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#2 青龍のβ 玄武のΩ

何も考えたくなくて、何もしたくなくて。 青葵哥哥の住む屋敷の中庭で、空を仰いで流れる雲をぼんやり見ていた。 あーあ。 僕、馬鹿だなぁ………。 結局、ルカを傷つけてしまった感じになってしまってさぁ………。 ルカの〝今まで〟を知ることができたけど、ルカの〝これから〟については、暗に拒絶したされたみたいになっちゃって………。 強がって、つい「知りたい!教えて」なんて言っちゃったけど………。 目は泳いでただろうし、声は上ずってたし。 ルカの思いもよらない行動に、腹を括ったはずの僕の覚悟と自信は支えを失って、ゆらゆらして………。 泣き出しそうなのを隠すように、ぎこちなく笑うルカの笑顔を思い出すたびに、僕の口からはため息しか出てこない。 「だから青香、あなたは!!軽はずみな行動がすぎるって、あれだけ言ったのに!」って青葵哥哥にまた、こっぴどく怒られてしまいそうだ。 別に………。 ルカの過去が許せないとか、二度と顔も見たくないとか、重症な程度のことではなかったんだけど。 「かわいそう」と言ったらルカをより傷つけてしまいそうだし、「大丈夫!平気だよ、そんなの」と言ったらルカに警戒されてしまいそうだし。 自分の思いを、ルカに的確に伝える術を、僕はまだ知らないんだ。 「はぁ………」 「どうしたのー?」 ため息を吐いたと同時に、僕の目の前に目玉が四つ現れて、驚いた拍子に僕は、次のため息を飲み込む。 ………うげ、苦し……。 漆黒の髪色に、水面に弾く陽光のような瞳と。 金色の髪色に、夜空のような煌く瞳と。 色の違いはあるけど、そっくりでかわいい子どもたちが、僕を除きこんでいる。 サラシャとアイシャだ。 「どこか痛いのー?」 「………どうして?」 「お目目、泣いてるよ?」 ………あちゃー。 かっこ悪いとこ、見られちゃった。 「うん。………痛いかも」 「いたいの、いたいの、とんでけーっ!」 「……ありがとう。もう平気だよ」 「お友達とけんかしたのー?」 「けんか、じゃないかな?でも、近いかも」 「ちゃんと〝ごめんね〟したー?」 「え?」 「青葵様がいつも言ってるよー。けんかしたら〝ごめんね〟って言うんだよー!ねー、サラシャ」 「泣いてたら、〝よしよし〟してあげてって!ねー、アイシャ」 ………〝ごめんね〟ってさ。 さらに、〝よしよし〟って………。 単純だけど………単純すぎて、思いつきもしなかった。 僕の気持ちを素直に伝える術、これだ………!! これだよ!! 心が前向きになった瞬間、無意識に僕は、サラシャとアイシャの小さな手を強く握っていた。 「サラシャ、アイシャ!君たちは神童だっ!!ありがとう!!」 「しんどう?なに?しんどうって何?」 「青香さま、遊ぼ?」 「ごめんね。僕、その人に会いに行かなきゃならないんだ。あってちゃんと〝ごめんね〟と〝よしよし〟してくるね!!」 ✳︎ 物心つくまでは、裕福だった。 極寒の地に僅かにある、不凍土の土地に家があって。 父はその土地の領主で、優しい母もかわいい妹もいて。 何人かの使用人と、暖かい家と。 何不自由なく生活していた。 いつだったんだろうか………。 暖かい大好きな家から炎があがり、使用人は逃げだして………。 大好きな父と母の首が、目の前で体から離れて落ちるのを見た。 妹の泣き叫ぶ声が、耳に突き刺さるように入ってきたけど、俺は泣くことすらできなくて。 獣の皮を被った見知らぬ男達に、その場から連れ去られた。 妹とは、それっきり。 生きてるのかさえも分からない。 獣の皮を被った男たちは山賊で、俺はすぐに人伝いに花街に売られた。 花街といっても男妾がいる、そんなところ。 年端もいかない頃は、男妾の下男として働いて。 何年かして見世に出されてからは、父くらいの人と交接をしてお金をもらうようになった。 馴染みのお客さんもついて、身請けもしてくれるって話も出ていたんだけど………。 俺がオメガというのがわかったのも、ちょうどその頃。 発情期前にもかかわらず、俺から湧き上がる微かな香りで、客が何人も理性を失って、花街中が混乱してしまったことがあって………。 花街でもオメガは珍しくて、混乱を危惧した大店は俺を奴隷商人に売ったんだ。 身請けをしてくれるって言っていたお客さんともそれっきり………。 俺は、男妾以下に成り果ててしまった。 奴隷の身分に落ちると、まだ花街での生活がよかったように思う。 牛か豚のように焼印を押さられ、名前なんて呼ばれず、単なる性の捌け口として凌辱される。 花街にきていたお客さんみたいに、優しくなんて触ってもらえない。 ただ……。 俺の一番最初に植え付けられた衝撃的な記憶は、何年たっても色褪せることなく鮮明に残って、時々俺を苦しめる。 そして今、初めて人を傷つけた。 いつも傷つけられてばかりにいたから、こんなことなんて平気だと思っていたのに。 ………でも………後悔しかない。 あの、見開いた瞳。 青香と名乗った若葉のような真っ直ぐな瞳のせいだ。 『あなたの今までを知りたい。そして、あなたのこれからを見てみたい』 僕とは全く正反対。 何もかも綺麗な王子様と、何もかも汚れた奴隷と。 擦れてない世間知らずな青龍の王子が差し伸べた手を払い退けてから、こんなに胸が苦しくなるなんて思いもよらなかった。 