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#4 青龍のβ 玄武のΩ

✳︎ 「………ルカ?……ルカ!?」 僕の瞼を透過した遮光ガラスを通してなおも強い朝日で目を開けると、僕の隣に寝ていたはずのルカの姿が見当たらない。 ………変な予感はしたんだ。 虫の知らせのような、胸がずんと重たくなるような不安感がして………。 だから、ルカの服を握りしめて寝たのに………こんなにあっさりいなくなるなんて。 悔しくて、不甲斐なくて………目に熱いものがこみ上げる。 あんなに頼ってくれてたのに………ルカは、なんでも自分で解決しようとするから。 ………僕じゃ……駄目だったのかな……。 ルカの不安を取り除くことは、僕には……できなかったのかな……。 「青香殿、今、よろしいか?」 寝室の扉の向こう側から、聞き心地の良い通る声がした。 ………この声、アミーユ? どうして、ここに? 僕は慌て寝台から飛び降りると、寝巻きの上に着物を羽織って扉を開ける。 「こんなに早くすまないな、青香殿」 「おはようございます、アミーユ様」 「青香殿の客人のことで話をしにきた。入れてはくれまいか?」 「………それが」 「なんだ?」 「ルカが………朝起きたら、いなくなってて………」 「何?!」 「すごく恐縮していたから。自分は奴隷だからここにいることさえも、僕について来てって言った時でさえも。そんなこと気にしなくていいのに………。それに」 「それに………なんだ?」 「………昨日、アミーユ様をお見かけしてから、ルカの様子が変だったんです。………思いつめてるような、我慢してるような……」 「………運命、だからだ」 「………え?」 「多分感じ方は千差万別だと思うが、青香殿の客人………ルカと目が合った瞬間、脳天に雷が落ちたような感じがした。………感覚などあてにならないが、初めてその感覚に確信が持てた。〝この人は、運命の番なんだ〟と」 それで………!! ルカがあのぎこちない笑顔をしたんだ。 アミーユと運命を感じて、とても幸せなはずだったのに。 きっと、〝運命の番〟の直感より。 自分の身分とアミーユの立場に立ちはだかる高い壁に諦めて………身を隠したんだ。 ………ルカらしい。 ルカなら、そういう行動をとるだろう。 ………でも、でも………そうじゃない!! そうじゃないだろ!!ルカっ!! 「ルカを、探さなきゃ………」 「………あぁ。そう遠くには行っていないはずだ。ましてやあの衝撃に触発されて、いつ発情がくるやもわからん………。俺の番なんだ………ルカは」 「………アミーユ様」 なんて強くて、深い………。 これが〝運命の番〟の繋がり………ミナージュが、危惧して僕に釘を刺した訳が分かった。 敵わないものは敵わない、それでも、その事実に傷付かないと言い切れる、か。 ………それでも僕はルカが………ルカのことが好きなんだ。 だから、ルカを一刻も早く探さなきゃ。 また、どこかで苦しんでる………。 また、どこかで我慢してる………ルカは、そんな人だから。 「青香殿!!」 その時、扉の外から僕を呼ぶ鋭い声が響き渡った。 「シジュ、どうしたの?」 勢いよく開いた扉から先には息を切らしたミナージュによく似たキレイな人、白虎の第二王子に嫁いだシジュが現れた。 緊迫した顔、いつも穏やかで冷静なこの人が、こんな顔をするのはめずらしい。 「あの子………玄武のオメガの子は?!」 「それが………朝起きたら、いなくなってて………」 「!!………本当だったのか………!!青香殿!アミーユ!すぐに出かける準備を!」 「どうした!!何があった!!」 アミーユが詰め寄るように、シジュに近づいた。 「シヴァから連絡があったんだ。〝黄龍山脈の隧道で保護した玄武のオメガによく似た子が、闇市の競売りにかけられてる〟って」 ………あまりのことに、声を失う。 どうして?! あんな目に合って、また………どうして?! 「シヴァからの伝聞だけど、薬が何かを使われて意識が朦朧としている様子だ、と。………とにかく、どうにかして救わないと!!これで売られてしまったら、もうどうにもならない!!」 シジュの声に、考えるより先に咄嗟に体が動いた。 ………そうだ!! 早く、行かなきゃ………ルカを連れ戻さなきゃ!! ルカ!! 昼間だというのに、闇市の競売場は薄暗くて独特なお香の匂いが立ち込める。 