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第参話
孝則が案内してくれたのは、駅前から少しだけ外れた小さなイタリアンレストランだった。
テーブルやイス、飾られている花やインテリアにも拘りが見え、ファミレスよりはお洒落で本格レストランよりは気軽な、趣味のいいチョイスだ。
メニューもしっかりしていて、盛大に鳴った腹を満たすにも十分だと感じた。席数は少ないがガラガラという印象もなく、落ち着いて会話を続けたい今の状況にぴったりと言える。
秋良はシェフおすすめの創作パスタ、孝則はトマトソースのパスタを注文し、まずは店内の雰囲気を楽しむと言うより食欲を満たす方を優先した秋良の意向を汲んでくれたのか、美味いとかそういった小さな感想程度の会話のみで、出てきた料理にほぼ無言でがっつく。
お洒落な皿の上が綺麗になったところでやっと一息つき、食後のコーヒーを片手にやっと差し向かいあって会話を始める雰囲気になった。
「美味かった」
「お口に合ったようで、よかったです」
「良い店知ってるんだな」
「ここは落ち着いた雰囲気ですので、仕事で使ったりもします」
「あぁ、それよさそうだ。俺も真似させてもらっていいか」
「もちろんです」
紹介した店を気に入ってもらえて嬉しかったのか、随分打ち解け始めた様な笑顔で頷く孝則に、秋良も嬉しくなる。
秋良は元々人懐っこい性格で、誰とでも気軽に話せるほうだが、孝則の方はどちらかというと人見知りするタイプのような気がしていた。だから、こうして少しでも気を許してくれるような表情を見せてくれるようになるまでは、多少時間がかかりそうだと覚悟していたのだ。
人見知りのくせに仕事となるとそつなくこなしそうな仮面を被れるこういうタイプこそ、私生活で友人関係に持って行くのは難しい、というのが秋良の経験上の感想だ。
何しろ出会い頭から普通じゃなかったのだから、更に難しいのではないかと危惧していたが、案外孝則は素直な性格なのかもしれなかった。
最初から好意を示されていた事を考えると相手が秋良だからだと言う事も想像できるが、さすがにそれは自惚れに他ならない様な気がして、の考えを打ち消す。
「んで、さっきの話の続きなんだけどさ」
「先ほどは取り乱してしまいまして、誠に申し訳ございませんでした」
「いや、それはもういいから。それよりさ、孝則のその記憶っていうのは……夢とかじゃない訳?」
「いいえ。私はこの記憶をずっと持っていました。生まれ変わる度、何度も貴方を探し続けて、やっと出逢えた」
「生まれ変わる度……って」
「私の転生は今回で三度目です。前回は、今では明治と呼ばれている時代で教師をしていました。その前は残念ながら日本国内ではなくイギリスで貴族の執事をしていたもので、この土地にさえ辿り着く事さえ出来ませんでした」
「あー、えっと。何か話がファンタジー過ぎてついていけない」
孝則の真剣な表情から、嘘を付いている訳ではないと言う事はわかっても、その内容を簡単に理解する事は難しそうだった。
つまり、孝則は前世の記憶を失くさず何度も秋良に再び出逢う為に捜し続けていた、という事なのだろうが……。そんな小説やゲームの中だけで起こるはずの出来事を、さらりと告げられても素直に頷けるほど、秋良は純粋ではない。
これがまだ、世界は謎だらけで何でも出来ると信じていた中学生の頃だったら、飛びついて話に乗っていたかもしれないが、残念ながら秋良はもうれっきとした社会人だ。
「私の事はいいのです。それに、今貴方が私の目の前に居て下さる事こそが、幸せですから」
「そんな祭り上げられても、何も出せねぇただの一般人だぞ、俺は」
「いいえ、貴方は特別な方です。少なくとも、私にとっては」
「……っ、わかった。わかったから、そんな潤んだ目で俺を見るな。何もわかんねぇ俺が、悪者みたいだろ」
「すみません……」
「そうやってすぐ謝るのも禁止。お前が悪いわけでもない」
「はい、ありがとうございます」
