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第1話

 昨晩、俺はある人に指輪を贈った。 『チィコね、実は男なの(^▽^)言い出せなくてごめんね(>人<;)でもでも、エリンギくんのこと好きだったから、ゲーム内でとはいえラッキーだったかもww』 「えっ」  思わず画面に向かって声をあげてしまった。『結婚』、というのは、俺がはまっているアプリゲーム『(シャドウ)演舞』における新システムだ。特定のプレイヤー1名と『結婚』という関係を結ぶことができる。2人だけの共通ページを持ち、そこでチャットをしたり、夫婦履歴というページで、互いのガチャや行動のログを共有できるようになっている。その他、夫婦でしか参加できないイベントや達成できないミッションがあったりと特典満載のシステムだ。  指輪はそのために必要な課金アイテムで、昨晩俺はそれをチィコさんというフレンドに贈った。そして、それは受け取られ、晴れて、俺ことエリンギとチィコさんは夫婦になったわけだ、が。 「お前、今授業中ってわかってるか」  ポンと肩を叩かれた。見上げると、現在進行形で受講中の心理学の講師、佐伯先生が立っていた。氷の女王様と崇められ恐れられるその美しい微笑に背筋が凍る。   「あ、はい」 「明日、俺の部屋、反省文提出、200字以内」 「あ、はい」  ポン、もう一度肩を叩かれ、そして、佐伯先生はまた教壇の方へと戻っていかれた。横で友達が「馬鹿ww」とわかりやすく草生やしてて悔しい。  仕方がないので、授業に集中するべく姿勢を正した。じっと佐伯先生を見つめる。講師にしては若い。女友達がまだ20代だとはしゃいでいたことを思い出す。人形のように整った顔、そして華奢な体格が、まるで少女漫画の王子様のようだと人気が高い。  しかし、残念ながら俺は男で、一般教養の必須科目だからとったに過ぎない心理学にそれほどの熱意もなく、佐伯先生の男にしては高い声、抑揚の乏しい穏やかな調子に、どうにも抗いがたい眠気が誘発される。  ああ、ああいう人はアプリゲームなんかに時間を費やしたりしないんだろうな。  *** 『( ̄△ ̄;)おおっ!もう来ないと思ってたww』  夜帰ってからアプリを開くと、チィコさんもログイン中だったようで、すぐに反応があった。 『このゲーム好きだし、チィコさんのことも好きだから普通に平気。驚いたけど』  『影演舞』は、ガチャ券で『(シャドウ)』と呼ばれる特殊能力を持つキャラを引き、組み合わせて戦うバトルゲームだ。そして、今はイベントの真っ最中でもある。 『もうミッション達成報酬のガチャ券引いた? 敵影挑戦前にガチャ大会しようよ』 『いいよww態度、めっちゃ普通ww』 『じゃあ、0時ちょうどから引くね。いいキャラ出ますように』 『あ、待って。0時3分とか中途半端な時間の方が出るらしいよ』 『マジか。了解』  チィコさんのこういう熱心なところというか、真面目なところ好きだな。名前と口調から、若い女の子想像してたけど、意外と同じ歳くらいの男の子だったりして。それはそれで楽しいな。  ガチャ結果は、それぞれ本命じゃないにしろ、SSRキャラを1人ずつ引くことができた。『ありがとう、チィコさん』とコメントすると、『こちらこそ、ありがとう』と珍しく草の生えていない文章が返ってきた。  *** 「私、橋爪謙二は、心理学の授業中にも関わらずアプリゲームにうつつを抜かし、あまつさえ、居眠りをしてしまったことを反省しに参りました。というのも、始めたばかりの一人暮らしに未だ慣れておらず、家事へのストレスは溜る一方で、その息抜きとして手を出したアプリゲームに思いの外ハマってしまい、結果、課金欲にも駆られ、その結果、日々をバイトに追われることになり、そしてその結果、寝不足であったというのは言い訳に他なりませんが、どうぞご容赦を頂きたく、」 「字数オーバーの上、お粗末すぎる」 「申し訳ありません」 「僕も一度注意した後に寝られるとは思っていなかったな」 「申し訳ありません」 「それはともかく、あのアプリは」  咳払いが聞こえてきた。何かを言いあぐねているようだ。目線を上げ、佐伯先生の顔を覗う。何故だか頬を赤らめている。 「あれは、その、『影演舞』だろう?」  え。こくりと頷くと、先生は満面に笑みを浮かべた。  『影演舞』は、マイナーなゲームだ。