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第1話
出会いと別れがいっぺんに訪れる四月。
通勤ラッシュの人混みの中、信号が青に変わるのを息を顰めて待っている。
都会に出てきた時はいつかこの交差点から溢れやしないかと不安になっていた。世の中はうまくできているようで、溢れかえるなんてことは起こらず、交差点は人を溜め込んでは吐き出していた。
人が多い都会ではすれ違う人間の顔を見ない。
記憶に留まらず、流れていく。
挨拶する必要も、愛想笑いを浮かべる必要もない。すれ違った相手は赤の他人以下だ。
厳格な風習がある田舎では、地主の息子も相応の振る舞いが求められる。先祖代々の財産は、時としてこどもを縛る。土地を守るに相応しいか、家族からも土地を貸している人間からも見定められる。
祖母も父も、長男である自分が家を継ぐのが当然だと思っている。淡白で雑多な都会に骨を埋めたいという願いは一生叶わないだろう。
春休みに実家に帰った時も、祖母に見合いの話をされた。長男なんてそんなものだ。家を守るために結婚し、こどもをつくる。地元の人々に愛想を振りまき、彼らの金で生きていく。
憂鬱な気分になったところで、信号が青に変わった。動き出した人並みに逆らわず、流されていく瞬間に心が躍る。
すれ違う人の顔は基本的に見ていない。たとえ、少し奇妙な行動をしている人間がいたとしても。だから、それが目に入ったのは偶然だった。
スクランブル交差点のど真ん中。
男がひとり、行き交う人々の間で呑気に空を見上げている。
世に反抗するような真っ赤なツンツン頭。
何故だが目が離せないでいると、空を見上げていたはずの男の薄茶色の視線と絡んだ。
都会で人とまともに目が合ったのは初めてだった。
男が呟いた名前を聞いた瞬間、世界がひっくり返った。
麗かな春の日だというのに、冷や汗が背に滲む。男の視線から逃れたくて足早にスクランブル交差点を抜ける。人の波が途切れるとわけもわからず走り出していた。
朝食をぶちまけてしまいそうな吐き気を必死でこらえる。
春は出会いの季節。
そうは言うが、これほど最悪な出会いがあるだろうか。
穏やかに噛み合っていたはずの歯車は確実に狂い始めていた。
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