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第肆話(*)

 そしてその夜、秋良が見た夢はいつもと違っていた。  大きく咲き誇る、桜の木の下。  いつもの場所だ。けれど今回はシチュエーションが多少違うようだった。  違うのは、その空には夜の世界が広がっている事。殿の姿が戦前の甲冑ではなく、恐らく普段着だと思われる着物である事。隣には最初から孝則が居る事、位だろうか。  どうやら今回は、死地に赴くあの日ではないらしい。あの日が二人にとって最期の日だったとすれば、それよりも前の時系列だと考える方が自然だろう。こんなシーンは初めて見る。  殿はリラックスした様子で、隣に座る孝則が愛おしそうに自分を見つめているのを感じながら、桜の木の下で空を見上げる様に仰向けになって寝そべっていた。  いつもの最期の日に広がる二人を見送る様な青空と違って、今日は吸いこまれそうな闇の中に、幾千もの星々が輝いていた。  桜の真上に上る透き通る満月があまりに明るすぎて、その周りだけは少し星も身を潜めているが、肉眼で見える星の数は秋良の知る夜空とは全く違った世界のものの様に見えた。  輝く星を掴んでみようかと空へと手をかざしたところで、秋良はその手が自分のものではない事に気付く。若くみずみずしいその甲は秋良よりもやはり年下なのだと思う。  だがその手はアスリートの様にごつく、手のひらを返せば無数のタコの様なものがある感覚がした。秋良は剣道など習った事がないのに、それが剣術ダコだとわかる。  夢の中の秋良にとってそれはごく普通の自分の手であり、けれど夢を見ている秋良にとっては見た事もない手だった。  こんな風に、夢の中の自分と夢を見ている自分の感想が違っているのに、同時に自分の中で感じる事ができる夢を見るのも初めてで若干戸惑う。  自分の事だと理解しながらも、どこか他人事のように自分を俯瞰して見ているのが常なのに、今回の夢では秋良が殿の中に入り込んで一緒に体験しているようで、言わば既視感という状態が近いかもしれない。  いつもと違う感覚に戸惑いながらも、秋良の思う様に身体が動かせる状態にはなく、否が応にも話は進んで行く。 「秋良様、何をしておいでですか?」 (秋良様……って、この俺も秋良なのか)  天に向かって手を伸ばす殿に呼びかけた孝則の呼称に驚く。  そして昼間会った現実の孝則が秋良が名乗った時、いきなり初対面の相手に「秋良様」と呼ぶのが一番いいと言い切ったあの時、見逃してしまいそうな程一瞬だけ嬉しそうな顔をした理由がわかった。きっとこの名前を聞いて、孝則はずっと探し求めていた殿が秋良で間違いないと確信したのだろう。  もしかしたら今日孝則に会った事で、殿を自分に置き換えてしまっているのかもしれないという可能性がまだ残っている限り、そうそう簡単に信じる気にはなれなかったけれど。  どうやら夢の中の事だからと一笑に付す事態でもないようだと、思わざるを得なかった。 「星を掴めないかと思って」 「また、子供みたいな事を」 「お前の前でだけは、子供でいてもいいだろ」  秋良の感想など関係なく、二人の会話は続いていく。  いつもとは違って平和な日なのだろうか、二人の間の空気は穏やかで、そして随分と甘い気がした。明らかに孝則に甘えている秋良の頭をそっと撫ぜて、孝則が微笑む。 「そうですね。秋良様はいつも随分頑張っていると思いますよ」 「……子供扱いは嫌だ」 「難しい事を仰いますね。子供でいたいのに、子供扱いは嫌なのですか」 「わかってるくせに」 「失礼しました」  口調は拗ねてはいるが、孝則に頭を撫ぜさせたままにしていることから、機嫌を悪くしていない事は明白だった。それは孝則にもわかっているのだろう、謝罪する言葉もどこか柔らかかった。  孝則とこうして二人でいられるだけで幸せだという感情が、殿を通して秋良の中にも湧きあがってきて、人の恋路を勝手に覗き見しているような気持ちになり、どうにも居心地が悪い。  しかし、目を逸らす事も叶わず、夢の中の二人の逢瀬は否応なく進む。それがどういう事か秋良が想い知るのは、二人を取り巻く空気が本格的に色を変えてからだった。  