16 / 18
#3 青龍のβ 玄武のΩ
✳︎
あんなに、ルカが泣きじゃくるとは思わなかった。
玄武の言葉らしきものを呟いたかと思ったら、まるで小さな子どもみたいに、ルカは声を出して泣いて………。
でも、僕は………安心したんだ。
僕に心を開いてくれたかも、って。
僕のことを好きになってくれたかも、って。
………好きっていっても、大人の……恋人みたいな、そんなのじゃ………。
それでも、僕の胸はキュッとしぼんだように切なくなった。
泣き疲れて寝ちゃっても、ルカのその華奢な手は僕の服をギュッと握ったまま、離さなかったんだ。
置いてかれたくない、1人になりたくない。
ミナージュの子どものラクシュが、青葵哥哥に抱っこされて寝てる時みたいな………。
今まで、ずっと1人だったんだよな………ルカは。
辛い時も悲しい時も、ルカはずっと1人だったんだ。
だから、頼りなくて情けない僕を、こんなに求めてくれることに、僕は安心して………嬉しいんだ。
「あ、青香。その子、寝ちゃった?」
「うん。ミナージュ、部屋を貸してくれてありがとう」
「いやいや、僕の屋敷じゃないんだけどねぇ。僕は単なる居候」
ミナージュはバツが悪そうに、指先で頬を掻いた。
「そうそう!白華便で、朱雀の国の火傷痕によく効く薬を取り寄せたんだ。その子の首元に塗ってあげようと思って」
「ありがとう!ミナージュ」
「朱雀は南の国だから、日差しも強いんだ。よく火傷みたいになっちゃう人が多いから、驚くくらい効くんだよ」
ミナージュはそう言うと、僕に体を預けて眠るルカの髪をかき上げると、あらわになったその雪のように白い首の後ろに軟膏を塗る。
「すごく、今まで………我慢してたんだよ、ルカは」
「………うん」
「これからは、さ。ルカにそんな我慢なんかして欲しくないんだ。ルカにもっと笑ってほしい。僕はルカに寄り添って、もう大丈夫なんだよって………言ってあげたい」
「そうだね。でもその選択は、青香を苦しめるかもらしれないよ?生半可な事じゃ、どうにもならないことだってあるかもしれない。………それでも、大丈夫?」
「………ミナージュ」
ミナージュがその漆黒の澄んだ瞳を、真っ直ぐ僕の視線に重ねた。
「その子……ルカが、もっと傷付くことが起こるかもしれない。青香はルカの運命に勝てる?………ルカの運命の番が、いつ現れるかもしれないんだよ?それでも………青香はルカに関わることを選択する?」
「…………」
ミナージュの問いに、僕は返す言葉が見当たらなかった。
確かに僕のしている、しようとしていることは、生半可なことかもしれない。
僕が中途半端に、優しくして、甘えさせて。
もし、僕がルカから離れてしまうことがあったら……?
もしそうなったら、ルカはどうなってしまうのだろうか……?
ルカがバラバラなってしまう………身も心も、バラバラに………そんなことくらい、僕だって容易く想像できるよ。
でも………。
そんな僕の心を見透かすように、ミナージュの眼差しは真剣で、嘘がなくて………。
………いつもは明るくて穏やかなミナージュとは違い、鋭く威圧的な気配に押されて、僕は生唾を飲み込んだ。
………違う。
………違うんだよ。
僕は………僕は………。
「………き、なんだ」
「え?」
「好きなんだ、ルカが」
………ルカが華奢な肩を震わせて、僕にしがみついて、そして、好きになってもらって。
だから僕は、嬉しかったんだ。
それ以上に、僕はルカが好きなんだ。
「ルカが、好き。それは、真実で不変なんだよ。僕は子どもだから戯言のように聞こえるかもしれないけど………。ルカはオメガで、いつか運命的に結ばれた相手が、ルカの前に現れたとしても………きっと、僕の気持ちは変わらない」
なんであの時、隧道で出会ったルカをほっとけなかったのか。
なんでこんなに、ルカのことしか考えらないんだろう。
ルカが好きだから。
青葵哥哥を好きなのとも違う、ミナージュを好きなのとも違う。
多分、だけど。
青葵哥哥がハーレン様が好きというような、そんな好きで………誰がなんと言おうと、僕はルカが好きなんだ。
「……そっか。青香、大人になったね」
「ミナージュ………」
ミナージュは目を細めて穏やかに笑うと、僕の頬にその細くて綺麗な手で触れた。