「そこで礼を言われるのも、ちょっと違う気がするけどな」
秋良が照れたように孝則から視線を逸らして頭を掻くと、孝則は懐かしそうな慈愛に満ちた表情で目を細めた。その変化に秋良が首を傾げると、孝則は再び「すみません」と謝りかけて咄嗟に口を閉じる。
禁止令を出されたばかりなのに謝罪しようとしてしまった孝則は、頬を染めながら表情の変化についての理由を明かした。
「殿と照れた時の反応が同じだったので、つい」
どうやら孝則の探し求めていた主である「殿」は、照れた時に視線を逸らして頭を掻く癖があったらしい。だからといって秋良にとっても癖であるその行動を変える事は難しく、むしろ変える義理も何もない。
ただ、それを見つめてくる孝則の目が優しすぎて、なんだか落ち着かない気持ちになるのはどうにかしたい所ではあった。
それに、それが自分に対して向けられたものではなく、重ねられた誰かへ向けられているものだというのも何だか気に食わない。まだ全てを信じた訳ではないが、孝則が長い間主人を探し続けてきたというのは本当なのだろう。
秋良とその殿が同一人物であると孝則は思っているようだが、秋良にとって殿は夢の中の住人であり、その部下の孝則も同様だ。目の前に居る孝則と夢の中の孝則を同一人物だとは思わない。何かしらのきっかけで過去の記憶を持っていたとしても、それでも今ここに居る孝則はこの時代に生まれた「椎名孝則」という人物のはずだ。
秋良も同様に、孝則には「江藤秋良」として見てもらいたいし、友人関係を築きたいと思っているので、自分の知らない誰かを重ねられるのは良い気がしない。それはどことなく、夢の中の殿と呼ばれる青年に出来て自分に出来ないと思われるのが悔しい、と感じた想いに似ている気がした。
「誰に」という部分が「孝則に」にと具体的に対人が書き変わったような気はするが。
「別にいいけど」
努めて平静を装ったはずの声は、秋良自身にも拗ねているようにしか聞こえなかった。
だが孝則はそれを照れ隠しの一部だと捉えた様で、微笑む笑顔は優しいままだった。きっと殿は照れた後に拗ねる様な仕草をするに違いない。それがわかってしまって、けれど違うんだと言うのも言い訳がましくて、ただ一層面白くなくなるばかりだった。
「それでその、秋良……は」
まだ呼び捨てにする事に慣れないのか、孝則はぎこちない出だしで会話を持ちかけてきた。
いつまでも拗ねているのも大人げない気がして、また秋良にとってみれば実在しない人物に、なんだか嫉妬しているような感覚はみっともないと言うより意味がないと思い直し、その引っ掛かりをからかうよりも促す方を選択した。
「ん? 何」
「私の事は、どこまで覚えて下さっているのでしょうか」
「どこまで……って、俺は単にお前に似た奴を夢の中で見たってだけで、覚えてるも何もねぇんだけど」
「そうですか……。では、その夢がどんなものなのか、教えて頂いてもよろしいですか?」
明らかにしょんぼりとした孝則に若干の罪悪感を感じながら、それでも喰らい付いてくる必死な様子はやはり嘘を付いている様には見えない。
信じてやりたいが信じられないという葛藤を抱えたまま、まぁそれで納得するのならと秋良は最近繰り返されて覚えていたくなくとも記憶に残ってしまう夢の内容を語ってやる事にした。ただし、殿の感情がわかってしまうという点は除いておく。
自分の身に起こった事として感じている訳ではなく、上から第三者として眺めている感じだという体を装う。それは夢では良くある事だったし、疑われる事はなかった。
隠す必要はないのかもしれないが、その事実を知れば孝則が「秋良=殿」だという図式を固めてしまう事は簡単に予想できた。
秋良にとってそれは本意ではなかったし、何より二人が恋人関係だったという事を、本人だと言い張る孝則に肯定されてしまう事が怖かったのかもしれない。
もし貴方と私は恋人同士だったので、今回もどうぞよろしく。などと言われたら、秋良の選択肢は逃げる一択になってしまう。今の時点では、最初から出逢わなかったと思って離れてしまえば良い時間しか経ってはいなくて、そうしてしまう事はとても簡単だ。だからこそ出来ればそれは避けたかった。
