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第11話

 舟而は原稿用紙の裏に鉛筆で、左から右へ下書きし、裏返して表面に下書きを透かしながら万年筆で右から左へ清書していく。  時には話の順序を入れ替えるために、原稿用紙を鋏で切り分けて並べ替え、糊で貼り合わせたりもする。  書いたり消したり、切ったり貼ったりを繰り返し、自分の意思とは異なった結末から新しい展開へ広がってきて、軌道に乗せるまであと少しだ。  書斎を出た舟而はすとんと土間に下りて、コップに汲んだ水を口の端から零れるのも構わず一息に飲み干すと、手の甲でぐいっと口元を拭った。 「あと一時間! 日比の野郎め」  柱に掛かる振り子時計を睨みつけると、土間から廊下へひらりと飛び上がり、書斎へ向かって肩をいからせて歩いて行く。 「また、やられたのぉ?」  お夏がその背中へのんびりした声を掛けるのに、舟而は振り向かず声を張った。 「畜生、大学出を鼻に掛けやがって!」  書斎の襖をぴしゃりと閉める。 「一時間後には大嵐よ。今のうちに甘い物を食べて、備えておきましょ」  お夏は三日月形に目を細め、白帆も促されて、金平糖を口の中で転がしながら、焙じ茶を飲んでいたら、五〇分も早く新聞社の日比が来た。 「ごめんください。日日新報の日比です」  お夏と白帆は顔を見合わせ、無理矢理に金平糖を噛み砕いて焙じ茶で流し込み、襷を外し、前掛けを落として玄関へ出る。  お夏に倣って、白帆も斜め後ろに控えて同じように膝をつき、三つ指をついて出迎えた。 「ごきげんよろしゅうございます。先生はまだ原稿用紙に向かっていらっしゃいます。午後四時までお待ち頂きたいとのことですが、よろしいでしょうか」 「構いません。もとよりそのつもりです。近くで別の用事がありまして、それが早く終わったものですから、早過ぎると思いながら伺ってしまいました。待たせて頂いてよろしいですか」 「もちろんでございます。どうぞお上がりくださいまし」  帽子を預かって、日比を客間へ案内する。  上座はあくまでも舟而先生の席、日比は下座の座布団へ案内し、煎茶と煙草盆を差し出した。  白帆の所作の一連を見終えてから、日比は包みを差し出した。 「これ、舟屋の芋ようかんです。甘い物がお好きだと伺ったので、どうぞ」 「ありがとうございます。お夏さん、日比さんから頂戴しました」 「まあまあ、書生にまでお気遣い下さるなんて、なんて気の利く方でいらっしゃるんでしょう。先生にお気遣い頂いたことを申し上げてから、あとで有難く頂戴しますね」  べたつかない挨拶の仕方をして、目を三日月形に細める。粋なのに上品さが失われていない、白帆がもっとも憧れる姿だった。  振り子時計が四時を打った。  同時に書斎の襖が開いて、大きな足音を立てながら、原稿用紙の束と今日の朝刊を持った舟而が客間へ入って来た。 「やってくれたね」  舟而は剣呑な声を出し、立ったまま日比を見下ろす。 「先生のお名前を守るためです」  日比は目を伏せたまま、背筋が冷たくなるような声で静かに答えた。  お夏の目配せで、白帆はお夏と共に一礼して客間を出た。 「いいこと、そっとお茶をお出ししたら、引っ掛からないですぐに逃げて来るのよ」  お夏に言い含められて頷き、白帆は盆を持って客間へ行く。  舟而の傍らで茶托に茶碗を載せている間も、ひりつくような空気は続いていて、日比が悪びれもせずに言葉を返していた。 「私のほうが日本文学においては専門です。師範学校出の英語教員だった先生などより、文学の機微については詳しい。先生を〝渡辺舟而先生〟にして差し上げているのは、私なんですよ」  不遜な物言いをして嗤い、片手で茶碗を持ち上げて歪んだ唇にあてた。舟而も日比から目をそらさないまま、ゆっくりと煎茶を飲み、口を湿してから口を開いた。

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