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#1 青龍のβ 玄武のΩ
こんな状況、〝進退窮まる〟って言うんだろうなぁ。
先生が教えてくれた慣用句が、こんな切羽詰まった時に出てくるなんて思わなかった。
白虎と青龍をつなぐ、黄龍山脈の隧道が開通してしばらく。
僕は青葵哥哥に会いに、いわゆる〝お忍び〟で数人の従僕と共に白虎を目指していたんだ。
隧道って一本道じゃないのかな???
その一本道の隧道で、まさか迷子になるとは思いもよらなかった。
後から青葵哥哥に聞いて分かったことだけど、隧道にはいくつかの抜け道と、空気穴が存在するらしい。
その時僕は、その抜け道に迷い込んでしまったんだ。
確かに、ぼんやりしていたのは否めない。
だって!初めての旅行!!
青碧哥哥にどやされずに、自由にできる!!
白虎に着いたら、まず大好きな青葵哥哥に会うでしょ?
それから〝シシカバブ〟っていう白虎のご馳走を食べるでしょ?
あの綺麗なミナージュにも会いたいし………って、思いを馳せていたら従僕ともはぐれて、隧道のどの辺にいるのかもわからない、この有り様で。
青碧哥哥が毎日、ばあやの小言のように「青香は悠々自適すぎる!青龍の王子として自覚ある行動………云々」って言っていた言葉の一つ一つが、頭に重くのしかかる。
………さて、どうしようかな。
おそらく、帰り道がささくれ立っていなければ、この来た道を戻るだけなんだけど。
同じ隧道の中だし、このまま真っ直ぐ進んだら、もしかしたら早く白虎につけるかもしれない………なんて、変な誘惑にかられてしまったんだ。
まぁ………なんとかなるよね。
薄暗いを通り越した抜け道の暗さに、僕は持っていた行灯を少し高く上げて先に進む。
………ん?なんだ?
僕以外の、人の気配を感じる。
間違いじゃない、僕の呼吸とは明らかにズレて聞こえる他人の呼吸。
それに、今まで嗅いだことのないような、青葵哥哥とも違う、微かな甘い香り。
ーゾワッと。
全身の毛穴が泡立つ。
………あ、やっちゃったかな。
あれだけ青碧哥哥が口を酸っぱくして、僕に対する戒めをとくとくと説いていたのに。
この状況、幾ら青龍と白虎の兵士が隧道の警備をしているとはいえ、山賊が隠れていない時いう保証もない………んだった。
………でも、ちょっとまてよ?
この感じ………怖くないかも。
どっちかっていうと、青葵哥哥とかミナージュとか、そんな感じに近い気がして………。
僕は、行灯を先の方に伸ばすと早足で抜け道を歩き出した。
〝……はぁ………はぁ〟
近づく、荒い息づかい。
近づくにつれ、強くなる甘い香り。
それは行き場を失ったように、抜け道に反響して纏わり付く。
誰かいる………。
絶対………。
空気が、こわばる。
「!!」
結果から言うと、〝どこかに抜けるはず〟の抜け道は行き止まりになっていて。
その壁に蹲るように人が倒れていた。
僕の行灯の光で、その人の体が大きく震えて僕を睨み返す。
綺麗な晴天の青空のような瞳、銀糸のような輝く髪。
僕と背格好が同じくらいのその人は、特徴的な形の黒っぽい玄武の服を着ていて………。
鎖が切れた足かせが、その白くて細い足首に付いていた。
その似つかわしくない鉄の輪っかとは裏腹な、玄武の白金細工の首飾りをして。
何より、そんなことがぶっ飛んでしまうくらい、人間味がないくらい、そう壁画に書いてある天女のような綺麗な顔をしている。
………一目で分かる。
この人は、逃げてきたんだ。
奴隷かどうかは分からないけど、おそらくそれに近い環境から逃げてきたんだ。
「……大丈夫?怪我とかしてない?立てる?」
怖がらせたら、いけないよな?