あちこちで荒い息遣いが聞こえて………ようやく、そのお香の匂いの意味が分かった。 発情したオメガの香りをかき消すため、オメガの香りに応札者が反応しないため。 …………嫌だ……こんな、ところ。 深く頭巾を被っているにも関わらず、僕は袖で顔を覆った。 多分、だけど。 ルカ以外に、たくさんのオメガがいる。 奴隷として、売られるために。 ルカを、一刻も早く連れ出さなきゃ。 「ここは姑息な手は、通じない所だ。全ては金。あの子を連れ戻すにもそれが規則だ。アミーユ殿、大丈夫か?」 薄暗い部屋の中に浮かび上がる紫色の瞳のシヴァが、僕とアミーユの肩に庇うように手を置いて言った。 「あぁ…もちろん。白虎の王族をなめるなよ、シヴァ。ルカはここにいる。ルカの……香りが濃くなってる」 「アミーユ様、わかるの?」 このむせ返るようなお香の匂いの中、ルカの香りを嗅ぎ分けたアミーユが信じられなくて、愚問だとは思いつつも、つい聞いてしまった。 「…………もちろん、だが?」 「………ですよね、失礼しました」 「おい、始まるぞ」 銅鑼の音を合図に。 燭台の暖かな光の中、素肌に艶やかな衣装を身に纏った諸国のオメガが現れては、次々と落札されていく。 どのオメガも吐息を漏らし、顔を紅潮させて、意識が朦朧としているせいか、視線を遥か彼方に漂わせて。 落札されたオメガは、落札者に抱えられるように会場を後にすると、しばらくして会場の外からそのオメガの苦しそうな声が上がる。 ………まだ、子どもな僕だけど。 なんとなく、壁の向こうで何が行われているかは、容易に想像がついた。 ………なんで? オメガだからって………。 奴隷だからって………。 自分の意思もへったくれもない、お金で買われて言うことを聞かされるなんて……。 なんて理不尽なんだ!! 「………青香殿、大丈夫か?」 やり場のない怒りを抑え込む僕に、シヴァが低い声で囁く。 「………僕はまだ、無力で。まだ子どもで……。 ルカを助けるためにここに来たんだけど。 ………今日、ここで見た事聞いた事は、一生忘れない。 僕が大きくなって、王政に携われるようになったら………こんな事、絶対に無くしてやる!! …………誰一人幸せにならない………よ、こんなの。 闇市とか、奴隷の売買とか………絶対に無くしてやる!!」 握りしめた拳が震えて、手中の爪が掌に喰い込んでいく。 今、何もできないもどかしさと、無力さと。 今すぐ、僕は大人になりたいと切望した。 「あぁ、忘れるな。青香殿。これは夢なんかじゃない、真実なんだ。青香殿が今日抱いた決心、必ずや実現しよう。俺も微力ながら協力する」 シヴァはそう言って、僕の力の入った拳を包み込むように握る。 ………不思議と、怒りに震えてどうしようも無い力が、スッと抜けていくように。 僕の手から、体の中にあたたかで穏やかない力が注ぎ込まれるように感じた。 ………すごい…!! 青碧哥哥ともシジュとも違う………僕は、圧倒的なアルファの力をまざまざと感じてしまったんだ。 「……ルカが、くる!」 その時、アミーユの呟きが僕の耳をつん裂き、男に抱えられて登壇してきた奴隷に目を奪われる。 苦しげな息遣いが、会場に響く。 紅潮した肌が、絹製の滑らかな衣装から覗いて。 綺麗な空色の瞳は、虚に焦点が合わず。 銀糸のような髪が淡い光に反射して、乱れてもなお美しく輝いていた。 ………茉莉花のような香りが、お香の匂いをかき消すように、ルカから湧き立つ。 ルカは壇上の椅子に座らされて、ルカを抱えてきた男がその衣装の前をはだけさせた。 ………ルカの美しい肢体が、露わになって、「………っあ」、ルカが小さく息を吐く。 瞬間、会場から響めきがあがった。 「見てのとおり、玄武から来たオメガだ!雪のように白い肌に水宝玉のような瞳。発情すればこのように熱を帯びて、その蜜を濡らし欲を満たさんがばかりに欲する。これ以上の上玉は無し!開始価格は5千ディルムからだ!!」 5千ディルム………青龍の国なら、その金額で民が1か月暮らすことができる………。 そんな半端な金額で………人の命が、右に左に流れていくなんて………。 やっぱり………こんなのは、おかしい!! 僕の体が弾かれるように動いた。 と同時に、シヴァが僕の体に腕を回して、その動きを封じる。 「離せよ!!シヴァ!!こんな……こんなのすぐ………辞めさせてやる!!」 