それまで秋良は、二人が恋人同士である事をどこか物語の中の事のように感じていて、だからこそ男同士だという事も主従関係だという事もスルー出来ていた。  秋良は基本的に他人の恋愛事情に関しては、それぞれの自由だという感覚も持っている方で、どんな関係を見ても嫌悪感を抱いた事など今までなかった。けれどいざ、当人の感情がダイレクトに伝わってくる事態に遭遇すると、そんな甘い感覚でいた自分を責めたくなる。  どうしてもっと激しく、この状態を拒否する努力をしなかったのか。他人の事だから、寛大でいられたのだ。まさか、自分にこんな事態が巡ってこようとは考えてもいなかった。  しかも殿と繋がっていない秋良個人の感情が、驚愕や戸惑いではあるが嫌悪ではないところがたちが悪い。 「孝則」 「秋良、様……」  また困った事に仕掛けたのは、殿の方だった。  優しくゆっくりと撫ぜてくれていた孝則の手を、星を掴もうと伸ばしていた手でそっと握る。寝そべっている秋良が孝則を熱い視線で射抜くように見上げると、孝則がその手をぎゅっと握り返してきた。  視線の先は、すでに輝く星々ではない。  夜空を隠す様に殿の頭上に重なった孝則の穏やかな表情が、世界のすべてになる。 「子供じゃ出来ない事、するか」 「魅惑的なお誘いですが……」 「ここは城の中ではないんだから、周りを気にしなくてもいいだろ?」  躊躇する孝則に向けて、何を気にしているか知った上で二人の気持ち次第だと暗に告げる殿の言葉に、孝則は苦笑するしかなくなる。 「御配慮、痛み入ります」 「よし」 「いいのですか?」 「今更だろ。大丈夫、俺はお前の事……っ、んっ」  それでも不安そうに確認してくる孝則が可笑しくて、安心させるように殿が笑って何かを言い終わる前に、孝則の唇が言葉を奪う。  続きを聞きたくないからなのか、それとも聞けば止まらなくなるからなのか、それは本人ではない秋良にはわからなかったが、一度軽く触れるだけで言葉を制した唇は、そのまま離れて行く事はなく回数を重ねてくる。  重ねる毎に深くなる口付けから、孝則はただ言葉を止めたかったからではなく、殿の一言が先ほどまで持ち合わせていた孝則の躊躇を吹き飛ばす効果があった事だけはわかった。 (何だこれ、気持ち良すぎ……る)  殿と繋がっている秋良にも、もちろんその唇の感触は伝わっていて。舌先を絡め取られ、歯列をなぞられて、背中がぞくりと震える。  秋良だって今まで何人かの女性と付き合って来た事はあるが、こんな風にキスするだけで身体が大きく反応する程溺れる様な感覚を抱いた事はなかった。ましてや、その相手が男性だという状況について行くのもやっとだというのに、秋良の感情が追いつく前に身体が溶かされてしまう様で、気持ちよさと同時に恐怖さえ感じる。  それは相手を否定しての事ではなく、自分の感情の波にと言う方が正しいだろう。殿がどれだけ孝則の事を信頼し、心から愛しているかの証拠の様でもあり。同時に秋良がこれまでここまで想える相手と出会えていなかった証拠の様でもあった。  羨ましい、と素直に思える。  男同士だろうが、主従という身分差だろうが、今この二人には関係ない事なのだ。秋良にとっては信じ難い事でも、この二人にとってはこれが自然な事なのだ。  殿を通じて秋良に伝わってくる心地良さと気持ちよさは、それらの事実を突き付けてくる様だった。 「秋良様」 「……っは、孝則」  やっと解放された唇から洩れた二人の声は、艶っぽくお互いを求め合っている事がわかる。  殿が孝則の首に両手を回すと、それで許可を得たかのように孝則が殿の上に覆いかぶさってきた。額、頬、首筋へと孝則の口付けが降って来て、そのまま殿の着物が肌蹴させられる。  口付けはそのまま止まることなく殿の胸元へと下りて行き、その胸の突起を甘く食まれた瞬間、殿の身体がぴくんと小さく跳ねた。その反応を確かめて、孝則の口付けがそこに集中していく。 「んっ、ぁっ……や」  殺そうとしても出てしまう声が、孝則を煽る様に響いた。  反応の返って来る場所を逃がすまいと執拗に責めながら、そっと腰元に伸ばされた手が殿の帯を解く。はらりと肌蹴た布が布団代わりに地面に広がり、同時に月明かりが殿の身体をうっすらと映し出した。 (着物って脱がすのに便利だな……ってか、この場合脱がされやすくて危険って感想のが正しのか?)  