でも………俺は、誰からも愛されちゃいけない。 誰も好きになってはいけないんだ。 あの日も………あの日も、いつものように………。 「オラ、よがれよ!もっと!」 「しかし、微かだがオメガの匂いだな。ヤりたくてしょうがねぇ」 交接自体、ただの一回だって気持ちが良いと思ったことがない。 お客さんに春を売っていた時は、多少なりともお金を貰っていたから、それなりに演技はしていたけど、何の見返りもないのに気持ちが良いフリなんてできるわけがない。 ましてや腕を捻じ上げられながら、後ろから乱暴に突っ込まれて、俺の口の中には別の男のが無理矢理ねじ込まれて………。 お前らは気持ちいいかもしれないが、俺にとっちゃ苦痛以外、何ものでもないんだよ。 「……っん……んっっ」 「こいつ、発情期前なんだろ?今でこんなに匂いをさせてたら、後々どうなんだよ?」 「とんでもねぇ淫乱になんだろ?見ろよ、下の口がオレのを咥え込んで、ヒクついてるぜ?」 勘違い、すんなよ………!! 勝手な解釈もするな!! 覚えとけよ………いつかお前らの喉、掻っ切ってやる!! ガチッ……。 凌辱の時間が長くなるにつれ、俺の意識が朦朧としだしたその時、足元で金属が軋む音がしたんだ。 「………っ、ん」 外で奴隷商人たちの大声で、俺は目を覚ました。 「七八一番が逃げたぞーっ!青龍の奴隷だ!!早く捕まえろっ!!」 その声に、胸がざわついた。 逃げる………? ………逃げるなんて、考えてもみなかった。 何が起こってるのか、小さな窓から外の様子を伺いたくて、俺が足を動かした瞬間ー。 ーパキン。 乾いた音が小屋に鳴り響いたと同時に、足枷で自由を奪われていた足が、急に動くようになった。 ………鎖が、切れてる。 前から思っていた、鎖の劣化が激しかったところが真っ二つに割れて。 俺の自由を奪っていた鉄の杭から、足枷が離れている。 ………これは、またとない………俺の人生の中で初めてまわってきた好機なんじゃないだろうか? 他の奴隷が脱走したから警備も手薄で、この小さな窓なら俺の痩せぎすな体も通るはず。 ………自由を、手に入れるんだ………絶対………。 絶対っ!! 無我夢中で窓枠に手をかけて、体を外に投げ出した。 もんどりうって地面に体をぶつけて、痛さなんて分からないくらい興奮していた俺は、弾かれるように立ち上がると、足枷の付いたままの足で走り出したんだ。 暗い山の中を、走る。 木の枝に顔をぶつけても、木の根っこに足をとられても………あの場所から、一刻も早く立ち去りたかった………。 息があがって足が重たくなっても、止まることができない。 ………止まったら、捕まる。 捕まったら、次こそは命がない………!! 今まで生に執着したことなんてなかったのに………。 今はこんなに………生きたい!! 走って、走って………一晩中、走って………あの隧道にたどり着いたんだ。 あの時、隧道の中で初めて軽い発情を経験して、抜け道に身を隠して………青香に、助けられた。 助けてくれたのに、拒絶するようなあんな事をして………。 いつまでも、ここにはいられないし………体の痛みが引いたら出ていかなきゃ。 というか、ここはどこなんだ………。 「ルカっ!!」 「!?」 今し方、打ちひしがれたような顔をして部屋を出て行った青香が、満面の笑顔で再び俺がいる部屋に舞い戻ってきた。 ………純粋培養の王子様は汚らわしい俺を毛嫌いするどころか、さっきより晴れ晴れとして吹っ切れたような顔をして。 俺の予想の斜め上の行動をしてくる青香に、驚かされるやら………平常心を保てなくなっている。 広い歩幅で俺に近づいた青香は、両手を広げて、ありったけの力をもって俺をその胸におさめた。 「ルカ!さっきはごめん!!僕、経験がないから驚いちゃって。ビックリしただけなんだよ?嫌いになったわけじゃない!!むしろ嬉しい」 「………な、何…言ってるんだ」 「あ、ほら!その顔!!泣いていいよ?ルカ」 「はぁ?!」 「気付いてないだろうけど、ルカはまた、泣きそうな顔をしてる」 「…………」 「ここにいれば、もうルカを傷つける人はいない。僕がそばにいてあげるから………。一人じゃないんだよ?だからもう、我慢しなくていい。ルカの本当を………我慢で塗り固めた鎧を脱いで、ルカ」 乾いた心に水が一滴落ちてきて。 それがじんわりと染みて、広がって………満たされてるように、潤っていく。 また、無意識に涙が頬を伝った。 まるで子どもをあやすように、青香は俺の背中を慰めるように軽く叩いて………俺の遠い記憶が呼び起こされた。 「мама………」 こんな風に、交接する事以外で抱きしめられたのって、何年ぶりだろうか。 青香の体温や、その手が………小さい頃、俺にやってくれたそのもので。 ………胸が痛い…………涙が、止まらない。 俺、どうしちゃったんだろう。 仕舞い込んでいた感情を詰め込んだ壺が割れてしまって、その振れ幅が自制ができないくらい溢れ出す。 父の笑顔や、母親の眼差し、妹の笑い声が………走馬灯のように頭の中を駆け巡る。 「っう……うぁぁ………あぁぁっ!」  声を出して泣いた。 青香の体にしがみついて………俺は、涙を堪える事ができなかったんだ。

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