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#2 朱雀のα 白虎のΩ

「非常に!大変!申し訳ございません!!」 僕は寝台から起き上がれないリューンに対して、冷たい花崗岩の床に頭を擦り付けるように土下座をした。 アルファと思っていたオメガのリューンを、理性を失くして、抱きしだいて………。 リューンの香りに誘われるまま、恐れ多くも嫁ぎ先の主人に噛み付いて番となり………。 番になって、ここまで後悔と恐怖に苛まれるなんて思いもよらなかった。 〝番になったら、この上ない幸せを感じる〟って、一足先に運命の番見つけたミナージュは嬉しそうに言っていたのに、僕に芽生えたのは、ミナージュのその感情とは全く対極の感情で。 体は幸せを、この上なく感じているんだけど。 とてもじゃないが、そんな満たされた気持ちにならない。 いくらある程度の覚悟をしていたとは言え………こんなことで命の危機を感じるとは思わなかった。 リューンを犯して、番にして………必然的に僕がオメガでないことまで露呈して………。 政略結婚、だったはずだ。 表向きはアルファのリューンとオメガ同士で結婚をさせて、永久に僕を人質とするハズで。 異国のオメガをいいように扱う予定だったのかもしれない。 なのに………僕はアルファで。 白虎の国王は、第二王子のオメガという秘密を知って、アルファとしてその体を奪った僕を許すだろうか。 死刑にするかもしれない。 ………覆水、盆に返らず。 僕は土下座をしながら、腹を括ったんだ。 「リューン様に大変失礼なことをしていました!!死刑でも何でもお受けします!!……何とぞ、何とぞ………朱雀の国は……。アルファを隠して輿入れしたのも、すべて私一人の意思でございます!!朱雀の国は何も知らなかったことでございますゆえ、リューン様にした失礼も白虎にした非礼も………すべて、私一人の責任です!!」 頭を床に擦り付けている僕の僅かな視界に、一筋の影が入り込む。 その影はゆっくりと近い距離まで近づいて、白くて逞しい足先が僕の鼻先まで迫った。 ………リューンだ。 手に太刀を持っていたなら、振り下ろされるであろうその太刀により、僕の体は真っ二つで………。 手に燭台を持っていたなら、油を撒かれて火を放たれる可能性も否定できず。 いずれにせよ、僕の頭の中には〝生き延びる〟という選択肢は存在せず、僕はギュッと身を縮めて、目を固く閉じた。 「………俺と、番になるのは………嫌だったか?」 あまりに意外なリューンの言葉と、その悲壮感漂うリューンの声に、僕はたまらず顔を上げた。 精悍で、それでいて綺麗な顔に悲しみを滲ませて、リューンは僕の前に跪いて、僕の頬に手を添える。 ………何故、そんな顔をするんだろう。 ………この人は。 急な発情に見舞われて、理性をなくして………。 その苦しみから逃れるために、抱けと言って、番になれと言って………。 たまたまアルファだった僕を、リューンは利用したんじゃないのか? 「と、とんでもない!!………正直、リューン様から私は逃れることが叶わぬくらい心地良くて、魅力的で………。身体的にも契りを結んだ上に、番という契りまで結んで………身に余ることでございます。ですが………私は、理性をなくして………リューン様に痛い思いを、酷いことをしてしまったので………理性を、抑えられなかった私が一番悪いんです」 床に座り込んだままの僕の体に、リューンはゆっくり両腕を回して貧弱な僕の体を包み込むと、その広い胸に押しつけた。 「俺はシジュと番になれて、こんなに幸せなんだが………シジュには伝わらないか?」 この人は、なんて真っ直ぐなんだろう……。 打算とか狡猾とか、そういう感情を持ち合わせていないんじゃないだろうか……。 こんな状況、「無理矢理犯された」とか「命を狙われて」とか、大騒ぎすればいくらでも僕を陥れて、いくらでも蔑むことができるのに。 ………真っ直ぐで、きれいで。 ………ミナージュに、似てる。 もちろん、外見じゃない。 