うん、リクエスト聞いたりしてたら、結構長引いちゃって」
「そっかぁ」
一曲目のクリスマスメドレーが終わった後は、彩人が舞台に立って挨拶をおこなった。お客に累とサーシャの紹介をし、そのあとまた三十分ほどアンサンブルを行ったのだ。
だがその後もアンコールが鳴り止まず、累とサーシャは休憩を挟みつつ、ずいぶん長い時間演奏を続けていた。明日仕事のある壱成が帰るタイミングで空と賢二郎も店を出たが、ふたりはその後もしばらく演奏していたようだ。
「まぁ、あんなに近くでお客さんの声を聞いたり、リクエストを聞いたりすることって滅多にないから、僕も楽しかったな」
「そっか、よかったね。兄ちゃんにいっぱいバイト代もらいなよ」
「ふふ、そうだね。それで美味しいものでも食べに行こう」
「おっ、いいね」
ゆったりと微笑む累の唇が、空の額に触れた。累の唇はまだ冷たい。空はもう一度累の頬に手を伸ばし、伸び上がって累の唇にキスをする。すると累は嬉しそうに微笑んで、空の腰を強く引き寄せた。
「サーシャも、楽しかったって」
「そっか……よかったね」
「ピアノを憎んでいるわけじゃないってわかって、なんだかホッとしたよ。『こういうくだけたパーティでなら、また弾いてもいいかもね』なんて言ってたし」
「兄ちゃんが聞いたら、速攻でお抱えピアニストにならないかってスカウトしにきそう」
「それも悪くないかもね」
少し累も飲んで帰ってきたらしく、吐息にほんのりと甘い香りが漂っている。いいステージを行うことができたことで高揚しているようだが、アルコールのせいもあるかもしれない。
現に、いつにも増して累の笑顔はとろけるように柔らかい。冷たい手を空のパーカーの中に忍ばせてはふざけてくる。
「ちょ! つ、つめたいっていってんだろー!」
「……それにしても、疲れたなぁ……。明日は一日中空とくっついてイチャイチャしてたい」
「う、うん……それは、俺もそのつもりだよ。てか手、冷たいから」
「ふふ……ねぇ、今夜からでもいい? すぐに空とベッドに行きたい」
「えっ? いや、でも一旦お風呂であったまったほうが」
「大丈夫。空としてたらすぐ熱くなるから……ね?」
「うっ……可愛い」
気持ちよく酔っている累のとろんとした笑顔の破壊力たるや。……空は真っ赤になってうめき声をあげた。
毎度毎度、ステージ前後のギャップがすごい。キリッとした顔でヴァイオリニストをやっていた累が、空の前ではこの甘えたような可愛い笑顔だ。……これにやられないわけがないのである。
あっけなく累に負け、ベッドではなくソファに押し倒される。はじめは冷たい冷たい! と文句を言っていた空の口からも、徐々にか細い喘ぎがあふれ始めて……。
しんしんと雪が降り積もる聖なる夜に、甘い睦言が静かに響く。
『彩人からのイブの依頼』 おしまい♡
明日のおまけでクリスマス編は完結です!
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