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第50話

蒼は慌しい1週間を終えて、ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に辿り着き、やっと飛行機に搭乗できた。機体の中でも論文を読んだり、別件の仕事しようと思い、シートはファーストクラスを指定した。 そして出発する数日前に、皐月に1通をメールを送っていた。 内容は短く、簡単に場所と日時を添えて送った。返信はこない。もしかしたら読んでないのかも知れない。 不安になりながらも、帰国の荷物を纏める時ゴミ箱に入ってたヨレて付箋が沢山貼った観光雑誌を手に取りシートに全身を預けた。もうすぐ離陸準備に入る。 北海道との遠距離の時は散々揶揄っていた皐月が、自分の為にこんなに行きたい所を探してくれている事に嬉しさと切なさが込み上げそうだ。 こんなに沢山の付箋を貼ってたのに、皐月には何処にも連れて行ってあげれなかった。一人で食事して、皐月はどこに行ったんだろう。 あの優しい皐月が怒るのも無理はない。 逢ってくれるかも分からない、もし来なかったらどうしたら良い。あの家に行けばよいか、いや、もし来なかったら潔く良く諦めようと思った。 でももし皐月が来たら、謝って皐月が呆れるまで自分の気持ちを伝えようと思う。 蒼は雑誌を眺めながら、皐月が眺めたであろう雑誌を捲りながらそんな事を考えた。 長時間のフライトから日本に帰国すると、相変わらず蒸し暑く、纏わり付く湿気にうんざりしたが皐月に逢えるかもしれないという思いで、どうでも良くなった。 羽田をでて、タクシーで都内に入り、いつものホテルへ直行して、部屋に運んで貰い荷物を下ろす。 早く逢いたくて、高層階のバーを予約したが、皐月はまだ来てなさそうだった。過ぎ去る時間が惜しく連絡を待つが、皐月の気持ちがどんどんと醒めていくようで辛かった。 待ち合わせ時間は15時を指定した。 ホテルのバーは25時まで酒を飲み、ジャズを聴きながら、夜景を楽しめる。 心地よい雰囲気に包まれた洗練された空間は、都内を一望しながら最高のひと時を過ごせるが今日はそんな気分でもない。 勿論、皐月の家に行こうかと散々迷ったが、逢いに行って留守かもしれず、すれ違いになるかと思い止めた。 「………ごめん、今日は長居してもいいかな?」 低い声でマスターに言って、微笑んだ。 マスターは「どうぞ」といいながら、メニューを差し出し笑顔で何も聞こうとしなかった。 ここの従業員は親しみやすく、礼儀も良いので評判も高い。 メニューを貰ったて一瞥するが、まだ昼間だという事もあり珈琲を注文し、端にある目立たない場所のソファでまだ夕暮れにもならない都内を眺めた。さすが高層階だけあり見晴らしは抜群に良い。 ボストンに移ってからはホテルの経営を弟の紅葉に任せ、今は名ばかりのオーナーとなっている。外科医という職業の合間で必要書類のサインはするが、ほとんど紅葉が全て管理している。我ながら素晴らしい兄弟を持ったと感心する。 陽光がビルを照らし、暑さはさらに増すように空気が歪んで見えた。その蜃気楼のような歪みが自分と皐月のように見え、拗れた糸をどうしても治したいと願った。 下方に目を落とすと、小さく見える電車や車がせわしなく移動し、珈琲を飲みながら疲れた身体を休める。 もし皐月が来なかったら、どうしようかと考えた。携帯には着信もメールの返信も何もない。 「あれ?日本に帰国されたんですか?」 どこかで訊いた事のある飄々とした男の声がした。 はっとして顔を向けると、スーツ姿の黒瀬が立っていた。 黒瀬は驚きながらも傍に近寄り、後ろに秘書らしい男がおり、そちらに顔を向けると眼があった。 秘書は大人しそうだが眼鏡をかけて、黒瀬とは正反対に真面目そうな男に見える。 「………黒瀬さん、こんにちわ。」 疲労感がさらに増したように感じ、また珈琲を口に含んでカップを静かに置いた。 「どうしたんですか?こんな早い時間に待ち合わせですか?」 黒瀬はにこにこと笑顔を絶やさず微笑みかけてくる。胡散臭そうな雰囲気はないものの、苦手なタイプだ。 「………ええ。貴方は?」 波を立てなく、笑顔で黒瀬を遠ざけようとした。 「僕は仕事を終えたので、ちょっとここで一杯飲んで帰ろうかと思いましてね。どうです一緒に?」 淡々とした会話が、お互い笑顔を探っているような気分になった。この男が皐月へつけた傷はどんなものだったのだろうと、聞きたくなる。 黒瀬の表情は悪気がなく、初めて会った時のように軽快だった。 「………すみません、人を待ってるので。また今度誘ってください。」 遠回しにこちらに来ないでくれと秘書に視線を送る。秘書は黒瀬を促し、何かを小声で話した。 「そうか、残念だな。じゃあ、また今度。」 残念そうな顔をして黒瀬は秘書を連れて、離れた場所に座った。皐月がここに来たら面倒そうだなと思ったが、ここに来るかすら分からない。杞憂な心配だった。 黒瀬と物静かな秘書は仲良くメニューを眺めて、ドリンクを注文すると、何やら話していた。二人とも和やかな雰囲気で話し始めて、恋人のようにも見えた。 すると、秘書が電話に気づいてバーから出て行った。 急いで店へ戻ってくるやいなや、先ほどの落ち着いた雰囲気は消え失せ、慌てた表情で黒瀬の耳元でなにかを伝える。 すると飄々としていた黒瀬の顔を一瞬で青ざめ、急いでバーを出て行った。 一瞬、こちらに顔を向けて、何か言いかけようとしたが、秘書が嗜め、すぐに行ってしまった。 秘書も後に続いてカードで精算しようとしたが、注文をキャンセルしてもらい、二人が行ってしまうと嵐が過ぎ去ったような静けさだけ残った。 なにがあったのが分からないが、仕事でトラブルなどあったのだろう。 あの飄々とした男でも慌てる事なんてあるんだなと、その慌てる姿を遠目で眺めていた。 そう思いながらも珈琲を飲んでいると、皐月からメールを受信した。 何時につくとか、そんなものを想像してしまい少し胸が高鳴りそうだった。 メールを開いた瞬間、それが、皐月から自分への別れの手紙だと分かると、自分の愚かさを嘆きそうになった。   ―――――――――――――――――――――――― 蒼へ 沢山の電話とメールありがとう。 こちらこそごめん。もう怒ってない。 謝ってくれてありがとう。 自分こそ嘘つかれた事がショックで、酷い事を言って傷つけてごめん。 本当は躰だけ繋がれてても自分が滅茶苦茶にされてもいいぐらい、蒼の事が好きだった。好きで愛してた。今でも気持ちは変わらない。愛してる。 でもやっぱり、別れて正解だと思うんだ。 逢いにも行けないし、蒼を満足させる事が出来ない自分が悲しい。連絡も少なくて、言葉足らずで本当にごめん。 蒼にはもっと素敵な人がいると思う。すぐにきっと新しい恋人が出来るよ。君の事を好きな人は沢山いる。だからお互い忘れよう。傍にいて、楽しくて幸せだった。もう蒼の元へは逢いにはいかない。ありがとう、元気で。 皐月  ―――――――――――――――― 多分、皐月はここには来ない。 逢うつもりなんてない。 皐月はもう二度と、自分の胸の中へ戻るつもりはないと思った。

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