外見は、ミナージュにはほど遠いけど、リューンからは月季のいい香りがして………。 やっぱり、リューンは運命の人なのかな。 月季のような容姿のミナージュからはそんな香りはしなかったのに、今、目の前にいるリューンから月季の香りがたちこめて………。 惹かれずにはいられない。 「リューン……様……」 「シジュから、とても良い香りがする」 「え?」 「甘い……一度、口にしたことがある。甘い南の国の菓子の香りがして……おまえから離れ難くなる」 「リューン様………恐れ多いのですが………あなたから月季のようないい香りがして。私………僕もあなたから離れ難いんです」 リューンと僕の体の隙間から手を通して、僕はリューンの筋肉質な体を抱きしめた。 体温とリューンの香りが近くなって、そして、どちらからともなく、顔を近づけて唇を重ねる。 祖国……朱雀の、ミナージュのために、死ぬ覚悟でここに嫁いできたのに………。 ある程度の辛いことは想像して、ここに嫁いできたのに。 ………ささやかな、幸せを見つけることになるなんて。 そう、思った瞬間。 僕は朱雀を出る時からずっと張りつめていた緊張の糸が切れて、リューンにしがみ付いて泣いてしまった。 それから僕たちは、寝台の上で体を寄せ合いながら改めて自分自身のことを話した。 おかげで、僕はリューンとの距離がすごく縮まったように感じたんだ。 白虎の王族は、近親相姦を繰り返した結果、オメガが産まれやすくなって、例にももれず、リューンはオメガであること。 体つきや性格から、表向きはアルファとして生活していること。 近寄りがたい綺麗すぎる容姿とは裏腹に、優しくて笑顔がかわいくて………。 そして、甘いものが大好きなこと。 そう聞いて、僕は輿入れで持参したお菓子をリューンにあげた。 「これだ!!シジュからこの香りがするんだ!!俺、この菓子が大好きなんだ!!〝巧克力〟!!なかなか手に入らなくて!!シジュ、ありがとう!!」 「そんなに喜んでもらえるなんて、思ってもみませんでした。白虎では〝チョコレート〟はあまり流通していないんですね」 こんなことなら、もっとたくさん持ってくるんだったなぁ。 おいしそうにチョコレートを頬張るリューンを見ていると、固まっていた心が柔らかくなって思わず笑ってしまった。 「シジュは魅力的だ」 「え?」 「その黒い瞳は星を宿しているかのように輝いて、長い黒髪は天の川のように真っ直ぐで艶やかで。きめの細かな肌は、白くもなく黒くもない。アルファとは思えないほど華奢な体は猫のようで………。俺はこんな天から来た人のようなシジュと番になれるなんて、この大陸一幸せ者だ」 おしげもなく………。 語彙力を総動員して、こんな僕を褒め称えるリューンの言葉に、僕は返事をすることを忘れた口をパクパクさせながら、顔が熱くなってくるのを感じる。 「母が、混血なんです」 母方の血筋を辿ると、僕は大陸を一周半くらいして、そして僕は今、白虎に嫁いだから。 その混血記録はさらに更新することになる。 だから僕は、アルファなのにアルファの影響がほぼほぼでない、特異体質になってしまったのかもしれない。 そういえば、ミナージュも混血だったんだよなぁ………。 だから僕とミナージュはなんとなく似ていたのかもしれない。 ………ダメだな、早く。 ………ミナージュを忘れなきゃ。 こんなに頻繁にミナージュのことを考えていたら、リューンに対して申し訳ない。 だって、リューンは僕の運命の番なんだから……。 「リューン様、お慕い申しております。………つまり、好きです」 「俺もだ、シジュ」 再び唇が重なり、舌が絡まる。 リューンは僕の上にのしかかって、僕の胸を舌で転がしたり、僕のをその大きな手で弄んで………。 あ、これ………お互いの体が共鳴してる。 また………僕は、リューンを押し倒したい衝動に駆られるんだ。 「では、行ってくる。シジュ」 「はい。いってらっしゃいませ、リューン様」 「あんずるな。しばらく発情もないはずだ。それに………」 リューンは口角を上げて優しく笑った。 