セールスランキングでもかなり下の方にいる。そんなゲームのタイトルが、今、氷の女王様の口から出た。 「が、画面がチラッと見えてな。まさかとは思ったんだが。まぁ、僕は、課金などはしていないが、この思わずガチャをさせたくなる演出が心理的にプレイヤーに与える影響を興味深く思って、」 「ちょ、ま、先生、プレイヤー? え、マジで? 名前何? フレンド登録して下さいよ!」 「そっ、それはだめだ」 「ええ、なんでですか? 何か恥ずかしい名前つけたりしてるんですか?」 「そういうわけじゃないが、だめだ」 「残念。けど、初めての同志だ! 嬉しいなあ。先生のデッキ見たい!」 「それは、ダメだ」 「頑なー」  結局ユーザー名は教えてもらえなかったけど、それから、なんで呼び出されたのかを忘れて、先生と盛り上がった。あのガチャ演出はよかった、あのイベントは作業だった、アップデートについての意見などなど、話題は尽きない。なんせ、今まで語り合う同志がいなかったのだ。当然だ。 「じゃあ、またね!」 「ああ」  なんてまるで友達のような挨拶をしてその日は別れた。 ***  氷の女王様は、意外と表情豊かでかわいらしい人だった。特に、ガチャ演出について語るときは熱い。授業もこれくらいのテンションでやってくれたらいいのに、そうふと思ってしまい、ついつい言ってしまった。 「先生はさ、もっとよく笑った方がいいよ、授業」 「授業で笑うなんて」 「声がいいから逆にずっと同じ調子だとどうしても眠たくなっちゃうよ」  「居眠りの言い訳だ」、そう怒るかと思いきや意外にも先生は「そうか」なんて頷いた。翌日の授業で、先生は盛大にやらかした。「あんただれ」とつっこみたくなる程、美しい微笑を振りまきながら授業をしていた。思わず呆気にとられ、それから急激におかしくなって吹き出した。  先生は顔を赤くしたくさんの受講者の中、あきらかに俺を睨み付けていた。  素直で、可愛い女王様。 「ああっ!」  今日も今日とて、アプリゲームの面倒くさいガチャ券集めのための作業クエストをぽちぽちとこなしていたところ、突然、先生が声を上げた。 「SSR! 僕の欲しかったキャラ!」  先生が画面を俺に突き出す。その画面にはキラキラ輝くレアキャラのカードが映し出されていた。   「いいなあ! それ俺も欲しかった奴! 新しい(スキル)持ってるんだよね!」 「そうそう、よし、早速レベル上げ!」  先生は、うきうきとした表情でスマホをいじり始めた。うらやましい。俺も何か出ないかな。少しばかり溜ったガチャ券を眺め、そして、ふと夫婦履歴を見た。チィコさんもSSR引いてる。お、しかも先生と同じキャラ。しかも、同じ、時間。  ふと、頭の中で先生がさっき見せてくれた画面が浮かぶ。画面の上の方、プレイヤー名が出ていたはずだ。 それ、なんだった?   「ねぇ、先生、もしかして、プレイヤー名ってチィコさん?」  ごとりと重い音がした。先生がスマホを落とし、目を見開いている。驚いてる、驚いてる。 「俺エリンギ! すっごい偶然! 先生?」 先生は顔を白くし固まっている。あれ、何その反応。ここテンション上がるところなんじゃないの? 「先生?」  なんで、そんな反応するんだろう。  先生は、「あ」と我に返ったようで、床に落ちたスマートフォンを拾い上げようと手を伸ばした。けれど、手先が震えていてなかなか拾えない。 「どうしたの、せんせ」 「僕は! 別にお前にそういう気があるわけじゃないから!」 「え」 「そういうわけで、声かけたわけじゃ、ないから、な」  何を言い出したのかと考えた後、ふと思い当たった。 すっかり忘れていた。 『チィコね、実は男なの(^▽^)言い出せなくてごめんね(>人<;)でもでも、エリンギくんのこと好きだったから、ゲーム内でとはいえラッキーだったかもww』  チィコさんは、先生なんだ。 「安心、しろ」  先生は両手でスマートフォンを握り、俯いたままの姿勢で黙り込んだ。その気まずい雰囲気をどうにかしたくて、俺は無理矢理笑った。 「そんなの、ゲーム内のノリとテンションだってわかってるから大丈夫だって!」 「……ああ」 「もう、そんな動揺されると、先生が本当に俺のこと好きなのかななんて思っちゃう」  ごとり。せっかく拾い上げたスマホが、また、先生の手から落ちた。

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