極力笑顔で、警戒されないように配慮して、僕は小刻みに体を震わせながら鋭い目で睨み付けるその人に話しかけた。
青葵哥哥みたいな優しさで………理想を思い描きながら。
「………な…!」
「え?何?」
その人から発せられた掠れた小さな声は、抜け道に反響して明確に聞き取れない。
「……俺に構うな!!………あっちへいけ!!」
「君、すごく辛そうだよ?……放っておけないよ」
「偽善だ!!どうせおまえも、あいつらの仲間だろ!!」
「あいつら?」
「………!!」
こわばっていた空気が、一瞬にして爆発した。
体を鋭く反転させると、その小さな動力を拳を振り下ろす力に変えて、その人は僕に飛びかかる。
〝捕まってたまるか!〟って、心の中の叫び声が聞こえてくるくらい必死なその顔に、僕は動けなくなってしまった。
………この人になら、殴られてもいいかな。
歯を食いしばって体に力を入れた瞬間、目の前のその人が急に視界から消えた。
「ちょっ?!大丈夫?ねぇ!!」
僕の足元に崩れるように倒れ込んだその人を、咄嗟に抱きかかえると、ありえないくらい発熱していて、僕のその手に余計力が入る。
「………は……な、せ」
「こんなに熱があるのに、離せるわけないよ!いいから動かないで!」
「………な……せ」
もうすでに、体力的にも気力的にも限界だったのかもしれない。
その人が眠る様に目を閉じたと同時に、火鉢の様に熱い体から一気に力が抜けた。
とりあえず、眠ってくれてよかったけど………この人を背負ってこの隧道を抜けきれるか、僕自身の体力勝負だよなぁ。
でも、やらなきゃ。
どのみちここにいても、どうしようもない。
意を決してその人の腕を肩に回そうと体の向きを変えた僕の目の前に、行灯の灯りに照らされた馬の顔があって、僕は「ひぃぃ」なんて、情けない声を上げてしまった。
な、なんで?なんで馬??
「おまえ、こんなところで何をしている」
馬の背後から、響く低い声。
その瞬間、僕の背筋が冷たく強張るのを感じた。
………この人を、追いかけてる人かもしれない!
玄武と思しき人を背負った僕は、たまらず行き止まりの壁際に後退りして間合いをとる。
………どうしよう。
逃げる術を、思いつかないや………。
行灯の灯りが徐々にその声の主を照らし出す。
黒い髪に精悍な顔、そして驚くほど澄み切って輝く紫色の瞳の男が現れた。
「この人を……捕まえるの?」
「はぁ?!」
「この人、具合が悪そうなんだよ!!だから、見逃して!!お願い!!お金ならあげるから」
「はぁ???」
情け無くも………。
僕は目の前の相手に腕力で敵わないと判断して、金でなんとかしようという策に出てしまった。
僕がしっかりしてれば………さぼらずに青碧哥哥にちゃんと武術を習ってたら、こんな情けない思いはしなかったはずなのに………。
「おまえ、青龍の王族か?」
「!!……な、なんで?!」
「青香王子だろ?」
「えっ!!」
「その背負ってるヤツをこっちに連れてこい。馬車に乗せるから」
「…………」
怪しい………。
僕の出自や身分、挙げ句の果てには名前まで言い当てるなんて………怪しいすぎる。
悪くて山賊か暗殺者、良くて神様だ。
「白虎の青葵様に会いに行くんだろ?俺が連れてってやる」
「なんで?!なんでそこまで知ってるの?!」
その男は口角をキュッとあげると、目尻を下げて笑った。
「俺は宝石商のシヴァ。ミナージュの番だ」
「え?ミナージュ!?」
「おまえが行方不明になったって、先に着いた従僕からミナージュを介して、連絡を受けたんだ。見つかってよかった。ついでに病人も助けられてツイてたな、青香王子」
………本当に、僕はなんて幸運なんだろう。
こんな切羽詰まった状況で、助けが来てくれるなんて。
そして、安堵したんだ。
僕の背中まで熱くするくらい辛い目に合ったこの人を、ちゃんと救うことができるんだって。
「本当、青香は………。自由人というか、なんというか。末の王子とはいえ、もう十二になるんだから、もう少しちゃんと考えて行動しなきゃ………」
白虎につくや否や。
僕は、いつも優しくて滅多に怒らない青葵哥哥が、目を吊り上げて言った。
どことなく語尾がキツめで、僕は小さく震え上がる。
………青葵哥哥を怒らせたのって、僕くらいかな?
