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第49話
葉月に礼を言って、店を出るともう14時を過ぎていた。まだ明るく、きつい陽光が散々と照らしていて、木陰を探してゆっくりと歩いていく。
横目には丘の上のせいか碧い海がよく見えて、貨物船が並んで停泊してるのが見える。
結局、桐生と葉月の関係は有耶無耶に誤魔化され、それ以上聞くことはやめた。
機会があれば桐生になんとでも言って、聞けるし、いつか話してくれるだろう。
自分の恋路も上手くいかないのに、アドバイスすらまともに出来ないのだから、今は食い下がって聞くのはやめとくのが無難と判断した。
昼間の外はまだ暑さが残り、日が暮れてもこの湿度と汗ばむ温度は変わらないのだろうとげんなりする。夏はまだ半月は残っており、残暑も厳しそうだ。
黒瀬が戻ってくるのは18時で、都内のホテルで待ち合わせをしていおり、連絡が来るまでまだ時間が余っている。
黒瀬は土曜なのに、商談があるようで、忙しそうで大変そうだった。
朝、玄関から顔を出した時に後ろにいた秘書が頭を下げた。その秘書はスーツを綺麗に着込んで、顔立ちが整っており黒瀬がある一定の職位についていると理解できた。
細身で華奢だが、白い肌が儚げに見えた。眼鏡の奥の瞳はこちらをじっとひどく醒めた瞳で見据えていたようが気がしたが、悠を抱き締めて名残惜しそうにする黒瀬を前に、その表情はすぐに忘れた。
あの調子よい黒瀬の秘書をしているのは大変で、物凄く優秀なのは確かだ。自由気ままな自分とは違うのだろう。執拗に抱き締めて、別れたくないと嘆く黒瀬から悠を引き剥がしながらなんとなく思った。
お互いに苦笑しながら、悠を抱っこすると、黒瀬は不測の事態を心配して、悠にお子様用の携帯を渡した。
携帯はシンプルなデザインで、親の連絡先などが登録してあり、何かあれば直接、黒瀬か黒瀬の秘書へ一報が届くようになっている。
あんなに学生の頃は恋愛にはだらしなかったのに、黒瀬はちゃんと悠を愛して育ててるんだなと傍でその様子を見ながら、幾分か気持ちが和んだ。
長い坂道を下って、商店街を悠とぶらぶら歩いていく。
海が近いせいか、どこか潮の香りがして、数日前に水族館に行った頃を思い出す。
あの時、こんな小さな手を繋ぎなら蒼の幸せを願った。
願って、蒼の声を聴いて、逢いたくなってしまい、自分の幸せを考えた。どこか矛盾しているのは分かったが、一歩踏み出すのも怖くて蒼と離れて時間を過ぎるのを待つしかない。
蒼とやり直しをした時は懸命に蒼に気持ちを伝えようと努力したが、足りなかったようだ。
やはり完璧な恋人と傍にいる為に、欠如した部分を補うには努力では足りず、全ては補えないのだ。
もやもやと考えながら悠と歩き、待ち合わせ時間まで、本屋で絵本を買って、どこかで悠と一緒にご飯を食べようと思った。
「悠くん、夜ご飯は何が食べたい?」
「…ハンバーグ!」
悠はにこにこと笑いながら、答えた。
あまり子供と接する機会はなかったが、黒瀬に似て性格がまともな悠を見ると可愛くてしょうがない。余計なお世話だが、悠は黒瀬の良い所だけ補って育って欲しいと少なからず思う。
自分は子連れで入れるところを検索しながら、悠の手を繋ぎ公園で遊んだボールを肘にかけて、右手に携帯を持ちぼんやりと歩いていた。
そして良さげな店が目星がつくと、ふいに自分が書いたメールを思い出して、開いて眺めながらゆっくりと足を進めた。悠は海に浮かぶ船が見えて横を向いている。
蒼からはあの1通だけのメールだけで、あとは何も連絡は来ていない。
自分が書いたメールの文章を操作しながら、読み直す。泣きそうな駄文が精一杯連ねて書いてあり、修正をしようとも呆れて留飲が下がった。
………もういいかな。
これで、終わりにしよう。
これで諦めれる。
送信ボタンが押された拍子に下がった腕からボールが転がった。
回転しながらボールが道路へ渡り、悠が手を離して取りに行こうとし、はっとして目の前の信号を確認し青でほっと胸を撫で下ろした。
だが、止まりそうもない車が1台走ってくる。
なぜかその車はふらついて、信号機があるにもかかわらず、停止しないと直感的に思った。
嫌な予感ざわざわと全身が青ざめて、急いで悠の元へと走る。
一瞬で、スローモーションのように見えたのは覚えている。
目の前に自動車が大きく見え、携帯を放り投げて、急いで、悠の手を引き包み込むように庇った。ボールが転がっていくのを、視界の端に見える。
そして、ドンという重い音と衝撃が耳を突き刺した。
目の前に車が至近距離にあって、悠を抱きながら少し飛ばされたような感触がした。
悠は大丈夫なのだろうか
冷静に悠の姿を見ると、怯えながらこちらを見つめている悠を自分の腕の中で確認する。
無事なのが分かり、ゆっくりと力が抜けていく。
無傷で黒瀬に悠を返さないと、申し訳ない。
色々あったが、今はいい友人で、散々だったが良い奴なのだ。
頭がずきずきと急に痛くなり、打ったのかもしれないと後頭部を撫でるとべったりと手に血がついていた。悠は無傷だろうかと不安になり、また悠の顔を確認する。
怯えているが傷はなさそうだ。
周囲に人が集まっているような気がし、なにか叫び声のような、こちらに問いかけるような声が聞こえた。
涙ぐむ悠を安心させようと微笑んで、大丈夫だという視線を送る。
自分がどういう状態なのか分からないが、とりあえず刺された時よりはマシだった気がする。
そして恐ろしく眠い
あの電話の日からあまり寝てない。
ぼやける視界を瞼が閉じ、
また記憶を失ったら、笑えるな
そんなくだらない事を頭の片隅で思った。
そしてあのメールを送った事に少し後悔した。
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