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第十一話 つがい知らずの獣たち②

 どうぞ、と澄んだ声に促され扉を開けると、そこには予想だにしなかった光景があった。 「タクマ……?」 「やあ、オズ。仕事中ごめんね」 「…………」  憲兵隊の制服を着崩したアルノと、テーブルを挟んで悄然と座るタクマ。  タクマの顔は擦り傷だらけで、目は赤く、服も土埃に汚れていた。外に出るときはいつも被っているはずフードは取り払われ、髪はぼさぼさに乱れている。 「タクマ、どうしたんだ」 「…………う、」  慌てて駆け寄り顔を覗き込むと、見る見るうちにその瞳を涙の膜が覆う。  ぎょっとする間もなく、ぼろぼろと大粒の滴がタクマの頰を伝った。 「うぅ……」 「こ、こすると跡になるぞ」  なぜ泣き出したのかも分からないままハンカチを差し出すと、タクマはそれを奪い取って顔に当てた。  ひぐひぐと子どものように泣く姿に戸惑う。 「あはは、安心したんだねぇ。良かったね、タクマ」 「アルノ、これは一体……」  鷹揚に笑う友を見れば、狼の耳を持つ男はくすくすと楽しそうに言った。 「泥棒さ」 「なに?」 「今日街中でひったくりがあったんだよ。猫のお嬢さんのバッグを盗んだ犯人は、フードを被った男だった」 「……それがタクマと何か関係があるのか?」  タクマの嗚咽が一際大きくなったものだから、背中をさすってやると少し収まった。 「微笑ましいね」とまた笑うと、アルノは脚を組み直し私を見据える。  ぴんと空気が張り詰めた気がした。 「オズ、最近街中でひったくりが流行ってることは知ってるね?そして犯人はおそらく同じ獣人だと結論が出た。犯人は顔の両脇から毛の無い耳が生えた獣人だ、と」 「……それはタクマではない」 「けれど街の住民がタクマを取り押さえたとき、彼は盗まれたバッグを持っていた」 「取り押さえた?だからこんなに傷だらけなのか?」  途端に怒りが湧き上がってきて、私はアルノを睨み返した。  アルノはそれを受け止めると、指で自分の顎を撫でながら感心したように返す。 「怒るのはそこなんだ?彼が窃盗犯だとは思わないの?」 「当たり前だ。タクマがそんなことするものか」  タクマは強くて優しい男だ。  見知らぬ土地で文化も違うというのに、毎日の生活に順応しようと一生懸命頑張っているのだ。  そんな真摯なタクマが、誰かから物を盗むだなんて到底考えられない。  私には分かる。確信がある。  間違っているのはタクマを取り押さえた住民たちだ。  ろくに状況も見ずにタクマを傷つけたに違いない。  アルノは怒りを燃やす私を見つめた後、うん、とひとつ頷いて言った。 「そう……ま、合格かな」 「なに?」 「タクマは犯人じゃないよ。むしろ犯人を追いかけてくれたんた。そして揉み合った末にバッグを押し付けられた。周りの住民たちは、たまたまタクマが犯人と特徴が似ていたから間違えて取り押さえた。そうだろう?タクマ」  話を振られたタクマは、ハンカチに顔を埋めたまま、うんうんと何度も頷いた。  なんて危ないことを、と叱ろうとしてやめておく。  タクマは良いことをしたのだ。  それなのに怖い思いをした。  一向に泣き止まないその痛々しさに、私は帰ったらすぐに虎の姿になってやろうと決めた。  あにまるせらぴーだ。  アルノは優雅に椅子から立ち上がると、私たちのもとへ近付き微笑む。 「さ、お迎えも来たことだし帰ってもいいよ。あとは僕に任せて」 「大丈夫なのか?」 「犯人の目星がついている。おそらく東の方から流れてきたサルの獣人だ」 「サル?」  聞いたことのない響きに聞き返すと、アルノは「顔の両脇に耳があるんだ」と付け加えた。  やっと泣き止んだタクマがハンカチを顔から外し「やっぱり猿なんだ」と呟いたところを見ると、ニンゲンにとっては親しみのある獣なのかもしれない。  何にせよ、傷の手当てだ。  ぼろぼろの姿のタクマの肩を抱いて立ち上がらせると、アルノは勤務中としては相応しくない崩れた笑みを浮かべた。 「仲が良さそうで羨ましいなぁ」 「……うるさい」  揶揄うのが得意なこいつにだけは見られたくなかった。  冷たく返した途端、アルノは泣き腫らしたタクマに顔を近付け、妖艶に目を細める。 「……いいねぇ、タクマは。スレてなくて、素直で、とってもかわいい」 「え?」 「近寄るな、色情魔め」 「ひどいなぁ」  タクマの貞操の危険を感じてより近くに抱き寄せると、アルノはますます楽しそうに笑った。  こいつを分隊長に据えた憲兵隊の判断を疑う。  好みの相手を見つけたらすぐ口説くような男が、不正を取り締まる立場にあるとは。 「オズが嫉妬する姿を見られるなんて新鮮だな」 「だからうるさいぞ」 「オズ」  腕の中で嗜める声がしたが、私はタクマの顔を見せるのすら嫌で抱え込んで身体を隠した。  冗談だよ、とアルノが言うが、それすらも疑わしい。  アルノは灰色の瞳を眩しそうに細めた。 「……君たちは、つがいみたいだねぇ」 「つがい?」 「そう。狼の習性に当てはめて悪いけど。でもなんだろうね、二人でいるのを見るととてもしっくり来るよ。羨ましい」  つがい。  それは特別なふたりを指す呼び名だ。  狼は一度つがいを決めたら生涯離れることはない。  他の獣人で言うところの伴侶や夫婦よりもずっと強い関係だ。  たったひとりに心をあずけ、その命が尽きるまですべてを捧げる。  私たちは生まれ持った習性に左右される。  その影響を受けて生きていくことに誰も疑問は持たない。  虎の獣人である私が特定の相手を作り、長年寄り添っていきたいと考えるなんて、本来であればあり得ないことだ。  けれど。 「そんなもの知るか」  獣人だとかニンゲンだとか、そんなしがらみや枠を越えて、私はタクマのことが好きなのだ。  習性も本能も関係ない。  タクマが発する甘い香りに惹かれたことは事実だが、それはきっかけに過ぎない。  タクマはタクマだ。  意志を持ったひとりの男だ。  そして私も、意志を持つひとりだ。  ひとりとひとりが、意志を持ってお互いを選んだ。  すべてはお互いの香りのせいなのかもしれない。  タクマがもし違う獣人に出会っていれば、結果は変わったのかもしれない。  けれど私は、自分の意思だと信じたい。 「私たちには、私たちなりのかたちがある」  そう、とアルノが嬉しそうに呟く。  腕のなかでもぞもぞとタクマが蠢いている。  ——なんだか、意味もなく熱くなってしまった気がする。  そのとき、外から扉が強く叩かれた。  アルノの顔つきが即座に厳しくなる。  続いて、ひそめた男の声が響いた。 「分隊長、外に妙な男が」 「妙な男?」 「分隊長を出せと言って聞きません。冤罪だから捕まえた男を解放しろとか何とか騒いでいますが」 「あ」  突然、腕の中のタクマが声を上げた。  顔を見ると、バツの悪そうな表情を浮かべている。 「ディーナかもしれない」  後日聞いた話だが、アルノは、街の住民たちからタクマの一部始終を聞きつけ詰所の前で大暴れしていた熊の獣人を瞬時に制圧し、分隊員から尊敬と賞賛を得たという。

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