「青葵さま!お庭で遊んでいい?」
僕が青葵哥哥に怒られて微妙な雰囲気なんて、お構いなしに。
今の今まで絵を描いて遊んでいた小さな子どもが3人、部屋の中を走り回って中庭に走り出す。
「いいよ。でも、桜の木には登ったらいけないよ?分かった?」
「はーい!」
「サラシャ、アイシャ!ラクシュはまだ小さいから優しくするんだよ?」
「わかってます!青葵さま!!」
子どもたちの笑い声が、あっという間に遠くにこだまして、あまりの展開の速さに僕は呆気にとられてしまった。
でも、子ども達を見つめる青葵哥哥の瞳は驚くほど穏やかに凪いでいて………。
すごく、幸せそうに見えたんだ。
「青葵哥哥………元気そうでよかった」
「うん、元気だよ?ずっと前からね」
「………幸せ?」
「うん、すごく。………幸せ」
「……ずっと、ずっと、ずっと!!心配だったんだ!!僕がいくら手紙を書いても、青葵哥哥からは返事すら来なくて………心配で、心配で。……ひょっとしたら、もう………二度と、会えないんじゃないかって!!」
僕はまだ子どもで未熟で。
感情がどうしようもなく昂って、思いの丈を口から吐いた。
そんな僕に。
青葵哥哥は、穏やかにその顔に笑みをたたえたまま、小さい頃の僕にしていたように、その手を僕の頭にそっとのせた。
「ごめんね、青香。心配、したね」
「………青葵……哥」
「こうして、好きな人のそばにいられて。
子ども達に愛されて、囲まれて………幸せなんだよ。
事情があって、僕はこの先子どもを望む事ができないから。
例え僕の実子じゃなくても、いい。
好きな人とともに時間を刻めたら、それでいい。
………でも、それを受け入れるまで、時間がかかってしまった。
………青碧哥哥にも、青香にも。
心配をかけていることは重々承知で…………。
そういう、経験をしたからこそ、今はすごく幸せなんだよ」
青葵哥哥の顔は、無理なんてしてないし、極々自然で。
胸が……大きく震えて、小さく音を立てた。
少なからずとも、僕がもう少し大人になったら。
もし、好きな人ができら。
僕も、こんな顔をすることができるようになるんだろうか………?
でも、青葵哥哥に会えて………本当によかったって心の奥底から思ったんだ。
「失礼します。青葵様」
背後の扉の方から凛と響く綺麗な声に、僕は途端に懐かしいさを感じて振り返る。
「ミナージュ!!久しぶり!!」
「青香!!見ない間にすごく大きくなったね!!あっという間に、背ももうすぐ僕を追い越しそうなくらい、高くなっちゃって。もう立派な青龍の王族だよ」
「そんなことないよ。ミナージュは、全然変わらないね」
ミナージュの後ろには、僕と綺麗なあの人を助けたくれたシヴァがいて、僕越しに中庭に目をやった。
「青香、君が助けたあの子。疲れてるみたいで、死んだように眠ってるよ。でも、酷い怪我とかはないみたいだから安心していいよ」
「よかった……」
「でも………」
そう次の言葉を濁すように口をつぐんだミナージュは、隣にいるシヴァに視線を投げかける。
「ここんとこ……椎弓って骨の下あたりに焼印があった」
シヴァの言った言葉に、全身の血が足元に落ちた気がした。
焼印って………。
奴隷とか………。
大陸の国間では、すでに人身売買が禁止されてるのに………?
どうして………?
