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第54話

朝倉にエレベーターの箱へ引き戻され、外に出て人影がないに庭らしき場所に行った。 そこは誰もおらず、安心してプライベートな話も出来そうだった。 朝なのか、暑さはまだ和らいで、夜の閉め切った空気から解放されたと思うと気持ち良かった。 「……………すみません。本当は知っていたんです。」 「え?」 朝倉は自動販売機で缶珈琲を2本買うと1つを自分に手渡して、近くにある小さなベンチへ横に並ぶように腰を下ろし、唐突に話し始めた。 「……………僕は本当は菫先生と倉本さんが付き合っていたのを、ずっと知ってました。………先日はボストンで変な事を話して、すみませんでした。」 朝倉は申し訳そうに謝った。 自分は缶珈琲を空けて飲みながら、項垂れる朝倉が話す様子を眺めていた。 朝倉は白衣が良く似合っているが、医者というより患者のように儚げに映った。 ーーーずっと知っていた? そもそも、隠すつもりはないが、朝倉には蒼との関係を話す気はなかった。 蒼が職場の同僚へ、自分から男と付き合っていると話しているわけでもなく、こんな自分と付き合っているなんて悍ましく、唯一知っている黒木以外に説明するのも煩わしかった。 「………一度恋人がいるのかと聞いたら、菫先生はすぐに倉本さんとの関係を教えてくれました。それで、会う度に、菫先生、よく倉本さんの事を話してれて、大半は惚気ですけど、本当に愛してるようで、早く逢いたいとか、本当はもっと連絡したいけど抑えてるんだとか、色々訊かされました。」 朝倉は半ば呆れたような顔で言いながら、惚気て話している、緩んだ顔の蒼が想像できた。 「…………そう、ですか。」 全然気がつかなかった。 ずっと隠して、朝倉と次の恋を楽しんでいると、勝手に黒瀬のように考えてしまっていた。 「先生、本当に倉本さんが好きで、とても愛してるのが分かりました。」 思い出したのか、朝倉は笑って言った。 その様子を横目で見ながら、珈琲を飲んだ。 「……………なんとなく想像はできます。」 「すみません、でも本当に菫先生は倉本さんのこと………。」 朝倉が分かり切ったことを言いかけて、それを遮った。 「………確かに付き合ってました。それで、朝倉先生は結局、何を言いたいんです?」 「あの、昨日……」 朝倉のその儚げで弱々しく話す言い方に、苛ついたのか、自分はまた朝倉の話を遮り、続けて感情をぶつけた。 「俺は朝倉先生を見るたびに、自分よりも先生の方が蒼に相応しいと思ってましたよ………。あなたの方がきっと蒼に見合ってるといつも思ってた。。」 渇いた笑みが顔に張り付く。 「皐月さん?」 「………優秀で容姿も申し分ない、性格もいい、遠目から見ても俺よりお似合いですよ。」 蒼が自分を只の性欲処理として扱っていた時の事を思い出した。例え優しく抱かれたとしても、刺されて麻痺した治りかけ足を引き摺って、蒼とセックスする為だけに逢いに行く自分の姿は惨めでよく覚えていた。 この人はそんな思いをしなくても、蒼に逢える。 只それだけが羨ましくて、変な嘘をついて関係を拗らせてしまった。 まるで朝倉と蒼が付き合えるように、そうであれば良いとあの時の惨めな自分を思い浮かべ、朝倉の背中を押そうとした。 「…………そんな」 「……刺されるし、記憶は失うし、遠距離だし、諦める度に先生に会うと、どうしても朝倉先生に蒼を託したくなる。」 これじゃ、八つ当たりだ。 みっともないのは分かっていた。 分かり切っていいながら、朝倉をくだらない理由で責めた。 「………僕は完璧じゃない。ボストンで会っても、菫先生はいつだって皐月が……といつも言ってますよ?僕より貴方の方がきっと、菫先生を幸せにできます。」 「………蒼と逢っていたんですよね?俺は逢ってることすら知らなかった。」 「……それは、僕が会ってるのは話さないで欲しいとお願いしてたんです。先生には同僚と会うぐらいなんだから、変な心配かけるより、話さない方がいいと。…………本当は二人の時間をあなたに知られたくなかった………ごめんなさい。」 朝倉はそう言うと、頭を下げた。 今更そんなことを謝られても、蒼との関係は簡単に修復できない。 原因は朝倉だけじゃない、蒼と自分の折り重なったわだかまりが膨らんで修復可能になったせいだ。 「…………………。」 「それにあなたに会っても、あなたは嘘をつくし、それが許せなかった。だからわざとあんな事を言って挑発したんです。それでも、あなたは僕に見向きもしなかった。」 「………………ッ…」 朝倉の言葉に上手く返答できず、押し黙るしかなかった。 冷えた生温い缶珈琲を飲み込んだ。 「だから、教授に無理を言って蒼さんを無理矢理誘ったんです。蒼さんにも言いましたよ、会いたいから来て欲しいと。」 「………なら良かったじゃないですか、逢いに行ったのだから。その日、俺達は別れたんだから満足ですよね?」 「………え。」 朝倉はきょとんと呆気に取られた顔をした。缶珈琲はまだ開けておらず、そのままだった。 「もう蒼とは別れて、全部終わったんです。だから、もういいんですよ、すみません。失礼な事を話してしまって八つ当たりをしてしまいました……。」 珈琲を飲み切り椅子から降りて、少し笑ってその場を去ろうとした。 苦くて不味い味が口の中に拡がり、憂鬱な気分は少し晴れた気がする。 ずっと溜めていた捌け口を朝倉へやっと吐き出してしまった。 「あの、待って下さい、昨日、菫先生、ホテルで誰かと待ち合わせしてましたよ……!貴方じゃないんですか?」 また袖を掴まれて、朝倉に引き止められ振り返った。 「蒼が?ホテル?……はは……人違いですよ。」 「………いや、貴方の事を待ってましたよ。愛してるって。大切にしたいと言ってましたよ。」 朝倉は潤んだ瞳で、必死に小さな怒りをみせつけながら喋る。 その声は凛とよく通り、諭すように、耳に入ってくるようだった。 「……いまさら……」 今更、そんなことを知っても、携帯もなく、蒼がどこへいるのかわからない。 張り詰めた沈黙が流れたが、慌ただしく朝倉の白衣のポケットが震えた。 「…………すみません、僕、戻ります。出しゃばった事をしてごめんなさい。でも……早く、菫先生に逢ってあげて下さい。逢ってくれないと僕が困ります。」 そう言って、頭を下げて朝倉は小走りに耳に電話を当てながら走って行ってしまった。

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