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プロローグ (2/3)

 秋の涼しい風が頬に触れ、ルカは小屋の庭先から広がる原野を眺めた。トゲのように生える草が揺れて土埃が舞い上がる。その乾ききった大地の匂いも、遠くで放牧している羊の匂いも、ルカには分からない。  十年以上前に、自分の世界から匂いが消えた。  今見ている景色や聞こえている音だけでは自分が外にいる気すらしない。唯一、肌に感じる太陽の温もりだけが感覚の食い違いを埋めて心を落ち着かせる。  息を吸えば匂いがする。ものを食べれば味がする。  そんな当たり前なことがどれほど大切か、失うまで気付かなかった。  半身を削ぎ取られて世界に取り残されたような孤独感に囚われ、匂いも味もなく、ただ目の前を過ぎ去っていく絵面を眺める日々。  夢の中では分かる匂いが、実際どんなものだったかさえ思い出せない。  もう二度と味わうこともないのだろう。 「兄さん? どうかした?」  振り向くとランツが小屋の裏口に立っていた。ほのかに湯気が立つコップ二つを手に、ルカが腰掛けている粗末な長椅子へ歩み寄ってくる。  あの夢を見た日は決まって調子が悪いが、なんでもないように笑うことにはもう慣れた。 「いや、別に。それより、火傷しなかったか?」 「するわけないでしょう、お茶淹れるぐらいで。子供じゃあるまいし」  確かに、もう二十歳を超えた立派な大人だ。だが唇を尖らせて、ふてくされたようにコップを差し出してくる姿が子供の頃のままで、つい笑ってしまう。 「冗談だよ、いつもありがとうな」  昔、二人でよく飲んだこのスパイスの利いた茶をランツは今も気に入っている。訪ねてくる度に作ってくれるが、ルカにとってはもはや泥水にしか見えない。飲んでもなんの味もしない。  美味しい、と呟く弟に目を向ける。  短く切った栗色の髪と緑がかった眸はルカと一緒だが、共通点はそれだけだ。  ルカはオメガで、ランツはアルファだ。  オメガのほとんどはひと月も早く生まれ、身体が小さく、線も細い。  ルカも端麗な顔立ちで華奢にさえ見える。弟には早くに背を抜かれ、体格は比べ物にならない。  住む世界も全く違う。  街外れの古びた小屋でひっそりと暮らすルカと違い、弟は王の側近として城で生活している。衣服も、粗悪に織られた庶民の普段着と、金銀の装飾に飾られた軍服の格差が目に余る。  そんな二人が隣り合わせに座っているのは兄弟だから、というだけではない。その事実が少しだけ淋しいと思いつつも、ルカは本題へ入った。 「話ってなんだ? 仕事か?」 「うん」  ランツが公務の一環としてルカに会いに来るのは仕事の依頼をしに来る時だ――暗殺の仕事を。

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