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第55話

 白帆を自宅の寝間に敷いた布団へ落ち着かせて、舟而は割烹着姿で土間に立った。とても片襷に前掛けなどという姿で臨む勇気はなく、見たくれよりも実用性を重視した。  そして、いつも白帆が頼っている『三百六十五日毎日のお惣菜』(櫻井ちか子・著)を開き、頁を繰る。 「ふうむ。消化がよい食べ物、かつ栄養のつく食べ物、か。ビステキは消化がよくなさそうだし、スチューで栄養はつくだろうか。……ああ、これならいいだろう」 -----      (いも)  (がゆ)  (こめ)二合(がふ)(みづ)八合(がふ)(わり)()にかけます。(こめ)(すこ)()えたところへ(さつ)()(いも)(しほ)とを()れ、(いも)(やはら)かくなつたらば()()し、(ふた)をして十(ぷん)(かん)(ほど)()して()きます。  (さつ)()(いも)は五()(ぐらゐ)(さい)()()り、鹽水(しほみづ)()けて灰汁(あく)()しておくのです。 ----- 「この櫻井ちか子先生って人は、藷を五分の賽の目に切るなんていう重要事項を、どうして先に書かないんだろうな。順々に書けば、読みながら料理できるだろうに。僕の小説みたいに人をだましてやろうというのでなければ、物事は時系列順に書き記すべきだ」  舟而は口を突き出し、サツマイモに危なっかしい手つきで包丁を入れる。コト……ン、コトン、コットンと包丁の刃がまな板にあたる音が土間に響く。 「丸い物を賽の目に切れというのも変な話だ。どうやったって、四角くなるのは真ん中だけじゃないか。どこまで切っても必ずどこかが扇形になる。料理に慣れない者のための説明には足りないな」  首を振り振り、塩水につけた大きさの均等しない賽の目ふうな藷を、少し米が煮えたと思われる鍋に入れ、さて考える。 「塩はどのくらい入れるんだ?」  舟而は自分の両手の中で、右に左に頁を繰った。 -----  (あぢ)(のう)(たん)調(てう)()(れう)(ぶん)(りやう)などは(ふで)では(たう)(てい)(まん)(ぞく)(せつ)(めい)()()(がた)いものです。これは(かく)()(しゅ)()(さい)三の實験(じつけん)とによつて()(とく)するより(ほか)()(かた)のないものと(おも)ひます。 ----- 「なん……だと……?」  舟而は塩の入った壺を見て、それから米が湧き上がっては沈むのを繰り返す鍋を見た。何度見比べても塩の量を教えてもらえるでなし、自然に口が前へ突き出てくる。 「いくら趣味によると言ったって、指でつまむのか、相撲取りみたいに大きく一掴みするのか、そのくらいの書き方はできるだろう! 大まかな分量を書いておいて、あとは各自に任せると書けばいいじゃないか! 不親切だ!」  とにかく塩を入れなければならない。舟而は塩壺に手を突っ込むと、これと思う量を掴み、鍋の中へ投げ入れた。 「南無三っ!」  果たして、出来上がった芋粥は、流しへ顔を突っ込んで吐き戻すほどに(から)かった。 「八合も水を入れてあったのに、どうしてこんなに鹹いんだ! うえっ! うええっ!」 「せ、先生っ! お加減が悪いんですか。私の病気が伝染っちまったのかしら、どうしよう!」  白帆が這うようにしながら、土間まで駆けつけてきた。 「い、いや。僕は何ともない。ただちょっと芋粥の調子が悪いだけだ」 「はあ、芋粥ですか?」  白帆は鍋を見て、匙で掬って口に運び、噎せた。 「ずいぶん力強い味になさいましたね」  揃えた指先で口元を覆い、切れ長な目を細めて肩を震わせている。 「素直に鹹いと言っていいぞ」  舟而が口を突き出しているところへ、白帆はそっと自分の唇を触れさせた。 「ふふふ。ここまで塩っ辛いと上手くいくかわかりませんけど、手当してみましょうか」

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