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第48話
桐生が店を出ると、他に客はおらず、葉月と悠、自分だけが残された。
葉月とは二人きりであまり話したことはない。いつもは弘前または桐生どちらかがいて、雑談を楽しんでいた。
初めて葉月と二人で話す機会などなく、なぜか緊張している自分がいる。
「今日弘前は来てないんですか?」
「満さんなら山梨に出かけましたよ。出かけたというか連れていかれたというか……」
葉月は呆れた表情で溜息をついた。
弘前は今日も同居人に連れまわされているらしく、毎日楽しそうだ。
「……はは、相変わらず弘前も大変ですね。でもちょっと羨ましいかな。」
同じ小説家でありながら、性格は明るく調子が良い弘前はつねにどこかに出かけているイメージがする。そして今は同居人に毎日のように連れまわされているらしく、会う度に愚痴られた。毎日楽しそうで、充実しているように感じられる。
静かに手際良く洗い物をする葉月はひと段落を終えたようで、珈琲を入れ始めた。
「皐月さん、食後は珈琲と紅茶どちらがいいですか?」
「………あ、珈琲だと嬉しいです。」
「かしこまりました。うんと、美味しく煎れるよ。」
「はは、ありがとうございます。」
短く礼を言うと、葉月はにっこりと笑って、一つ上だと思えないほど可愛い顔で豆を蒸らし始めた。豆の香りが店内に香ばしく広がり、悠は食べ終えたのか小さな鼻をクンクンと動かしている。
他に土曜なのに客はいなく、店内の内装は落ち着いていてとても心地良い。
花と緑の植物、そして絵画が色鮮やかに飾られて癒される。
落ち着いた音楽に夜は美味しいワインが提供されるので、思い出すと飲みたくなってしまう。
「………このまま別れちゃうんですか?」
葉月は蒸らした豆に湯を注ぎながら、唐突に質問を投げかけてきた。
目の前に5歳の子供がいるのでオブラートに説明しなければならず、どう答えようか迷った。
「…そんな気がします。」
「兄さん、貴方に一目惚れだったみたいですよ。毎週、北海道に行ってはその度によく電話惚気を聞かされました。」
葉月は思い出したのか懐かしそうに話し、食べ終わった悠に気づいて微笑んだ。
確かに蒼は欠かさず札幌を訪れては、逢いに来てくれた。
忙しい時ですら二週間に1回とか、寒い冬に来てはうちに泊まったり、ホテルで過ごしたりした。それは日帰りの時もあり、蒼は忙しい時間の合間を見つけては逢いに来る。
冬なんて札幌は寒かったが、蒼に逢うと気持ちは温かくなり、思い出すと幸せな気持ちになるほど素敵な思い出だった。夏は一緒に旅行に出かけ、温泉にも入り色んな場所へ行った記憶がある。急遽東京に戻らなければいけない時、蒼は泣きそうな顔で空港でしがみ付いて、別れるのが辛そうで、不謹慎ながらその顔が可愛くて可笑しかった。
『………良ければ、東京に来ない…?』
申し訳なさそうな顔で、蒼からオルゴールの白い箱を恥ずかしそうに渡された。
開けると可愛いメロディとともに箱の中に部屋のカードキーがあった。
驚いて蒼の顔を見ると、普段は自信ありげなのにちょっと不安そうだった。
さすがに付き合い始めて一年経ち、ずっと札幌に留まっている理由もなく、どうしようか悩んでいた時だった。黒瀬の影を求めつつ、蒼の寵愛のような愛執に溶けそうで流されるまま返事をしたような気がする。
それでも、やはり東京へ戻ると過去の嫌な記憶が蘇り、怯えと憂鬱な気持ちをセーブするのがやっとで、蒼の気持ちに真摯に向き合えてなかったのかもしれない。
蒼も東京へ戻ると忙しそうで、一緒に住んでも会話という会話をしていなかったような気がする。それでも過ごせる時間はお互い大切にして、手を取りながらお互いを埋めていったが、結局無駄だったのだろうか。
ぼんやりと過去に思いを馳せていた。
葉月は珈琲をカップに注ぎ終わると、何かを思いついたのか冷蔵庫から色鮮やかな苺タルトを皿に出し始めた。タルトの形は少しいびつで不格好だったが、綺麗に苺がカットされている。
「一目惚れなんて……」
「…………それだけ夢中になるんだから、愛されてるのは確かですよ。あの人は昔から、あまり人に関心を示さないんですから………それだけ倉本さんは魅力的なんだと思いますよ。だから、もし兄がボタンをかけ間違えてしまったら、僕からも謝りますよ。…あ、このケーキ、サービスです。昨日桐生くんが作ったんですよ。上手にできてません?。」
葉月はクスクスと笑いながら空になった皿を下げて、かわりに苺のタルトとともに珈琲とおかわりのジュースを用意してくれた。タルトは飾り付けは少し不格好だが、とても美味しそうだ。
「あ、ありがとうございます。桐生がですか………?」
悠と自分は葉月へ頭を下げて、タルトを食べた。
生地もサクサクと美味しく、カスタードはほどよい甘さで、あの不愛想な男が作ったかと思うと想像すると少しにやついてしまった。
「ね、美味しいですよね。彼、早く帰った本当の理由はこのケーキを見られるのが恥ずかしかったんだと思いますよ。」
ふふと微笑みながら、葉月はカウンターに腰を下ろして珈琲を飲んだ。
悠も美味しそうに食べて、満足そうだ。
「………あの…」
「なんですか?」
「………桐生とはどんな関係なんですか?」
二人のキスを思い出して思い切って訊くと、葉月ば笑って答えた。
「……そうだな、特別でもない、普通の関係です。」
「なんですか、それ?」
葉月は困ったような顔して、また珈琲を飲んだ。
「まぁ、桐生くんに訊いて下さい。…………僕の気持ちは変わってないので。」
そう言って、上手く誤魔化されたような気がする。
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