「おそらく奴隷として、売られる途中だったんだろう。………あんなに綺麗なオメガならきっと高値で売れる」
「あの人、オメガなの?!」
「ああ。上手いこと逃げて、逃げる途中で軽い発情をおこしたんだろうな。青香王子が見つけてくれてよかったよ。あのままだったら、大変な事になっていただろうな」
僕は今まで、なんて井の中の蛙な生活してきたんだろう。
痛いほど………世間知らずで、子どもだと言うことを知った。
知りすぎるくらいで、胸が痛い。
奴隷なんて、人身売買なんて、命の保証がない毎日を送る人がいるなんて。
なら、僕は………。
「ねぇ、ミナージュ」
僕は腹を括った。
「あの人の看病をしたい。あの人がどうやって生きてきたか知りたい。だから、あの人の側にいてもいいかな?」
ミナージュは星のように煌く瞳を優しく細める。
「青香の思うようにしたらいいよ。青香が何をしたいか、何が正しいか。頭で考えるより、実際に経験してごらん。きっと青香の糧になるよ」
「うん!ありがとう!!と、いうことで!!青葵哥哥、青碧哥哥にしばらく帰りませんって連絡してて!!」
「あっ!!ちょっ……青香!!もう!!」
僕は扉をあけて、あの人のとこに行くべく、長い回廊を走った。
緊張、しないわけじゃないけど………。
僕のこと、嫌いかもしれないけど………。
あの人に、会いたくて仕方がなかったんだ。
願わくば、あの人の名前が知りたいし、名前を呼びたい。
願わくは、あの人の笑った顔がみたいし、その笑顔を僕に向けて欲しい。
初めて知ったこの感情を、なんていうのかわからないけど。
僕は、自分の殻を破った気がした。
僕の決意がグラついて、心が折れそうになる。
なんというか、難攻不落。
熱も下がって、深い眠りから覚めたその人は、僕の顔を見た瞬間、泣きそうに顔を歪めた。
でも、その胸を打つような表情を見せたのは、ほんの僅かで。
すぐに鋭い視線を僕に向けると、その人そっぽを向いてしまった。
「元気になってよかった!何か飲まない?お茶ならあるよ?」
「………」
「じゃあ、甘いものは?朱雀名産の巧克力っていうんだって!!」
「………どうして?………どうしてそんなに俺に構う」
その時、ちゃんと僕を見てくれた。
二つ並んだ宝石のような綺麗な瞳は、戸惑っているようで、もしくは怒っているようで。
逸らしちゃいけない………。
僕は、この時を待ってたんだろ?
「僕、青香っていいます。こんなにぼんやりしてるけど、実は青龍の王族です。白虎には」
「………だから、何?」
「あなたの人ことが知りたいんだ。だから、自分のことをあなたに知ってもらいたい。いけない?」
「………知りたいと思うような、人間じゃない」
「どうして、自分で線を引いちゃうの?」
途端に、その人の瞳が揺れる。
泣き出しそうな顔をして、涙がみるみる瞳に溜まっていく。
「………俺は奴隷だ。家畜のように焼印まで押されて……。一刻の王子が興味を持つ相手ではない」
「今は、違うでしょ?」
「………え?」
「あなたは逃げてきた。そして捕まらなかったから、あなたは自由じゃないか」
「…………」
「すごいよなぁ、僕はできないかも。きっと流されて、こんなもんだと受け入れて。だから、あなたの今までを知りたい。そして、あなたのこれからを見てみたい。あなたの人生に、僕を入れてくれないかな?」
湖の水が滝となって流れるように………。
涙が溢れて出て、ルカの頬を伝う。
「………ルカ」
「ルカって言うの?名前」
「ルカ………。玄武の国から来た」
先生の言っていた一期一会って、こういうこと言うんだろうなぁ。
まだ僕は、ルカのほんの少ししか知らないけど、僕はルカと繋がった気がしたんだ。
「でも、青香は………俺の今までを知ったら………きっと嫌いになる」
「どうして?嫌いになんて」
「俺は、男に抱かれてた」
僕の言葉を遮るように、ルカが僕の思考の範疇を超えることを口にした。
「金をもらって、男に抱かれて………そうやって生きてきた。それ以上でもそれ以下でもない。俺は汚くて、生きる価値のない奴なんだよ」
そう言って、ルカは僕の胸ぐらを掴むと僕を引き寄せて、自らの唇と僕の唇を重ねる。
僅かに開いた口の間から、熱い何が割って入って………僕の舌と絡まり合う。
経験不足の僕は、突然、自分の身にふりかかったこの状況に呆気にとられて。
つい、ルカにされるがままになってしまった。
「これが俺の今までで。俺のすべてで。何もない。これしかない俺を、青香はまだ知りたい?」
寂しそうに、苦しそうに。
ルカは目尻を下げて、笑って言ったんだ。
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