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第51話
煌びやかな空間で目立たぬようにしていたが、何人かに声をかけられ待ち合わせを伝えながら、やんわりと笑顔で断った。やはり日本でこの身長とハーフの顔立ちは目立つのだろうか。
結局その日、皐月の姿はバーに現れる事はなかった。一人で甘く芳醇な香りのバーボンをストレートでゆっくり嗜み、遠くで美しく奏でられるピアノ演奏に耳をすまして夜景を眺める。
バーボンは爽やかな風味と深いコクがあり、高い度数のアルコールで気を晒しながら味を楽しんで過ごした。いつの間にか日は落ちて、窓の外は夜景が煌びやかに光瞬いて目が眩むようだ。
昼から珈琲と軽食をつまんて過ごし、皐月に似た客を見つけるとこちらに来るのではと身構え、その度に落胆した。
あのメールで皐月は来ないと分かりつつ、まだ望みを捨てきれない。
皐月はもう、自分とやり直すつもりなんてないのだろうか。沢山の人に好かれても、皐月だけいれば良い、皐月だけに愛されて、愛したい。忘れるなんて出来ない。
いや、皐月が知らない他の誰かに触れるのを想像するだけでも嫌だ。
バーボンを飲み干して、胃がカッと熱くなり、グラスを静かに置いて溜息をついた。どうしよう、無駄に考えるのを止め、明日駄目元で逢いに行ってもいこうか……。
「あれ?菫先生…?」
先ほどの女性客とは違う、何処かで訊き覚えのある凛と通った声がして、不意に顔を上げた。
朝倉だ。
ジャケットを羽織り、珍しくラフな格好をしている。
中性的な顔立ちと落ち着いた雰囲気は変わらずで、朝倉は軽く頭を下げた。
お互いボストン以来、連絡は取っておらず、久しぶりの再会に顔を綻ばせる。
「……やあ、久しぶりだね。飲んでたの?」
そう言うと、朝倉は少し寂しそうに微笑んだ。
自分は何杯か飲んでいたが、至って冷静だ。
「今日は有給なんです。友人がここに宿泊していたので遊びに来ました。それで遅くなってしまい、折角なので評判が良いバーがあると聞いて、立ち寄っちゃいました。先生、今夜はここに宿泊ですか?」
「うん、1週間ばかりね。こないだは慌てて帰ってごめんね。」
ボストンでは教授と朝倉に付き合い、街を案内し、昼食をしたりで教授の長い話に付き合わされた。夕食も誘われたが、断って急いで皐月と仲直りする為に帰った。
「…いえ、教授に付き合って貰い、助かりました。教授も喜んでいて、会話も弾んで楽しかったです。ありがとうございます。……あの、一人で飲んでるんですか?」
「いや、待ち合わせをしてるんだ。」
「……………なら…その人が来るまで、少しだけ、ここで飲んでもいいですか…?」
朝倉は向かいの空席のソファに視線を落とした。ラストオーダーまであと30分ほどある。皐月の事を思い浮かべるが、目の前の朝倉を邪険にするわけにもいかない。
ーーーーーそれでも皐月には誤解はされたくない。
「………ごめん、今日は一人で待っていたいんだ。また、連絡するよ。」
「皐月さんですか?」
「……うん、だからごめんね。」
朝倉はじっと真剣な声で話し、淋しそうにこちらを見つめた。その表情は同じ男としても惹かれるほど魅力的で儚げに見える。
「……喧嘩でもしました?」
「…………そんなところかな。でも手離すつもりはないんだ。好きだし、愛してる。大切にしたいんだ?」
散々酷く冷たくして、今さらだった。
「………先生は前から皐月さんの事となると骨抜きですね。」
「そうだね、君には前から皐月の事ばかり話してたね。訊いてくれてありがとう。他に訊いてくれる人があまりいないからつ、いつい話ちゃってね。……………ごめん、そろそろいいかな?」
時計を眺めつつ、離れてくれと促した。
「あっ……!すみません、図々しかったですね。僕、帰ります。急に声かけてごめんなさい。」
穏やかに微笑むと、朝倉は恥ずしげに顔を赤らめ、残念そうに頭を下げると離れて帰って行った。
朝倉は同僚だが、皐月は朝倉の名を出しただけで傷ついた顔をする。何もあるはずがないのに疑ってるのか、嫉妬してるのか、あまり話題に出すのを控えていた。
また朝倉との仲を疑われ、関係がこれ以上拗れるのは嫌だった。
皐月に逢いたい。
逢って、もう一度抱き締めたい
朝倉の頼りない背中が小さくなるのを見送るながら、光瞬いていく儚げな夜空を背にして思った。
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