「シジュから、よい襟巻きをもらった。こうしていれば番の証も分からない。安心しろ」 白くて繊細な民族衣装を纏ったリューンの首元には、朱雀のシルク織、泥染の紬でこしらえたスカーフが風になびいている。 美男子は、何をしても素晴らしくかっこいいなぁ。 色んな意味で、予想外な一夜が開けて。 政務に携わるため、王宮に入るリューンを、リューンと僕が住む西の屋敷から見送って、その後、僕は王宮の塀に沿って歩き出した。 白虎の王宮は立派で、しかも広い。 こじんまりとした朱雀のそれの何十倍という敷地に、政務棟や軍事棟があり、王宮と後宮がその後ろに連立している。 後宮の両側には、リューンの兄が住む東の屋敷と、リューンが住む西の屋敷、さらに後ろにリューンの弟が住む北の屋敷がある。 これを建築するにも莫大な資材と人力が必要なはずだから、この王宮の建物一つをとっても、白虎がいかに裕福で強固な国だということがありありと分かるんだ。 ………こんな状況で、言えたものじゃないけど。 朱雀の国にずっといたら、一生見ることが出来なかった風景だ。 「シジュ様っ!!」 塀沿いをのんびり歩いていたら、切羽詰まった声で僕の名前を叫んでいる人が、僕に駆け寄ってくる。 「シジュ様っ!!勝手に出歩かれては困ります!!西の屋敷にお戻りください!!」 「あ、すみません。………え、と」 「ウーラです!シジュ様の身の回りのお世話を仰せつかっている者です」 「すみません、ウーラさん。勝手にウロウロしてしまって」 キィーアーッ。 ウーラの顔が鬼の面のように怖くなっている時、頭の上から聞き慣れない鳴き声がして、僕は思わず天を仰いだ。 一羽の、大きな鳥。 羽を広げたその姿は、僕の身の丈くらいありそうで………。 その姿に、息を飲む。 「あの鳥は、なんですか?」 「鷹です。シジュ様」 「タカ?………大きな鳥ですね。鳶とはまた違う鳴き声だ………初めて見ました。誰か飼ってらしゃるんですか?」 「いえ、白虎の鷹は野生です。赤子をさらったりするので、白虎では害獣として扱われているんです」 へぇ、大きな鳥だもんなぁ。 僕すら、やすやすと運んでいきそう。 僕は親指と人差し指で輪っかを作ると、それを口にあてた。 ピィィィィーッ。 僕の指笛は空を引き裂く。 大きな翼を広げた鷹は、ゆっくり旋回して、その惰性を使って一直線に僕に向かって急降下した。 「シジュ様っ!危ないっ!!」 バサッ!! 翼が生む風の衝撃と、腕に食い込む爪の感覚………懐かしい。 「………シジュ、さま?」 ウーラは顔を覆った手の指と指の隙間から、僕を驚愕の眼差しで見つめていた。 害獣っていうくらいだから、鷹が人の腕に大人しく着地したところを見たことはないのだろう。 鷹は翼を広げてバランスをとりながら、僕の腕を伝い、肩に移動してその大きな爪を食い込ませた。 「朱雀の国には名前のとおり、いろんな〝鳥〟がたくさんいるんです。こんなに大きな鳥はいませんでしたが、鳶を手懐けるのは得意だったんです、僕」 「……へ、へぇ……すごいですね」 「ウーラさん、何か肉とか準備できますか?」 「ラム肉なら……」 「一欠片、いただけませんか?」 「………か、か、かしこまりました」 白い、真っ白な羽根と、太陽のよな金色の瞳、精悍な顔立ちなのに綺麗で………。 リューン、みたい。 ウーラがパタパタ走りながら西の屋敷に戻るあとを僕はリューンそっくりな鷹と一緒にゆっくり辿った。 「ねぇ、僕ここにずっといることになったんだ。また、遊びに来てくれる?」 鷹は首を斜めにして、キィと小さく返事をして………。 僕は誰一人知り合いがいないこの異国の地で、唯一の………。 リューン以外の友達ができた瞬間で………。 異国のこの地で、あとどれだけ生きられるかは分からないけど………。 こうやって一人ずつ、一つずつ………僕と仲良くしてくれる人たちが増えたらいいと思ったんだ。

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