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第一話 森の落とし物①
かつて世界にはα、β、Ωと呼ばれる性があった。
αとΩはお互いの香りに惹かれ合い、発情し、αがΩのうなじを噛むことで番となる。そんな契約染みた理(ことわり)が存在していた。そこに生きるものたちは、その理を当然のものとして受け入れていた。
しかしあるときを境に、突然世界は分かれた。
α、β、Ωはそれぞれの性ごとの世界を築き、それに順応し、いつしか自分たち以外の性が存在していたことすら忘れていった。
いまや世界には、番(つがい)という契約が存在したことを知る者はいない。
◆◆◆◆◆
ストレスに耐えきれなくなったら、自然へ還るのが一番良い。
私がまだ幼いころ、祖父がよくそう言っていた。破天荒な人だったから、なにか言われても聞き流すことが多かったが、いまだにその教えだけは頭にこびりついて離れない。
最近特に仕事が忙しい。
いや、最近というのは間違いか。この職場に入ってからずっと継続して、絶えず仕事が忙しい。
私の仕事は町役場の住民課事務だ。
非常に地味で花のない部署だが、街の住民たちは毎日絶えずやって来て、あれやこれやと注文をつけていく。
もちろん全ての要望に応えることはできない。それでも一つ一つの要望に真摯に耳を傾けようとすれば、自ずと休む暇はなくなってしまう。ゆっくり座って昼食を取れることはほとんどない。気付けば私は、来る日も来る日もひたすら職場と家を行き来するだけの生き物に成り果てていた。
一方で、一緒に働く者たちはなかなか曲者ぞろいだ。
住民と上役の顔色を窺い、手柄を自分のものにすることに夢中な上司。手を抜くことに全力を尽くす同僚。無駄話に花を咲かせ、ひとたび注意すればたちまち腹が痛くなり出勤してこなくなる後輩。
個性が強い、と好意的に見ることすら難しくなってきた。
私の頭が硬すぎるのかもしれない。たしかに柔軟性には欠ける性格だと思う。しかし給料をもらって働く以上、それ相応の務めは果たさなければいけないと思うのだ。それに、困っている者がいればできる限り助けたい。そんな考えを以前職場で口にしたら、白い目で見られた。
お前は真面目すぎる。もっと肩の力を抜け。
面倒見の良い友人たちは口を揃えてそう言う。けれど私には分からない。不真面目になる方法も、肩の力を抜く方法も。
いつか仕事が楽になったら、近場でいいから旅行へ行こう。私はそう思っていた。そうしたらきっと、この重苦しい心持ち楽になるのだと。
けれど最近になって、私は気付いた。
仕事を頑張れば頑張るほど、努力すればするほど、どんどん課せられる仕事の量は増えていくことに。
……いつか仕事が楽になったら。
そんな「いつか」は到底やって来ないことを理解したその日、私のなかで何かが切れてしまったのだと思う。
さわさわと木々の葉が揺れる早朝の森の中を、私は清々しい気分で歩いていた。まだ陽が出たばかりの木々には朝露がきらめいて、爽やかな香りが行く道を通り抜ける。小鳥が物珍しそうにこちらを見ているのに気付いて鼻歌で応え、私は足取りも軽やかに地面を踏み締めた。
私は四つ足の虎の姿をしていた。獣の姿で、獣の本能に従い、思うがままに自然のなかを闊歩する。
ストレスが溜まったらこれに限る。祖父の言葉は正しかった。大人にならなければ分からないことが世の中にはたくさんある。
この森は祖父が買い、私が引き継ぎ管理している私有地だ。祖父が亡くなり、一人になった私以外にこの森に足を踏み入れる者はいない。そう、私以外には。
「ぐるる」
拓けた場所まで出たあたりで、私は喉を鳴らして仰向けになった。意味もなく背中を地面にずりずりと擦りながら目を開けば、抜けるような青空が見えた。心まで晴れるような色を、可愛らしいさえずりが横切っていく。
「ぐぅ」
あまりののどかさに、また喉が鳴った。ゆったりと流れていく時間が心地良い。自由だ。私は自由なのだ。口うるさい住民たちにも、アホだらけの同僚たちにも煩(わずらわ)されることのない、私だけの場所。
「ぐるるる、ぐぅ」
開放感に満たされて、私は獣の声を上げる。それと同時に背徳感が背中を駆けた。
ーーこんなところを、誰かに見られたら。
ぞっとするほどの恐怖と、なぜか訪れる高揚感が胸を占める。
私たち獣人のなかで、最も恥ずべき行為。それは、獣の姿になることなのだから。
獣人はかつて皆、理性を持たない四つ足の獣だったという。けれど私たちは進化を遂げた。二足歩行となり、知能を得て、文化を持った私たちは、産まれるときの姿も、普段過ごす姿も人型であるのが常だ。
いまや獣としての特徴を残すのは、頭から突き出す耳と、腰と尻の境目から生える尾だけ。
しかし獣人というものは、獣の本能を完全に捨て去ることができたわけではない。なんらかの理由で正気を失ったとき、私たちは服を破り捨てて獣の姿に戻ってしまう。まだ思考が覚束ない幼児であればまだ可愛らしいが、それが大人になると話は別だ。
人前で獣の姿になること。それはつまり、理性を手放して単なる四つ足のケモノとなることだ。獣の姿になれば、当然服など着てはいられない。全裸の状態で、本能のままに雄叫びを上げる。これほどみっともなく、そして破廉恥な行為はない。
だから普通の獣人たちは、決して獣の姿にはならない。それがたとえ家族の前であったとしても、だ。なぜならそれは、自分たちのプライドを地まで落とす行為なのだから。
もし人前で獣の姿になろうものなら、その者は一生涯周囲から「変態、異常者」と蔑まれるに違いない。
正常な思考の者であれば絶対にそんなことをしない。
私だってそう思っていた。自分がそんなことをするはずがないと。私は、そんな恥知らずではないと。
しかし、仕事への疲れの限界が突破したその日、私は気付けば夜の森で獣の姿になっていた。服はどこかへ置いてきたらしい。自分でも意識しないうちに、四つ足で地面を踏み締めていた。
ーー私は虎の獣人だ。虎になって何が悪い。
私はやけくそだった。この森には誰も寄り付かない。私だけの場所だ。私が何をしようと勝手だろう。
何も見えないほどの深い闇の天井で、清廉な星の輝きがやけに美しく見えた。夜風が硬い毛並みを撫でる心地よさ。喉を鳴らすたびに気分が弾んだ。
結局その日は、空が白むまで歩き続けた。裸で自然を味わうことがこれほど気持ちが良いとは。
その体験は、私の倫理観を壊すのに十分なほどの心地よさだった。
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