「青香殿!!堪えろっ!!正義を振りかざして通じる相手ではないっ!!」 「離せっ!!シヴァ!!」 次々にルカを落札すべく、会場の応札者がその価格を釣り上げていく。 5千が7千になり、7千が1万になり。 熱気を帯びた会場で、僕はただこの経過を見守るしかなくて………。 生まれて初めて。 悔しくて………涙が出てきた。 目の前にいるルカに、手が届きそうで届かない。 あられもない格好をさせられた上に、強制的にさせられた発情の熱で苦しんでいるルカを救うこともできない。 そんな何もできない僕を尻目に、ルカの応札価格はどんどん跳ね上がり、僕の手に届かない金額にまでなってしまった。 ………もう、駄目だ。 ルカ……ルカ………。 「………ルカ」 「50万ディルム!」 絶望で、たまらず僕が呟いたルカの名前に被せるように、低く鋭い声がとんでもない金額を発して会場を制する。 その金額に、その声に。 今まで熱気に溢れかえっていた会場が、水を打ったように静かになった。 その声の主………アミーユだ………。 応札者が一斉にアミーユに視線を投げかける中、アミーユは微動だにせず真っ直ぐルカを見つめている。 ………気迫、いや、アミーユの体から薫るように発せられる神気のようなものが見えた気がした。 ………紛れもない、アルファの……神気。 「………勝負、あった」 シヴァが息を飲み込むように呟いた言葉と同時に、アミーユは真っ直ぐルカに向かって歩き出した。 会場の応札者がその道を開け、壇上に近づいたアミーユが懐から札束を取り出すと、出納係にそれを投げつけるように乱暴におく。 「このまま、連れて行ってもいいんだよな?」 アミーユの神気に圧倒された出納係は、無言で頷いた。 ルカのはだけた衣装を整えたアミーユは、軽々とルカの華奢な体を抱き上げると、会場内の応札者を虎のようにひと睨みし、ゆっくりと降壇して、僕たちの所に戻ってきたんだ。 「シヴァ。青香。長居は無用だ。サッサと出るぞ、こんな所」 薄暗い競売場を抜けようやく日の光を浴びた時、その太陽は西に傾きその長く緊迫した1日を労うように穏やかに偏西風が凪ぐ。 ………よかった、ルカを救い出すことができて。 そう安堵して、僕はルカに目を移した。 アミーユに抱きかかえられているルカは、まだ意識が朦朧として本調子じゃないことは明らかだったんだけど………。 嬉しかったんだけど………。 僕は………ルカにしてあげられる最善のことをしなきゃならないって、思ったんだ。 「アミーユ様」 「なんだ?青香殿」 「ルカを幸せにしてあげてください」 「は?」 「ルカは今まで僕には想像つかないくらい、辛いことばかり経験してると思うんだ。 その証拠になんでも我慢しちゃう。 目の前にある、差し出された手でさえ躊躇して握れない。 そんな子、なんだ。 ………だから、アミーユ様にルカの辛かったことや、苦しかったことを塗り替えて欲しい。 アミーユ様にしかできないんだよ。 ………だから、お願いします。ルカを幸せにしてあげてください」 最高の、僕はこの上ないくらい笑顔で言えたと思う。 決して。 強がりじゃない。 ルカのために………。 ルカが幸せになるために、僕は最善の方策を選択したんだ。 僕は、ルカのそばにいてはいけない………。 僕が、ルカから離れなきゃ………。 「青香殿………」 「あっ!僕、ミナージュとシジュとお茶会をするんだった!!先に王宮に帰ります!!では!!」 「青香殿!!待って!!」 僕を制止する声が僕の背中の後ろで響いたけど、僕は振り向くこともせずに、真っ直ぐ走り出したんだ。 振り向いたら、ルカの笑顔を見たくなる。 その声を聞きたいし、その頬に触れたい。 でも、ルカは………違うんだ。 僕には、ルカを縛ることはできないんだよ………。 「………うっあっ」 泣かないって、思ったのに………。 僕の中の、ルカに対する気持ちが行き場を失って。 愛しい思いをどうすることもできなくて。 僕は回廊の隅に体を隠すようにうずくまって、泣いた。 声を殺して。 泣いてることを誰にも悟られないように、泣いた。 それでも、僕のルカに対する想いは粉々になって嗚咽と共に、僕の口から溢れ出して。 西陽が暖かくさしこむ誰もいない広い回廊で、僕の泣き声は響いていたんだ。

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