「……て訳だから、悪いけど感動の再会はしてやれそうにない」
「いえ、最初にも言ったと思いますが……。貴方が私の事を覚えていなくてもいいのです。ただ、お傍に居させてもらえるだけで」
「俺としては、そういうのじゃなくてもっと対等な感じで付き合いたいんだけど」
「すみません……努力は、します」
孝則にはそれが精一杯なのだろう。嫌だと言わなかっただけまだ希望はあるらしいが、道のりは遠そうだ。
「っていうか、本当に俺で間違いないのか? 世の中には似たような背格好の奴は五万といるだろ。同じ夢見てる奴だって、いるかもしれないし」
「間違いありません」
「そ、そうか」
秋良の顔は人を不愉快にさせない程度には整っているが、飛び抜けて良いというわけではない。背丈も体重もほぼ成人男性の平均値と言っても過言ではなく、所謂十人並みと称される部類だ。自己申告の範囲でさえ、中の上と言ってしまうほど、特別目立ったところはない。
むしろ孝則の方が、背も高く少し色素の薄い髪がよく似合う女子に好まれそうな顔立ちをしていて、ここまで必死にかつての主人だったとはいえ今では無関係になっている男を、捜し回らなくてもいいのではないかと思わずにはいられない。
孝則が秋良にここまで拘って殿だと断定する材料が、いまいち欠けているような気がしてしまうのは無理からぬ事だ。
しかし、孝則はなぜ秋良がそんな疑問を感じるのかわからないと言った風で、きっぱり返した。間違えるはずがないと言わんばかりの口調は自信に充ち溢れている。
あまりの力強さに秋良は飲まれる様に頷いてしまい、この押し問答は成立もせずに終わってしまった。孝則が何を根拠にそう言っているのかは結局わからないままだったが、逆に秋良には自分が殿ではないという証拠もなかったので、これ以上強くも押せなかったからだ。
「思い出してくれなどとは言いません。記憶がないのですから、秋良が自分は殿ではないと思うのも当然です。けれど貴方が私の殿だと勝手に思う事だけは、許してもらえませんか?」
「ま、まぁそこまで言うのなら、無理に否定はしないけどさ。一個約束」
「なんでしょうか」
「俺の事を殿扱いはしない事。孝則にも友達はいるだろ、そいつらと同じように普通に接して」
「はい。ありがとうございます」
秋良は改めて友人契約でも結ぶように握手を求め、手を差し出す。すると孝則はその手を愛おしそうに握り返し、あろうことかその甲に口付けを落とした。まるで貴族のお姫様に騎士が忠誠を誓うかのようなそれは、床に片膝こそ付いていなかったが、昼間のイタリアンレストランでは目立つ事この上ない。
まだ男女であれば、カップルが所構わずいちゃついている位の認識でスルー出来たかもしれないが、明らかに男同士だとわかる二人を同じようにスルーしてくれる程、世の中は寛大ではなかった。
かく言う自分も、同じ光景を目の当たりにしたら、視線を逸らす前に凝視してしまうと思う。唯一の救いは、昼のピークより前だったからか客が少なかった事だ。
硬直状態から一瞬で復帰し、数か所から突き刺さる視線をなんとか逸らせようと、同意ではなかったと宣言する様に若干声を大にして、けれど目立たない程度に抑えるという器用な技を駆使しながら、手を振りほどく。
「それ! それを止めろって言ったんだけど!」
「あ、すみません……」
「あーもう、ほら。これからもよろしくな」
貴方相手に普通が一番難しくて……としょんぼりと俯く孝則に、秋良の方が折れて再度手を差し出す。今度は恐る恐る伸ばされた手をぐっと掴んで、しっかりと握手を交わす。
笑いかけた秋良に応える様に、嬉しそうにはにかんだ笑顔を返した孝則を見て、秋良は今まで生きてきた中で、年上の男に対して初めて可愛いという表現がぴったりはまる感情を抱いた。
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