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第1話 残花

 「私は先に失礼させてもらおうかな」   混雑した居酒屋での周囲の会話がやたらと耳につく。歳をとったものだとため息がでる。   酒に酔って大声で熱く語っていたのは昨日のことのような気がする。あの当時、見送った上司のくたびれた背中に今の自分の姿が重なる。   「順送りだ」そう自分に言い聞かせてゆっくりと立ち上がる。それと同時に奥のテーブルがごとっと音を立てた。  「羽山課長、今日はありがとうございました」  アルコールでほんのりと色づいた顔を綻ばせて頭を下げたのは桜井だ。   誰もが「お疲れ様でした」と紋切りの言葉をかけてくる中、一人立ち上がり頭を下げる。   ……ああ、そうだ。   こいつのこういうところだと思った。ぞわぞわと胸の奥で何かが蠢く。腹を内側から撫でられたような感覚が起きる。  ゆらゆらと揺れる淡い炎を腹の奥に感じる。  そんな感情が自分の内にある事などおくびにも出さず「じゃあ」と小さく声にしてその店を出た。  「そろそろ一年か」  ぽつりと声に出た。桜井が羽山の元に来たのは一年前の春、満開の桜がはらはらと散り始めたころだった。  「羽山、ちょっと」  部長に呼ばれて行った会議室に座っていたのは見慣れない顔の若い男だった。その若い男は立ち上がると丁寧に頭を下げた。  桜井と名乗るその男を見た瞬間、頭の中で警鐘がなった。何かが近寄ってはいけないと耳元で囁いているような気がした。  「羽山、お前のところで暫く預かってくれないか」  「預かる?のですか」  「任せるよ」  こんな時期に何の移動なのかと考えた。四月も二週目に入ったこの時期だ。新入社員のはずはないし、中途採用にしては時期が早すぎる。社内が落ち着いた時期での移動、幹部候補の社員かもしれない。年齢は二十五、六というところか。  指導係に誰をつけるのかと羽山は悩んだ。新採用の社員に充てられるメンターの数は決まっている。これ以上、誰かに時間を割かせるわけにもいかない。今更、誰かの仕事を増やせるほど営業部隊には余裕はないのだ。  「部長、私が直接指導という形でよろしいでしょうか」  「まあ、一年だろうしよろしく頼むよ」  「よろしくお願いします、羽山課長」  人懐っこい笑みを浮かべて、櫻井は頭をさげた。その瞬間に頭の中で何かが、かちりと音を立てた、そんな気がした。

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