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第3話

 その日から、詠心は胸内のざわめきを抑えられずにいた。月の冴え冴えとした夜には特に見えるのだ。朧な影が、庭先にゆらりと揺れて、涼し気な風のように澄んだ声が耳を掠める。 「どうした。最近、食が細うなっているのではないか?」  膳を前に一向に箸の進まない詠心の伏せた面差しを、輝信が心配そうに覗き込んだ。 「御案じくださいますな。暑さが堪えておるだけにございます」  詠心は、輝信の鳶色の瞳ににっこりと笑ってみせ、口をつぐんだ。 ー何ゆえに...何ゆえにあのお方は私の心を揺るがせるのか...ー  詠心が推し測るに、頼隆らしき姿は輝信の前には姿を現していないらしい。また、屋敷の他の者達の口の端にもそのような噂は登ってこない。  輝信が政務で城表に出ている間、なんとも心落ち着かない詠心は、ふらふらと屋敷の中をさまよっていた。  そして見つけたのだ。  宵闇のごとき黒の地に煌と輝く望月、そして金銀の真砂の上に乱れ咲く深紅の曼珠沙華の花の群れを.....。  それは普段は納戸の奥深く長櫃に納められて、隠されていた。輝信が、都の片隅で、拐かされた頼隆の立ち回りに出合い、心奪われた時に、その思いのたけを込めて贈った打ち掛けだった。  頼隆がその袖に腕を通したことがあったか無かったかは、誰も知るものはいない。  頼隆の死後、それは輝信の元に返され、屋敷の片隅にひっそりと眠っていたのだ。  季節の慣いとて、虫干しのために衣桁に掛けられたそれを詠心はしばし呆然と見つめていた。納戸の仄暗い空間の中に浮かび上がったそれはあまりに鮮烈だった。 ーこれが、頼隆さまの...。輝信さまの眼が奪われた頼隆さまの姿....ー  詠心はふっと思い立ち、その打ち掛けを自身の私室に運ぶように命じた。あの面影から逃げるのではなく、真っ向から向き合いたくなった。その気持ちを自ら確かめたかった。  

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