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第2話

 翌日、輝信は普請の現場に出掛けて不在だった。詠心は、昨夜のあの光景を深い闇に浮かぶ紅い唇を忘れられずにいた。 ー何故に、お出ましあそばされたか......ー  漏れ聞くに、存命中の折りには、輝信は頼隆にてんで相手にされなかったという。  詠心は淡色の紗の袖を弄びながら、見るともなく、昨夜、あの影の佇んでいた庭先をぼんやりと眺めていた。 ーまさか、私と番うたことを幽世にて知って、急に未練を起こされたか.....ー  ふっ......と沸き出でた考えに途端に胸の中に波紋が拡がる。詠心を愛でる輝信の姿に面白からざる思いでも抱いたというのか......。 ー身勝手過ぎる...ー  深く想いながら触れることも叶わず、ただ独り取り残された輝信の胸中は如何ばかりであったか......。幾度も『白勢の鬼神』を聞きたいと乞うて、詠心が奏するたびに切なげな眼差しで遠くを見つめていた。  ようやくその瞳の奥の翳りも薄れてきたというのに......。今さら、その心を引き戻してどうしようというのだ。まさか.....。 「酷すぎまするぞ、頼隆さま.....」  詠心とて、ようやく輝信に心を開き、その傍らを自らの居場所と決めたばかりというに......。 『はて、如何なことかのぅ...』  耳許で、いきなり囁く声がした。振り返った詠心の視界には誰の姿も見えず、御簾がかすかに揺れるばかりだった。  詠心は沸き上がる不安にくっ......と唇を噛み、そして龍笛を手に取った。ひそ......と吹口に唇を当て、瞳を閉じる。心の揺れは楽の音にでる。胸内の不安を吹き祓うように、一心不乱に奏で続ける。  ふと気づくと、輝信が怪訝そうな顔で後ろに立っていた。 「何かあったのか?」  穏やかなおおらかな笑みが詠心に歩み寄ってきた。 「何も......何もありませぬ」  答える詠心の眼が潤んでいるのを気づかぬ輝信ではなかったが、その唇から誰何する言葉は聞かれなかった。 「そうか......」  と短く呟いて、逞しい腕が、詠心を膝の上に乗せるようにして抱き寄せた。 「独りで抱え込むなよ.....」  優しい声音。詠心は、ひた.....とその胸に顔を埋めた。太陽の匂いが、海の匂いがして、力強い鼓動が皮膚を通して伝わってくる。 ー何処にも行かれますな.....ー  詠心の胸内の呟きを察したかのように、大きな掌が、くしゃりとその髪を撫でた。

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