「あんなにちっちゃかったのにね。大人になったんだ、青香は」
その笑顔は優しくて、でも寂しそうで。
きっと………僕の姿に、我が子であるラクシュの未来を重ねていたに違いない。
ルカが、次第に元気になってきた。
軋むように痛みが走って、体を動かすこともままならなかったのが、立てるようになったし。
うなされて、夜中も頻回に目を覚ましていたのに、ぐっすり眠るようになって。
僕が不意に体に触ると猫のように体を震わせるけど………なにより、少し穏やかに笑ってくれるようになった。
だから僕も、つられてつい笑っちゃう。
「焼印の痕も目立たなくなってきたね、ルカ」
「青香、色々ありがとう。俺、そろそろここを出て行かなきゃ」
青葵哥哥の屋敷の中庭で、子ども達が走り回っているのを眺めながら、ルカが静かに口を開いた。
「どうして?!外に出て、何か当てはあるの?!」
「ないよ。ここ、白虎だろ?しばらく城下町で働かせてもらって、お金が貯まったら玄武に帰るよ」
「な、なら!僕と一緒に青龍に来て!!僕の所で働けばいい!!ね?それでいいでしょ?」
「青香は、優しいね………。青香は王子でしょう?そんな所に俺はいられないよ」
「大丈夫!!大丈夫だって!!」
ルカはにっこり笑って首を横に振った。
「俺は奴隷なんだよ。その事実は、どうしたって変わらない。そもそも白虎の王宮にいること自体、有り得ないことなのに。………これ以上青香に甘えたら、俺は地獄に落ちてしまうよ」
「じゃあ、僕の小間使いとして……」
瞬間、ルカの動きが止まった。
空色の大きな瞳を、より大きく見開いて。
その一点から、目を逸らすことができないかのように………。
僕は慌ててルカの視線の先を追う。
中庭のちょうど対角線上に、白虎の白い衣装を着た背の高い男の人がいた。
柔らかなそうな色素の薄い髪色に、同じ色合いの瞳………。
ハーレン様の弟君・アミーユ王子だ。
一緒にいるミナージュによく似た人には目もくれず、ルカの視線はアミーユを捉えて離さない。
………そして、微かに。
ルカから、甘い匂いが湧き上がった。
「ルカ?ルカ!?大丈夫?!アミーユ様がどうかした?」
「あっ………。ごめん、久しぶりに外に出たからボーッとしちゃって………。あの、人………アミーユって言うの?」
「うん!白虎の王子だよ!」
「………王子…様、なんだ」
ルカは小さく呟いた。
そして、またあの笑顔で笑ったんだ。
ぎこちない、我慢していることを隠すような、そんな笑顔で。
………そして、僕の胸が大きく音を立てた気がした。
不安……?
嫉妬……?
今まで感じたことのない、息が苦しくなるような圧迫感が、僕の胸を押さえつける。
✳︎
運命って言葉、俺は大嫌いだ。
俺のこの人生が運命なら、神様は俺のことが嫌いなんだと思う。
愛情を育んでくれた両親は、目の前で殺されて。
生きるために、たくさんの男の人に春を売って。
………奴隷になって、嬲られて。
これが運命なら、俺はきっと前世で大罪を犯して、それの償いをさせられるために、現世に生を受けたのかもしれない。
だから俺がオメガだってわかった時、〝運命の番〟なんてありえないと思った。
奴隷商人の所にいた時、先に売られていった朱雀のオメガが言った。
「オメガの奴隷は、薬で無理矢理発情させられて、性奴隷に成り果てる」
どう抗っても、俺にはそういう運命が付き纏う。
だから、俺は運命が嫌いなんだ。
運命なんて………。
そんな矢先、こんな所で運命を感じるとは思わなかった。
純粋で真っ直ぐな青香に、父母にされて以来、優しく慈しむように抱きしめらて………俺の人生で初めて平穏で安心する時間を過ごしていて………。
このまま、ここにいたらいけないのに………。
俺の体は〝運命〟に反応した。
背が高くて、琥珀のような瞳の視線が、俺を射抜く。
その瞬間ー。
ビリッー。
雷が落ちて、俺の体にその衝撃が伝わったような感覚がして、俺の体中の血液が沸騰したみたいに、体の底から熱が迫り上がる感じがした。
見たら……いけないのに………俺は、その人から目を離すことができず。
その人も、俺から視線を逸らさずにいて………。
