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第47話
「お供します。女中がいなかったら、お困りでしょう」
「困らないよ」
「ご飯を炊くこともできないくせに、女中がいなくても困らないようなところへ帰られては困ります。お夏さんのところですか、お子さんのところですか。お二人のところへ帰るのは、もっとずっとずっと先でいいじゃありませんか」
舟而は口を突き出す。
「ほかに帰る場所なんてないだろう」
「あります。私のところです。私のところへ帰ってきてください」
「お前の?」
舟而が鼻で笑った。白帆は取り合わず、舟而の正面に立ちはだかった。いつの間にか顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていて、繁柾の下駄を履いた足は冷たい波に濡れたが、構わなかった。海を背に両手を伸ばせる限り横へ広げて、両足を踏ん張って、強い風に負けないように、舟而に届けと腹の底から喋った。
「私はっ! 私は、先生が書く芝居を演じますっ! 芝居がはねたら、吾妻橋の向こうの家へ帰りますっ! 先生がお好きな焼きおにぎりも、コロッケだって作りますっ! だから、先生も帰ってきてくださいっ!」
舟而は片頬を上げる。舟而の革靴にも波が掛かった。
「どちらかというと、家で仕事をしている僕のところへ、お前さんが帰ってくるんじゃないのか」
「じゃあ、それでもいいです。でも、夜、布団の中で先生が帰ってくるのは、私の中です。私の中へ帰ってきてください。お願いです。お願いします……、お願い…………」
舟而はもう海の奥へ行こうとはしなくて、ただ泣きじゃくる白帆を胸に抱き、背中に手を当て、髪を撫でた。
「…………いいんだろうかね。僕だけが長生きをして、楽しいことをして、笑って、遊んで暮らしていても。いいんだろうかね」
「もちろんです。この世だって地獄です。いいことばかりじゃありません。実際、今だって先生は、死にたいほど苦しいじゃありませんか。だから……、だから死ぬまで私と生きる地獄を楽しみましょうっ! 私たちは一蓮托生ですっ」
白帆は力一杯舟而を抱き締めた。二人の足にはひたひたとした満ち潮の波が打ち寄せ、ずるりと返して泡沫がはじけ、また冷たい水が襲って、引いた。
舟而も白帆を改めて強く抱き締め、黒髪に頬を擦り付けて、涙声で言った。
「ああ……苦しいな。お前さんの言う通り、生きるも地獄だ。こんな地獄でお前さんと手を取り合って生きていくのか」
「はい。決して楽じゃござんせん。覚悟なさいまし」
波が打ち寄せる強い音と、松林を抜ける風の鋭い音が、抱き合う二人を取り巻いていた。
「わかったよ、一蓮托生だ。僕のことを頼んだよ」
「はい。私のことをお願いします」
互いの唇の形が歪むほどに強く口を押し付け合っても、頬を伝う涙は入り込んできてしょっぱかったが、それでも負けずに唇を重ねた。
明けた空に鳶の鋭い鳴き声がして二人は目を開け、気持ちを支え合うように手をつなぎながら白い砂浜を歩いた。濡れた足はぐしゃぐしゃと気持ち悪く、足元の砂は常に崩れて、歩きにくい道だった。でも振り返れば二人の足跡は確実に刻まれていた。
「あ、痛っ」
割れた貝殻の欠片が、白帆の下駄と足袋の間に入り込んだ。足袋の裏に小さく血が滲んだ。
「大丈夫か」
「大した傷じゃないです。唾つけときゃ治ります」
踵に血をにじませて痛みをこらえて歩く白帆の姿に、舟而は手掛かりを得た。
「そろそろ新しい話を一本書こうか。お前さんが舞台に上がれる話を、書いてみようか」
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