火照った気持ちと同時に、冷静な判断が出来る状況なのがむしろ恨めしい。これならいつもの様に、殿とリンクはするものの秋良の存在は別の所にある夢の方が、まだましだった気がする。  そんな秋良の感想など露も知らない孝則は、唇を身体から離して鍛えられて引き締まったその身体を確認するように、胸元から腹筋にかけてゆっくり指先でなぞる。 「あんま、り……じろじろと見るな」 「すみません。身体を私に預けて下さっているのだと思うと、つい」 「預けているのは身体だけじゃない、俺全部だ」 「それ以上言わないで下さい。抑えがきかなくなりますから」 「構わないから、言っている」 「貴方という人は……」 「……っ、んっ、ぁっ!」 (確かにその誘い文句は駄目だろ、俺。天然か?)  潤んだ瞳で真っ直ぐ孝則を見つめ、その言葉を否定した殺し文句に、理性が吹っ飛んだかのように首筋にかみつく様な口付けが落ちてくるのを受けとめながら、突然の孝則の行動を理解できなくて驚く殿とは裏腹に、秋良は孝則の気持ちを理解していた。  今の状況で好きな人に何もかも預けると言われて、こうならない方がむしろ男じゃないとさえ思うのだから、秋良としては孝則が起こした行動に文句など言えようはずもない。 (それよりも、俺の立ち位置ってまさか……っ、うっわ) 「ひぁっ、んぅ……っ」  秋良の不安が疑問の形になる前に孝則の手が下帯に伸びてきて、器用に脱がされたかと思うと、熱を持ち始めていた殿自身を孝則の手が直に触れてくる。  同性にその場所を触れられた事のない秋良の驚きと、実際に敏感な場所を触れられた殿の直接的な感情の声が重なる。ここまでとは比べ物にならない位の気持ちよさの波に飲み込まれて、秋良の冷静な感情部分は押し流されてしまった。  後に残るのは殿から伝わり与えられる快楽の渦ばかりで、例え止まる様に命じられたとしてもそれは難しいと言わざるを得ない。それに、この状況で冷静な部分の秋良が存在する事は、むしろ悲劇でしかないような気もした。  秋良の感情がいつもの夢と同じように殿と同化した事によって、身体も気持ちも同一に孝則を受け止めたからだろうか、この行為に対する気持ちよさは倍増したようだった。  殿の中にあるのは孝則への深い愛情と、全てを委ねてもまだ余りある信頼。なぜそこまでと、二人のこれまでの経緯を知らない秋良が思う余裕すら与えられない。  孝則の手の中で追い上げられていく熱は、すでに解放の時を今か今かと待っている様な状況だった。 「た、かのりっ、も……っ」 「いいですよ、一度吐き出して下さい」 「んっ、ぅ……ぁは、んっ」  ぎゅっと縋りついてくる殿の腕に力が入り、すでに限界が近い事を孝則に知らせる。  艶めかしく揺れる腰つきに合わせて、孝則がその熱を放出させる様に緩慢に与えていた刺激から動きを激しく変えて行く。 「……っぁ、ぅっんン!」  時は間もなくやって来て、抵抗する暇さえなく大きく背中を逸らせると同時に、殿の熱は孝則の手の中に吐き出された。  大きく呼吸をする殿の目の前で、孝則が手の中に溢れる白濁をぺろりと舐めると、殿が潤んだ瞳で恨めしそうな視線を投げかけた。 「舐めんな、そんなの……っ」 「貴方のものは、全部くれるんでしょう?」 「それとこれとは、違……っん、っ!」 「違いません。でもそうですね、残りはこちらに使いましょう」  殿の文句が言い終わる前に、言葉を軽い口付けで塞ぎ。解放された唇がまた言葉を繋げる前に孝則はそれを頬笑みで制して、指を下肢に滑らせた。 「ちょ、待て……孝則……ぁっん」  ぬるりと自分の吐き出した欲望の熱は孝則の指によって、気持ち悪さを感じる暇もないまま殿の後孔へと流される。  感じたばかりの身体はまだ上手く力を入れられる状態にはなく、孝則の身体を這う手の動きに翻弄されるばかりで、ろくな抵抗も出来ない。  孝則を信頼はしているし、自分が孝則を求めるのと同じく、孝則が身体ごと自分を求めてくれている事は嬉しいと感じる。けれど全部を任せると思っていても、羞恥が生まれないわけではないのだ。  孝則が冷静であればあるほど、一人乱されている状態に恥じらいが生まれるのは仕方のない事だと思う。  