52 / 59

第52話

静けさと、どこかで見覚えのある無機質な白い天井で目が醒めた。 頭はズキズキと痛み、何かで巻かれてるのかきつく締め付けられて、腕は固定され点滴が繋がられている。 薄っすらと瞼を開いて横に顔を向けると、桐生がなにか書類を確認しながら仕事をしていた。 桐生の後ろのカーテンの隙間は真っ暗でもう夜なのだろうか。 「…………悠くんは無事?」 力なくぼんやりと呟き、桐生はハッとして身体を起こし、目を醒ました事を確認したのか、ほっと安堵したように胸を撫で下ろした。 「………無事だよ。おまえは頭を打って、軽傷らしい。明日、何もなければ退院だ。………良かったな」 「これでまた医療費が飛ぶかな…う…ッ…。」 自分の通帳の残高を思い出し、うんざりしながら笑って溜息をついた。 ゆっくり起き上がると、全身が打ちつけられたように痛み、眉をしかめ唸るように声が漏れる。 幸い、記憶喪失などもなさそうだ。嫌な記憶も最悪な記憶もしっかりと覚えている。 周囲を見渡すと桐生しかおらず、時計の針は20時を回っていた。 「そこは保険会社との相談だな。弁護士を紹介してやるよ。……相手は飲酒運転で酩酊してたが上手く逸れて少しだけぶつかったようだな。黒瀬という男、すごい心配してたぞ。すぐに連絡してくれと名刺渡された。ずっといる気だったが秘書に窘められて、子供と一緒に帰った。」 桐生は困ったように名刺を見せて、うんざりと眉を潜めた。 黒瀬の慌てぶりと悠の顔が想像できて、申し訳ない気持ちになった。 「……ごめん、なんだかまた迷惑かけたね。仕事だったのに来たの?」 「……黒木から連絡があったんだよ。幸い、運ばれたのが前と同じ病院で良かったな。一応入院に必要書類はサインしといた。手術も必要ないし、本当に良かった。………身体は平気か?」 家族がいない自分を気遣ってか、桐生は前回と同じように手続きを施してくれたようだ。 心配そうに桐生は顔を見合わせて、まじまじと整った凛々しい顔を寄せてくる。 葉月とのキスを思い出してしまい、急に薄い唇をに見ると恥ずかしくなった。 「だ、大丈夫だよ。記憶も残ってるし……あっ………!」 不意にあの不格好なタルトが頭を過ぎった。 「な、なんだ……。」 「…………タルト、そう、苺タルト美味しかったよ。ありがとう。」 頭を下げて、上目遣いで笑いながら桐生を見ると、桐生はぐしゃぐしゃと頭掻いて、大きく溜息をついた。 「―――――――ッ………!…本っっっ当に心配したんだからな!タルトなんて沢山作ってやるから、今日はゆっくり寝ろっ!俺は帰る!」 桐生は顔を赤らめ、肩を押しながら優しく身体を倒して、毛布をかけた。 怒っているのか、心配しているのか分からないが、桐生は疲れた顔で少し笑っていた。 「…はは、ありがとう。本当、何から何までごめん。恩に着るよ。」 すっぽりと毛布にくるまれて、笑った。 桐生には頭が一生上がらなさそうだ。 その途端、病室のドアが急に開けられて黒木が飛びついてきた。 「皐月さん………運ばれてきて心配しましたよ。なんでそう、不運なんですか!?」 「………ま、毎年はこないから安心して。」 夜なのにテンションが高い黒木に驚きながらも、抱きつかれてミシミシと関節が絞られそうだった。 「…………当直で出勤してきたら、皐月さんが救急に入ってて驚きましたよ。でも、本当軽症で良かったです。幸い頭だけで済んで、本当、出血を確認した時は血の気が引きました。頭皮は体の皮膚のうちで最も血管が多いので、ちょっとした傷でも出血するけど、意識は回復しないし…………本当に目が醒めてよかった……!」 黒木にここまで心配されるとは思ってもいなくて、苦笑いでしがみ付いてくる黒木の広い背中を撫でた。 「ごめん、疲れてたんだよ。本当、死ぬかと思った。心配してくれてありがとう。」 ぽんぽんと優しく叩くいて、宥めた。 黒木は涙目で顔を見上げ、さらに思いついたようにしゃべった。 「………あと留守電ですけど、先輩にも連絡入れました。車に衝突して、意識不明…あ、焦って、もしかすると、意識不明の重体って入れたかもしれないので、後でフォロー入れといてください……。」 ぐすぐすと泣きそうなのを堪えながら、黒木はまた抱き締めてきた。 自分は、その言葉に目を見開き、呆気にとられて携帯を探そうと見渡すと、桐生は首を振った。 「……?」 「……携帯も破損して、警察が押収した。蒼さんには俺が言っとこうか?」 桐生は眉間に皺を寄せて、残念そうに話した。 蒼と自分が別れたのを知っているのは黒瀬と桐生だけだ。 「いいよ、後で連絡する。」 蒼の電話番号も知らない上、携帯もないので連絡のしようがない。それに黒木がいる手前、下手な事も言えない。揉め事をこれ以上増やしたくない。 目が醒めた時に目の前に蒼がいる訳でもなく、蒼は今はボストンにいる。 今更ながら日本にいる訳でもなく、逢えない。いや、もう逢わないと伝えていたはずだ。 あんなメールを送っておきながら、『元気だよ』と電話してたら、滑稽で馬鹿馬鹿しい。 「………黒木くん、ありがとう。恩に着るよ」 黒木には、にっこりと満面の笑みで感謝を伝えた。 「………本当に良かった。ずっと寝てるからこのまま目が醒めないと思ったら、睡眠不足なんですもん。ちゃんと寝て下さい!」 「はは、ごめん、今日からそうする。」 睡眠不足…。 確かに5時間はしっかりと熟睡できた気がした。

ともだちにシェアしよう!