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第9話

 夜、お夏は土間の奥にある女中部屋に布団を敷く。  舟而は客間と茶の間のあいだにある寝間に布団を敷く。  さて、この家に書生部屋はないから、などと悩んでいたのは舟而だけで、これもお夏の差し金か、俥で運んできたという白帆の銀杏鶴紋が描かれた柳行李と、一組の布団は初めから寝間に置かれていて、舟而の布団の隣に白帆の床が延べられていた。  女学生のような矢羽根模様の布団を見て、舟而はまた気が差す。 「まだ十五歳だ」  そう自分に言い聞かせるくせに、ほんの少し白帆の布団を引っ張って自分に近寄せて、やっぱりよくないと押し戻したり、でもあまり遠いのもよそよそしいと再び引き寄せたりしていたら、投網模様の寝間着をまとった白帆が襖を開けた。 「ああ、ええと」  白帆はおかっぱ頭の黒髪をさらりとこぼしながら首を傾げる。 「いかがなさいましたか」 「いや、可愛らしい布団だと思っただけだ。うん」  言い訳がましく矢羽根模様に手を置いた。  白帆は矢羽根模様の上にそっと膝をつく。舟而がその気になれば、手を伸ばせる近さだった。 「私が子供の頃、兄たちに着させられていた着物です。女の子の着物を着せると無事に育つからって、小学校へ上がるまで女の子のように育てられました」 「そうかい。白帆はお兄様たちに守られて安心して眠っているんだな」  兄たちの気配が布団から立ち上り、舟而を睨みつけているように思えて、舟而は白帆の布団から手を離した。 「あまりに守られて、甘やかされて、役者の稽古ができないので、私は実家の銀杏座を出て、躍進座の親方のところへ行ったんです」  白帆は困ったように笑った。 「そんなに甘やかされたのかい」 「それはもう大変でした。どこへ行くにも、兄たちのおんぶや肩車です。魚の骨は全部とってくれるし、味噌汁は冷ましてくれるし、着物も着せてくれるし、(かわや)もついてきてくれるし。踊りの稽古で、師匠が私の手や足を扇子でぴしゃりとやろうもんなら、『痛かっただろう』、『可哀想に』、『泣かないで偉かった、大したもんだ』って、大きな金平糖をくれて、叩かれた場所を冷やしてくれて、大騒ぎでした」 「白帆が可愛くて仕方ないんだな」 「兄たちは銀杏座の舞台に立っているんですけど、時たま躍進座の花道の脇に座っていることがあって。揚幕が上がった瞬間にこちらに向けて手を振っているのを見ると、眩暈がします」 「自分たちの舞台の合間に駆けつけてくれているんだね」  眉をハの字に下げる白帆に、舟而は微笑んだ。 「今度の正月こそ帰っておいでって手紙が届くと、今度はどんな言い訳をしようか悩んじまいます」  白帆は深いため息をついて、話の矛先を変えた。 「そういえば、先生はお正月はお(さと)に帰られますか?」 「ずいぶん先の話だね。でも、僕もお夏も帰らないよ。田舎でお夏を女中として雇ってると知れたら、少し面倒だからね」  舟而はこの折にお夏の境遇を話しておこうと、言葉を続けた。 「お夏は商家の娘だったんだけど、商売が傾いて、親があまりよくない店の畳み方をしたんだ。それで僕たちの田舎では、今でも名前を聞くと嫌がる人がたくさんいる。お夏は十歳の時に売られて、その先の行方は今でもわからないことになっている。僕が新聞社の人に新橋に連れて行ってもらったときに、芸者をしていたお夏と偶然再会したんだ」 「先生が水揚げなすったんですか」  いいやと舟而はかぶりを振る。 「すでにお夏は質屋の旦那に身請けされることが決まっていて、そのあとすぐに祝言をあげた。ただ、その旦那があらしの日に土手から足を滑らせて、川に飲まれて亡くなってしまってね。夏は身ごもっていたんだけど、お腹にいた子供も流れてしまった。それで、行くところも帰れる田舎もなくなってしまったから、僕のところへ女中に来てもらうことにした」

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