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第十一話 つがい知らずの獣たち③

 家に帰って寝室で手当てをしながら、タクマから事の詳細を聞いた。  アルノは以前からディーナに「オズの想い人はニンゲンの獣人だ」と聞いていたらしい。  そして、タクマの名前も知っていた。  だから、取り囲まれたタクマが名を問われて答えたとき、すぐにタクマの身柄を引き取り保護してくれたそうだ。  勘の鋭いアルノのことだ、タクマが獣人ではないことは薄々気付いているだろうが、あの場では敢えて問い詰めてこなかった。  いずれ、二人には真実を話したほうが良いだろう。  あの二人なら、きっと力になってくれる。 「痛くないか?」 「うん、ありがとう。もう大丈夫」  ベッドに腰掛け、安心した様子で言うタクマの顔の擦り傷を見て、胸が痛んだ。  隣に座り、傷に触らないようそっと頰に掌を添えると、タクマは照れたようにはにかんだ。  ひったくり犯と間違られたとはいえ、住民たちからよほど強く取り押さえられたと見える。  アルノが気を利かせてくれて良かった。  もし別の形でタクマが憲兵隊に捕らえられたと知っていたら、私は理性を失くして四つ足の姿で乗り込んでいたかもしれない。  頰に触れる私の手の上に、タクマが自分の手を重ねた。視線が交わされて、身体が熱くなる。お互いの香りが相手に絡みつくのが分かった。  タクマ、と静かに呼べば、私が愛するニンゲンは柔らかに微笑んだ。 「大袈裟だけど、オズにもう会えないかと思った」 「……怖かっただろう」 「怖かったよ。皆身体デカいし、変な耳だって言ってくるし。ギロチンで首を斬られるんじゃないかって泣きそうだった」 「ぎろちん?」  初めて聞く響きに眉根を寄せると、ニンゲンの世界での処刑法の一つだ、と教えられた。  なんでも、うつ伏せになったニンゲンの上から刃を落とし首を断つのだという。  ニンゲンというものはなかなか過激らしい。  ふと思い出して、私はタクマに尋ねた。 「……虎の姿になった方がいいか?」 「なんで?」 「その方がタクマが癒されるのではないかと」  それを聞くと、タクマは一瞬呆気に取られた顔をして、次の瞬間「バカだな」と笑い出した。  悪戯っぽく焦げ茶色の瞳が緩む。 「オズ、たまには自分がしたいようにしたら?」 「……したいように」 「そうだよ」  虎だろうが獣人だろうがニンゲンだろうが。  突き詰めれば、俺たちは皆、たまたま理性を持っているだけの獣なんだから。  たまには本能のままに動いたって良いんじゃないの。  タクマはそう言った。  私をその瞳にしっかりと映しながら。  身体の内側から押し出されるように、言葉が溢れ出す。 「……タクマのそういうところが、好きだ」 「そういうところだけ?」 「そのほかにもたくさん好きだ」 「良かった」  俺も好き、と紡いだ唇を塞いだ。  隙間なんてなくなれば良い。  身体が求めるままに目の前の身体をきつく抱き締めると、呼吸の合間にタクマが笑って抱き締め返してきた。 「ふ、んぅ、」  ぎこちなく舌を滑り込ませると、タクマの甘い声が鼻から抜ける。  今回は正気なはずなのに、頭のなかは燃えるように熱かった。  これまで行為をした二回よりもずっと、生々しい感触に興奮した。 「タクマ、タクマ」 「オズ」  目眩を起こしそうになりながら、腕の中の身体をベッドに横たえた。  見下ろす先に頰を紅潮させた愛する男がいる。  ——ああ、もう我慢の限界だ。  正気のままタクマと肌を合わせれば、タクマは私に落胆するのではないかと思っていた。  お互いおかしくなっているときは技巧などまるで関係ないけれど、冷静な頭で相手をすれば、私がいかに不慣れであるかがバレてしまう。  