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第12話

 本当に楽しい夜だった。  遥の作ってくれたカクテルは美味かったし、ジュークボックスの音楽に合わせてダンスもした。テネシーワルツはレイラを思い出させて、少し寂しくなったけれど、ミハイルがそのぶんだけ、強くホールドしてくれた。  でも一番嬉しかったのは、遥が、カウンターの隅に見つけた一枚の写真だった。  「これ、見つけたけど、誰なの?」  並べたボトルの間に隠すようにそっと置かれたそれは、既に色褪せていたが、ふたりの若者が誇らし気に笑っていた。 「それは、私だ。学生の頃だな」  ミハイルが差し出されたそれを懐かし気に指でなぞる。 「えっ?レヴァントさんは、学生の頃ってこんなに細かったの?それに眼鏡.....」  そうだ。学生の頃のミハイルは銀のフレームの眼鏡をかけていた。本当に真面目そうで、いや真面目だったが、内気で、よくブリッジをいじってた。 「思うところがあって、鍛えたからね。眼はレーシックで直した」 「そうなんだ.....」  感心する遥に少しはにかんで、ミハイルが言った。   「私の思い人は『男は強くなきゃいけない』とよく言っていたからね...」  チラリとブルーグレーの瞳が俺を見た。無意識に俺は頬に血が上るのを感じた。酒を飲んでて良かった。 「そうなんだ.....。この隣の人は誰?」  覗き込む俺の眼に、ボサボサの茶色い髪で、鳶色の瞳の、満面に笑みを湛えた青年が立っている。ふたりで肩を組んで 釣ったばかりの魚を掲げて、屈託なく笑っている。....これは。 「私の大事な友だ。唯一の親友で戦友で、何物にも換えがたい宝物だ」  ミハイルの瞳が、じっと俺を見つめる。俺は思わず泣きそうになった。見間違うはずもない、その写真にミハイルと写っているのは、若い日の俺だ。ミハイルに誘われて、初めてこの別荘に来て、一緒に釣りをした。写真を撮ってくれたのは、保護者がわりに付いてきたオヤジだ。 「そのご友人は.....健在なのですか?」  隆人が躊躇いがちに訊いた。 「健在だ」  ミハイルが微笑んで言った。 「長い事、離れていたが、先頃やっと再会してね。今は誰よりも懇意にしている」  それはまぁ......ベッドまで共にしているからな。だが、次のヤツの言葉に俺は胸が詰まった。 「彼に再会するまで、私はここに来ると、この写真を見ながら、彼との楽しかった時間を思い出していた。.....再会できた今はとても幸せだ」   「羨ましいことですな.....」  隆人が吐息を洩らした。 「私にはそういう友はいない.....」 「気がついていないだけなんじゃないか?」  俺はなにげに遥に目配せして言った。 「きっと、そのうちわかるよ、隆人にも」  遥が小さく頷いた。  その夜、俺達はいつもより深く愛し合った。 『本当に重いヤツだよなぁ、お前は.....』 とボヤく俺を、ミハイルはじっと見詰めて、耳許で含み笑いながら囁いた。 『嫌いじゃないだろう....?』  ああ、その通りだ。俺は熱烈な口づけで答えてやった。    次の日は、ふたりはタニアの案内でサンクトペテルブルクの市内を観光して、翌日は俺達とバレエの公演を鑑賞。  そして再び東京へ帰る日、遥は本当に名残惜しそうだった。隆人がカウンターで搭乗手続きを済ませる間、色々な土産物を見ようともせず、ずっと俺達の傍を離れなかった。桜木に促されてゲートに向かう時も、じっと立ち止まり、俺達を見つめていた。 「絶対、また来るから!」  涙で目を滲ませる遥の傍らで桜木が俺とミハイルに深々と頭を下げた。 「必ず来いよ。待ってるからな....!」  見送りのデッキで手を振る俺に大きく手を振り返して、遥達は機内の人になった。アエロフロートの鈍色の機体がゆっくりと旋回して、滑走路を滑り出す。   やがて遥達を乗せた機影はサンクトペテルブルクの夏空に吸い込まれて、見えなくなった。 「また会えるといいな......」  呟く俺の頭をミハイルの掌が優しく撫でた。 「ミーシャ......」  俺はここのところ、ずっと思っていた事をミハイルに打ち明ける決心をした。 「なんだ?」  ヤツのブルーグレーの瞳が俺を見つめる。 「俺、医者になりたい.....」  ミハイルは、一瞬眉をひそめ、俺の顔を覗き込んだ。 「崔の供養か?」 「そういう訳じゃないけど...」  口ごもる俺に、ミハイルはふふっ...と小さく笑った。 「挑戦したいなら、すればいい。私は止めはしない」   「ミーシャ、いいのか?」  ミハイルは、サンクトペテルブルクの夏空を眩し気に仰いで、言った。 「お前がどれだけ高く翔ぼうとも、私は構わん。お前は私という宿り木に必ず帰ってくるからな」 「大した自信だな」  呆れる俺に、ヤツは唇の端をほんの少し歪めた。 「事実だ」  俺は肩を竦めて、呟いた。 「遥はどんな空に羽ばたくんだろうな.....」 「それは隆人だけが知っていることだ。帰るぞ.......」  ミハイルが、くいっと首を傾げた。    そして、また俺達の平穏ではない日常が始まる.....。   ~Fin~      

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