恋人同士という時間以外は、孝則は忠実な部下であり頼れる臣下であり、間違った方向に進もうとしていたならしっかり苦言は入れてくれるが、決して嫌がる事はしない、絵に描いた様な上下関係を保っているのだから尚更だ。  頬を染めて孝則を止めようとする殿の言葉は、孝則にとっては煽るだけの結果しかもたらさなかったらしく、止まるどころかむしろその手の動きが大胆になっただけだった。 「いいから、任せておいて下さい。悪い様には致しませんから」 「そういう、事じゃ……なくっ、ひぁっ」  抗議の途中だったが、孝則の指が殿が先ほど吐き出した熱をそこに絡ませながら、後孔の中に入り込んできて、思わず大きな声が出た為に殿は慌てて口をつぐむしかなくなった。  最初に感じた異物感は、どこがいいとか気持ちいいとか一度も告げた事はないはずなのに、いつの間にか殿の中を知り尽くしている孝則の指が間もなくイイところを探り当てたせいで、すぐにもどかしい疼きへと姿を変える。 「っぁ、んぅっ……ぁんっ、は」  増やされた記憶もないまま、中で蠢く指の数は二本を超えて三本に達していて、出すまいと必死に耐えていたはずの喘ぎ声が、止めどなく溢れ出す。  孝則に触れられている時間は、まるで身体が自分のものではない様な感覚がして、怖さと快楽が入り混じって訳が分からなくなる。縋りつく様に孝則の背中に腕を回して身体ごと引き寄せると、安心させる口付けが額に降って来た。  それは二人が抱き合う時の合図の様な儀式で、そうすると孝則の指が殿の中からゆっくりと外されて行く。一瞬の喪失感と、次に訪れる大きな質量に息が詰まった。  呼吸が上手く出来なくなっている殿を落ち着かせるように、孝則の手がゆっくりと頭を撫ぜる。 「ゆっくりでいいですから、息を吐いて」 「わかっ……て、る」  孝則の言葉に頷いて何とか細かい呼吸を繰返し、やがてそれが落ち着き始めた頃、涙ぐんだ瞳を開くと殿の目の前には心配そうに覗き込む孝則の表情があった。 「……大丈夫ですか?」 「平気、だから……っ、早く」 「……っ!」  まだ多少苦しさと違和感は拭えない状況ではあったが、それ以上に今のもどかしさの方が辛い。殿から催促するように孝則の唇に触れると、孝則が驚いた様に目を見開く。  そんな孝則を見る事が出来て満足して、殿が嬉しそうに微笑むと孝則が照れたように微笑みを返し。そして手加減はいらないと確証を得たかのように、ぐっと腰を動かした。 「んぁっ、ちょ……急に……っ」 「早く欲しいとせがまれたのは、貴方でしょう?」 「……嫌だとは…言ってない」 「これ以上、煽らないで下さい」 「何……、っんぁっ!」  殿には何が孝則を煽ったのかはわからなかったが、孝則の激しさを増した動きにそれが本気だと言う事だけはわかった。  殿の中を掻きまわす動きは的確に気持ちの良いところを突いて来ていて、先ほど吐き出したばかりの熱がまた否応なしに高まって行く。  生理現象的に溢れ出しそうな涙目でそっと孝則の顔を覗き見ると、そこには余裕など一切ない事がわかる表情があって、受け入れているのは殿のはずなのに、孝則のすべてを手に入れたかのようで嬉しくなる。  心の充足と共に、愛され続けている身体の限界が相まって、殿の限界はすぐにやってきた。それは孝則の方も同じようで、切羽詰まったその背中をぎゅっと抱きしめると、引き寄せられるようにその唇が殿のそれに重なる。  絡み合う舌と重なり合う身体は、まるで一人の身体ではない様で、どこがどちらのものなのか分からなくなって行くようだった。 「も……っ。た、かの……りっ」 「秋良様……っ!」  解放された唇で限界を告げる様に孝則を呼ぶと、孝則もそれに答える様に殿を呼び。解放へと向かう孝則の動きは一層激しさを増し、苦しい位に抱きしめられたと思った瞬間、その熱量が殿の中に流れ込んでくるのを感じた。  そして孝則の熱を受け止めると同時に、殿のそれも二人の身体の間で弾けていた。  身体全体が鉛の様に重く、動くのも億劫になっている殿の身体をもう一度愛おしそうにぎゅっと抱きしめて、孝則が殿の額に口付けて微笑む。  その穏やかな表情に安心して頬笑みを返し、殿は孝則の腕に頭を預けてゆっくりと意識を手放した。

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