タクマに呆れられたくない、という妙なプライドが私を阻んでいた。  けれど、その障壁はもはやどこにも無い。 「タクマ」  急きたてられるように、私はもう一度顔を寄せる。  濡れた唇に触れる——はずだった私の唇は、柔らかなタクマの掌によって遮られた。 「…………む?」 「……今日は、身体があちこち痛いから」 「…………」 「また今度で」  そのときの私は、これ以上ないほど絶望的な顔をしていたと思う。  タクマは困ったように笑うと、ぺたんと倒れた私の耳に手を伸ばして愛しげに撫でた。 「ごめん。散々誘っといて」 「……タクマ、」 「ん?」 「耳を撫でられると、ムラムラするからやめてくれ」 「…………」  視線を合わせたまま気まずい空気が流れる。  次の瞬間、私たちは同時に吹き出して、じゃれ合うように互いを抱き締めた。  焦ることはない。  機会はまた来る。  私たちは、ずっと一緒にいるのだから。 ◆◆◆◆◆  そしてまたひと月が経った。  街に恐怖を覚えてしまったタクマも、最近またディーナの手伝いに出られるようになってきた。  例のひったくり犯は無事捕まったらしい。  キーキー鳴いてうるさい奴だった、とアルノがぐったりと語っていた。  そして、今日は休日。  私は、朝からタクマのリクエストに応えていた。 「あー、やっぱり良いな、これ」 「……ぐる」  すりすりと私の首元に顔を寄せるタクマと、それに耐える私、という構図も大分板についてきた。  ムラムラするが、欲望に負けてタクマのうなじを舐めると叱られるので、私は忠実なる虎としてその誘惑に耐えねばならない。  タクマと改めて肌を重ねたのはつい先日のことだ。  正気のまま、お互い「なんだか恥ずかしい」を繰り返して一戦を交えた後、なぜか私たちはまた「おかしい」状態になってしまい、翌朝まで身体を貪り合った。  性的興奮がそうさせるのか、それとも不定期的におかしくなる時期が来るのか。  真実は分からないが、そのときは我を忘れて没頭するだけだ。  そんな過ごし方だって悪くない。 「あぁ、ほんと良い匂い……」 「がぅ」  艶っぽい声を出すのをやめて欲しい。  差し出されたうなじを舐めたくて、口元がうずうずと動いてしまう。  ——少しくらいなら、良いだろうか。  そう魔が差した瞬間、私はある音に気が付いた。  遠くから近付いてくる二人分の足音。  ディーナとアルノだ。  あいつら、いきなり訪ねて来るつもりだ。  うっとりと毛皮に顔を埋めるタクマはまるで気付いていない。  ——まずい。とてもまずいぞ。 「が、がる!」 「え、何?オズ、どうしたの?」  早く獣人の姿に戻らなければ、と焦るが、首元にしがみつくタクマを跳ね飛ばすわけにもいかなかった。  それに、このタイミングだともはや戻ったとして私は全裸なわけで。  私が迷っているうちに、無情にも扉は開かれた。 「たのもーう!アルノさんとディーナさんが来たよー!」 「邪魔するぞ」  朗々と声を上げながら、長年の友人ふたりが入ってくる。  そして、虎の姿の私と、それに擦り寄るタクマを目の当たりにして、ふたりは揃って顔を強張らせ絶句した。 「い、いらっしゃい……」 「…………」 「…………」 「…………」  声を出せたのは、事態を理解し切れていないタクマだけだった。  獣人が獣の姿になることの重大さを知らない、タクマだけ。  私の気持ちは、この先もきっと変わらない。    私はタクマを愛している。タクマという存在をまるごと愛おしく思っている。  そして、私とタクマの関係は、私たちなりに、これからかたち作っていくものだ。  ——それを周りが、理解するかどうかは別として。 【つがい知らずの獣たち・終】

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