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第4話

 詠心は、自らの部屋に運ばせた打ち掛けをしばし、じっと見詰めていた。  見入っている間に、本当に望月の下で曼珠沙華の花が風に揺れているような気がしていた。そして、それをまとって、すっとしなやかな背を伸ばした美しい人がそこに佇んでいるような気がした。ほんの少し首を傾げて、じっと視線の端で自分を見詰めている.....。  無意識に懐から龍笛を取り出して唇に当てていた。深く息を吸い、湧き出でるままに音を奏でる。高く低く、細く太く....。  それは、詠心自身も想像だにしない音色だった。激しくも澄んで哀しく、それが過ぎると穏やかに暖かく、そして静かに消え入るように曲は終わった。 ーあぁ.....ー  詠心はふいに得心した。自分は頼隆のことは世間の伝聞でしか知らなかった。輝信も、かつての想い人のことは殆ど語ろうとはしない。だが、ただ激しく強く美しい人であった頼隆が、曲を奏でる間に詠心の中で優しく情緒豊かな存在に変わっていた。切なくも深く激しい愛に生きた人......。  ふと顔を上げると情人に背を抱かれ、穏やかに微笑む横顔が浮かんだ。その白い指が、詠心の背後を指指していた。首を巡らせると、輝信が立ち竦んでいた。 「それは......。その打ち掛けは.....」  いつもは堅く結ばれている唇が小さく震えていた。 「頼隆さま......のものでございますね」  詠心は静かに言った。 「頼隆さまが私に示して下さったのです。頼隆さまは、悔いなく幸せに生きたのだと.....。そして.....」  くるり、と輝信に向き直った。 「私達が幸せであるよう、あちらから見守ってくださっていると.....」  輝信の目から一筋の滴が零れて、落ちた。 「今の.....曲は...?」  動揺を隠すように問いかける輝信に、詠心がにっこりと微笑みかけた。 「真の......頼隆さまにございまする」  言葉に詰まる輝信の耳許で、聞き覚えのある声が半ば揶揄するように囁いた。 ー輝信、そなた、存外に果報者じゃのぅ.....ー  それは、かつて天下の覇者となったある男の巌とした声音だった。それに被さるように今一つの声がクスクスと笑っていた。 ーだから言うたではないか、心配はいらぬ...と。ー  輝信は不思議そうな眼差しで見上げる詠心の前に突っ立ったまま、胸内で小さく呟いた。 ー相変わらず、へばりつきおって...ー  だが、その直義の気持ちも今ならわかる。愛おしい者を片時も離したくない。その執着が輝信にもあるのだ。輝信は詠心の傍らにどっかと座し、愛する者をじっと見つめた。 「俺は俺の大切なものを守らねばいかんな....」  詠心の細く頼りない腕が、それでもしっかりと輝信を抱き締めた。    後日、あの打ち掛けを処分するという輝信に、詠心は乞うて、染め直し、仕立て直してもらった。小袖に作り直されたそれには、胸元と裾に大輪の月下美人の刺繍が施され、月光の下で白々と輝いていた。 ー頼隆さまからは、もう血の匂いはいたしませぬゆえ......ー  二人はそれを那賀の里の直義と頼隆の墓所に捧げ、詠心はその墓前で、あの曲を奏した。  奏し終わると秋めいた風が一筋頬をなでて過ぎた。見上げる空には鰯雲の群れがそよいでいた。 ー彼岸....か。ー  まだまだ遠い.....と輝信の横顔に詠心は小さく微笑んだ。

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