………頭の中がその人で支配されて、その奥底で導かれるように、その人と肌を重ねる姿が鮮明に浮かび上がる。
アミーユ、白虎の綺麗で高潔な王子。
〝運命の番〟を全身で感じたのに、あまりにも俺と違いすぎて、頭が一気に冷たくなった気がした。
奴隷の俺とじゃ、釣り合わない………。
やっぱり、運命なんて言葉嫌いだ。
こんな立場じゃ………奇跡的な運命を感じても、その運命は決して花開くことはない。
………だから言ったんだ、ここに長居をしてはいけないって。
これ以上、傷付きたくないのに………傷付きたくないから、アミーユとこれ以上近づいてはいけない。
青香とも、これ以上関係が深くなる前に………ここから出ていかなくてはならないんだ。
青香は、感が鋭い。
俺から何を察知したのか、その日の夜、寝台を共にして俺の服をギュッと握りしめたまま眠っていた。
………ごめん、ね。青香……。
俺のそばにずっといてくれるって言ってたのに………結局は、俺から離れてしまうことになるなんて。
青香は優しいから、青香の優しさにずっと包まれていたなら………俺はすごく幸せな人生を送ることができたかもしれない。
………アミーユに、出会わなければ……そうしていたかもしれない。
………僕は運命が嫌い、だから………運命に縛られたくないんだよ。
「ごめんなさい、青香。………青香、大好きだよ………。だから、俺のこと………忘れて………」
青香の力の抜けた手を俺の服からそっと離して、俺は青香の形の良い額に接吻をした。
………さよなら、青香。
………さよなら、初めての……愛しい人。
西の国の空気は乾燥して、風が心地いい。
その偏西風に、オレは玄武の国を思い出す。
俺は青香のいる部屋からそっと抜け出すと、裏門から王宮の外にでた。
自由、だ。
いつも俺は他人に引きずられて、色んなとこに連れて行かれて………自分の意思なんて関係なく生きていたから………嬉しいはずなのに、胸が痛い。
………胸が苦しくて、涙がでる。
「………っ!………泣…くな……よ、俺」
力の入らない足を庇うように、王宮の土壁に寄りかかって体を支えると、崩れるようにその場に座り込んでしまった。
自分で決めたことなのに、悲しくて、苦しくて………。
そして………体が、熱くなる。
アミーユに会った時のあの熱っぽさ………。
やばいっ!!発情期だっ!!
「………っ!」
「おい………こんなところに発情したオメガがいるぜ?………どっかの奴隷か?」
「見ろよ、めずらしい玄武のオメガだ。こりゃ高く売れるぜ?明日の競売りに出品しようじゃないか」
「その前に、色つけてやろうぜ?そっちの方が高く売れる」
「……触る…な!!………離…せ!!」
嫌な……その男たちからは、俺の嫌いな匂いがした。
………生臭い、死体のような、嫌な匂い。
その匂いや手から逃れたくて、懸命に手足を振り回して………そこまでは、鮮明に覚えてる。
押さえつけられて何かを飲まされたら、火をつけられたんじゃないかってくらい、体が熱くなった。
体に力が入らないのに、後ろの秘部が溢れるくらい濡れて………体が開いてくる。
あんなに苦痛だった交接が、したくてたまらない。
「ん……はぁ、はぁ……あ」
「こいつは、上玉だ。見ろよ、発情の熱で白い肌が上気して、牡丹の花みたいに鮮やかだ」
「明日も薬を盛って、高値をつけてやろうぜ」
その会話は夢の中のように、微睡んで聴こえて。
男達は俺を乱暴に犯すのに、体の奥がそれを深く咥え込んで離そうとしない。
突き上げられる度に声が漏れて、何人て男に何度も犯される度に体が求めるんだ。
〝こんなんじゃない!早く運命を寄越せ!!早く胎の中を運命であるアルファの精子を飲み込め〟って。
「……ぁん…あぁ………あん………やぁ」
「射精くの辛いだろ?縛ってやるよ。………しかし、すげぇ匂いだな」
「大事な商品だ、噛むなよ。おいオラ、口でもやってくれんだろ?金持ちに気に入られたけりゃ、頑張って俺を満足させてみな?」
口の中に熱いものが入って、喉を擦るようにその速度を上げてくる。
………これで、いいんだ。
青香が俺を忘れて、幸せになってくれたら。
アミーユが別の番を見つけて、幸せになってくれたら。
いいんだ。
みんなが幸せなら、俺も………俺もきっと幸せだ。
ともだちにシェアしよう!