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第拾参話

 最期の日。  重なるだけの口付けを受け入れて、殿は孝則に微笑みかけた。 「殿?」 「お前とは、きっとまた逢える。そんな気がする」 「もちろんです。今度は私が、貴方を見つけ出しますから」 「そうだな……。ではひとつ、約束をしよう」 「約束、ですか?」  殿は腰に佩いていた刀をすらりと抜き、孝則の前に差し出した。何をするか察した孝則は迷わずその刀の前に跪き、その刀身に唇を落とす。  それは秋良がその刀に言葉を込めて必ず守るという約束であり、孝則が殿に向ける絶対の忠誠によりその約束を受けるという、小さくてけれど強固たる呪縛にも似た誓い。  それを孝則は、紡がれる言葉も内容も聞かない内に実行した。その全幅の信頼に苦笑し、だからこそ必ず叶えると強く願った。 「またいつか必ず、この桜の木の下で逢おう」 「承りました」  この約束がいつの日か必ず果たされますように、と。  桜舞う青空の下で心から祈って、そうして二人は歩き出す。その後ろ姿はすらりと伸び、理不尽な運命を前にして後悔も未練もそこには存在していなかった。 * 「秋良、こんな朝から何処へ行くんですか?」 「いいから、黙ってついて来いって」 「はい……?」  目が覚めた時は、すでに朝が来ていた。  汚れたはずの身体は綺麗になっており、きちんと着ていた服も身につけてベッドの中で目覚めたという事は、後始末は孝則がしてくれたのだろう。  さすがに起きた時、真横に孝則の寝顔があった事には驚いたが、シングルベッドに二人で寝たのだからそれは仕方がない。二人分の広さがあったとしても、その距離は変わらなかったかもしれない。  暫くじっと珍しい孝則の寝顔を見つめて、幸せを感じこそすれ後悔が少しもない事に、出会いからこの場所にたどり着くまでの怒濤のように過ぎた時間の短さから、一時の気の迷いという可能性への僅かな不安は綺麗に掻き消えた。  最中に殿と秋良の感情全てが染み込んでいった様な不思議な感覚と、そしてたった今見た夢の力強さに、秋良は自分が殿でもある事を受け入れざるを得なかった。それは孝則が今生きている秋良をちゃんと見てくれていた事を実感できたから、認められたのかもしれない。  身動ぎの後、ふわりと瞳を開けた孝則の頬に笑顔でそっとキスを落としたら、秋良の倍以上は幸せそうな笑顔が返ってきて、ぎゅっと抱きしめられた。  もうこの孝則は殿のものではなく、自分のものだと実感出来る。だから秋良は朝食もそこそこに、孝則を連れ出す事にした。  辿り着いた先は、江藤秋良と椎名孝則として二人が初めて出逢った丘に立つ、桜の木。殿と孝則が過去に二人が愛を育み、別れた場所。  花盛りの時期を逃してしまった事だけが悔やまれるが、約束に季節は織り込んでいなかったのだから、勘弁して貰う事にする。  桜を背に秋良が立ち、その正面に孝則を立たせる。夢のシチュエーションと全く同じ立ち位置。  突然の行動に戸惑う孝則に、秋良はすっと甲を上に手を差し出した。 「この時代に、刀はないからこれで勘弁してくれよな」 「……秋良?」 「またいつか必ず、この桜の木の下で逢おう」 「…………っ!」 「俺から持ちかけたのに、随分待たせて悪かった」 「殿! 秋良……様?」 「あぁ、認めるよ。でも殿様呼びは、今だけな」 「はい」 「また会えて嬉しい。これからはずっと俺の傍にいてくれ」 「……承りました」  孝則が跪いて、秋良の手の甲に唇を落とした。  この時代で初めて会った日、友達と同じように扱って欲しいと言った直後にされた口付けの意味をようやく知る。だがあの時と違うのは、秋良がその意味を思い出した事。  そう、これはあの日秋良の差し出した刀に示した、約束の受諾と同じ。必ず果たすと決めた、誓いの呪縛を解く儀式。  俯いたままの孝則の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。その涙を拭って上を向かせ、夢を再現するように温かな頬笑みを浮かべながら、孝則に近づくように腰を落とす。と同時に、孝則が引き寄せられるように腰を浮かし……。  まるでそれが当然の事の様に、二人の顔はゆっくりと近付いていった。  あの日と同じ。けれど最期ではなく、これから始まる希望に満ちた再会の口づけを交わす二人を、桜だけが優しく見ていた────。 了

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