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第11話 当初の目的は果たされた 2

 駿介はわずかにびくっとし、誰もいないとわかってほっとしたようだった。そして不審げな顔つきになった。 「好きに、なったんですか?」 「……どうかなあ。微妙なところなんだけど」 「僕のことを?」 「一回しかイってねえしなあ」 「いいんですか?」  至極真面目に、駿介が尋ねた。 「あなたあれだけ謙二郎さんが好きだったのに、本当に消えたんですか?」 「言っただろ。まだまだすぐには無理だって。だけど満足したし、今はもう兄貴とふたりで仲良くしてるのを見ても、まあたぶん耐えられるんじゃねえかな」 「でもあんなガセネタで……あなた催眠術とかかかりやすそうだから、気を付けてくださいよ」  呆れたらしく、困ったように言う。催眠術にかかりやすいのはそっちだろう。眞樹はふうっと笑った。  本気にしたのか。素直なやつだ。  とはいえ全くの嘘ではないように思う。  身体を明け渡すほどそこそこ信頼し、奥深く内臓に触らせるような相手なのだ。そこに痛みではなく快楽を与えられたら、身体が誤解しても仕方がない。  心も身体の一部なのだから、引きずられることだってあるだろう。  夕暮れの部屋の中、ふたりでくすくす笑いあって、どうでもいいことを話しながらベッドでごろごろして、ジュースをもらって、たまに好きな漫画や動画や音楽の話をして、セックスして、勉強を見てやって、キスをしたりしたら、情が移らないはずがない。  そのときは確かに、目の前の彼を見ていたのだから。 「というわけで」  片頬だけで笑うと、眞樹はひょいと机から降りた。 「目的は果たしたので、契約は解消だ。お疲れ」 「え?」 「帰るよ。んじゃまた、機会があったら遊ぼうな。いつになるかわからねえけど」  カバンの紐を掴むと、素早く飛んできた手に押さえられた。珍しくきつく、どことなく焦った眼差しに射られて、それでも軽薄に笑ってやる。 「放せよ」 「どういうつもりですか。僕の返事もなしに帰るつもりなんて」 「おまえの返事なんていらねえに決まってんだろ。兄貴にフラれたから俺でいいって言われてもなあ」  気軽に考えていた。  彼を好きになったら謙二郎への感情を忘れられるかもしれないと思っていた。それは叶ったかもしれないが、結局は痛みの対象が別に移っただけだった。  馬鹿なことをしている。  彼もまた別の人が好きなのだと知っていたのだから、やるべきじゃなかったのだ。  これからはこの痛みをどうにかしないといけなくなった。 「待ってください。言い忘れていたんですが」  大きな手のひらが、眞樹を逃がすまいとぎゅっと甲を掴んでくる。 「先生に告白はしたんですが、言ったのは過去形です」 「……はあ?」  どういうことかわからず首を傾げる。頭の回転が急に鈍ってしまってよく理解できないでいると、駿介は噛んで含めるように言った。 「先生のこと、憧れていましたって、伝えました。それから、今はあなたの弟さんと付き合ってます、帰りを遅くしてしまってすみませんって」 「はああ?」  何だそれ。混乱に拍車がかかる。どうなってるんだ。 「あなたの外堀を埋めるつもりで言いました。先生はあまり驚かれてませんでした。ちょっと拍子抜けしたくらいです」 「――まあ……そりゃそうか」  自分が先に半分ほど春希に言っておいたから、彼はただ相手を確認しただけだ。  嘘を言っていなくて良かったと心底思う。そうでなければもっと事態が絡まっているところだった。 「その後は、先生はどうなんですか、好きな人はいるんですかって世間話として尋ねたくらいです。最後に、あなたとのことで、試験期間中は会うのを控えるよう釘を刺されたので、連絡はしませんでした」 「……はあ……」  眞樹は呆然とした。  ようやく理解が追いつく。毒気を抜かれて何とも言えない間抜けな声しか出ない。彼を失恋させてやったと思っていたのに、逃げ道を絶たれたのは自分の方だったとは。  駿介の手の力がゆっくり抜けた。  目眩のようなものを感じて、後ろの机に寄り掛かる。 「なんで、そんなこと」 「あなたに興味があったから」  のろのろと見上げると、眉間が緩み、やんわりと眉が下がって、駿介の顔は少し情けなさそうになっていた。  それが可愛く見えて眞樹は可笑しくなった。だいぶ、焼きが回っている。 「ずっと先生があなたの話をするから気になってて、だけどあなたはただ一人以外に全く誰にもなびかない様子だったから、……こっち向かないかなって」 「遊び半分で?」 「そこまではひどくないですよ。……でも、まあ、ミイラ取りがミイラになった感じはあります」 「はは、いい気味だな」  力なく笑う。  ドラマチックな出来事や運命的な巡り合わせは全部兄とその友人が持っていってしまった感がある。その脇役になっていた自分たちは、偶然や自業自得で歯車が回っていた。  だけどそれでも、かまわない。胸の痛みは消え、新しい血が通い始めたのだから。 「一緒に帰りましょうよ。せっかく試験が終わったんだから僕の家に来てください」  手のひらで眞樹の片手を押さえたまま、身を乗り出してくる。 「……何もしない、ってわけ、ねえよな……」  だんだん首筋に血が上がってくるのを感じる。視線を逸らして床に落とすと、彼の指がじわっと手の甲を撫でてきた。 「もちろん、前のが再現できないか試してみようかと」 「――、マジかよ」  強烈すぎて、人生が変わりそうだ。嫌ではないがいくぶん恐怖感がある。  それに、あれを繰り返されたらもう、どうしようもなく。 「いいじゃないですか。僕のこと、もっと好きになってくださいよ」  駿介の指先が甲にゆるく丸を描いた。 「あれだけじゃ足りません。あなただって足りないでしょう?」  そわっと背筋に甘い痺れが走った。  引きずり込まれようとするのがわかる。抵抗しようかと一瞬考えて、諦めた。彼のことを好きになり始めていたのは事実だった。それならもう、委ねてしまってもかまわないんじゃないか。  身体が先か心が先かなんて意味がない。 「わかった。でも泊まりはなしな」  手を引きずり出してからカバンを掴む。 「兄貴、怒ると怖えんだよ」 「知ってます」  夕食までには帰らないとふたりの保護者に叱られる。自由にできる時間は少ない。 駿介もさっと身を翻してカバンを取りに行った。

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