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第53話

朝にまた目醒め、検温と朝食終え、荷物を纏めると午前中には無事退院の予定だった。 病院に運ばれなくても良かったのではと思い、運を使い果たしたのかと思う程本当に軽症で命拾いをした。全身を殴打してるせいか、激痛というより節々と頭が痛い。頭の包帯はまだ取れず、暫くは巻いておくらしい。昨年は刺されて片足が使えず松葉杖だったので、少なからずマシだった。 あれから夜に黒瀬が泣きそうになりながら、見舞いに駆け付けるし、宥めるのが大変だった。悠は秘書に預けてきたらしく、大人げもなく泣きながら抱き締められ、病室を個室にしてくれた桐生に感謝した。 そして悠の話を聞くと、助かったという桐生からの電話で黒瀬から無事を説明されて、家で泣き出してしまったらしい。 その様子を思い浮かべて、小さな子供に大変申し訳ない事をしてしまったと反省した。 自分が携帯を持ちながら、よそ見をしていた事、手を繋いでいたが離してしまった事、色々悔いる事が多かったが、本当に無事でよかった。 黒瀬から事故の詳細を訊くと、悠は一人で不安だっただろうに、自分が意識を失っても離れず、持たせた携帯で黒瀬へ連絡し、助けを呼んでくれたらしい。 5歳児に助けられるなんて恥ずかしいが感無量で、感謝しても感謝しきれない。 黒瀬にも危ない目に合わせたことを謝罪したが、逆に助けてくれた事を感謝され謝られ、泣きつかれ、宥めるのに苦労した。そして秘書からの電話で名残惜しそうに帰って行き、やっとその晩また寝れた。 自分は朝食が終わり、荷物を纏めて、家で一日寝てようと思った。 時間に余裕があったので、売店まで何冊か文庫本を買いに行こうと思い、桐生が用意した新しい服に着替えてから痛む身体を動かし歩きながら蒼の事を考えた。 昨日、黒瀬は帰りがけに何か言いたげな顔で『なにか、彼と約束とかしてた?』と訊いてきた。メールは1通だけあったが開いてもいないので、何もないしもう聞きたくないと答えると、少し考えて何も言わずに残念そうに帰って行った。 蒼はボストンにいるし、逢う約束も不可能だ。 逢ってもどうしたらよいのか、いや、逢ったら全て許してしまいそうで怖かった。 もう逢わないと伝えたのに、本当は逢いたくてしょうがなかった。 ぼんやりとそんな事を考えながら、入院病棟の廊下を渡りながら歩いていた。 朝の9時だっただろうか、まだ誰もおらず一人でエレベーターに乗り込むと、見知った顔が一人だけ立っていた。 「倉本さん?」 ほっそりとした身体に白衣を纏い、凛としたこの声はとてもよく聞きやすく、箱の中で響くように自分を呼んだ。 「…………朝倉先生。」 溜息とともに呟いてしまった。 今一番逢いたくない人物と鉢合わせしてしまい、先程までの気分が急に低下し憂鬱になりそうだった。しかも密室で二人きりだ。何か会話を続けなくてはならない。この不運続きの人生を笑いたくなり、どこかで修正したいとつくづく実感する。 朝倉の顔を見つめると、急に喉が渇いて張り付いていくように感じた。 「……あの、頭に包帯ついてますが、どうしました?」 朝倉はびっくりしたような顔で頭に巻き付いている包帯を見て、大きな瞳を丸くさせていた。 これから出勤なのか、髪は撫でられ、身だしなみは綺麗に整っており、疲れ切った自分とは対照的だった。 「ちょっと交通事故で…………。軽症なので、今日退院します。」 「……………そうですか、無事でよかった。」 「ええ、先生もお疲れ様です。」 そう言うと、目指した階下に到着して、ほっとしながらその場を立ち去ろうとした。 朝倉を見るとどうしても蒼の事を思い出してしまう。 早くこの男から解放されて、蒼を忘れてしまいたかった。 「あの、ちょっと倉本さん少しお話しませんか?」 「………え?」 ざわつく廊下へ出ようとして、急に後ろに引っ張られて押し戻された気がした。 朝倉は自分の服の袖を掴むと、真剣な顔をして言い、じっと見据える様にこちらを見ている。その顔は前回診療時の時よりも怖く、とても緊張した顔だった。 エレベーターの扉は無常に締められ、逃げ場がなくなっていくように下がっていった。

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