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第72話

「よろしくお願い致します」  月例会議で検討されて、すぐに舟而は呼び出された。 「役員室? どこにあるんですか」  教えられて、ビルヂングの最上階にある大きな部屋へ足を踏み入れると、肩書きだけは知っていて、顔は初めて見る面々が、舟而に笑顔を向けていた。 「こういった斬新なアイディアと、客の立場に立った娯楽性を我々は求めていました。ぜひとも話を進めていただきたい。秋に二週間、小屋を押さえますから、その予定で稽古を進めてください」 「演出の先生は?」 「お書きになる舟而先生が、直接なさるのが一番でしょう。勝手のわからないところがあれば、森多先生に補佐をお願いするということで」  幹部連に連なる森多の顔を見ると、森多は不安の色を目に宿す舟而を見て呵々とばかり笑った。 「舟而君はもうずっとぼくの隣で見てきたし、心配いらないだろう。困ったことがあったら、言ってくれ」  頼むよ、楽しみにしているから、期待してるよ、口々に言われ、肩や背中を叩かれて、舟而は役員室を出た。 「よしっ! やった!」  腹の前で両の拳を握り締めて、小さく呟くと、舟而は階段をひらひらと何段も飛ばしながら駆け下りて、白帆の楽屋へ飛び込んだ。  白帆は鏡に向かい、一人で静かに顔を作っていたが、舟而が入ってくると目玉だけを動かして、鏡越しに舟而を見た。  舟而は笑みを浮かべて見せ、白帆の隣に膝をついた。 「やった、採用だ!」  小さな声で叫ぶと、白帆は両目を大きく開き、笑顔を咲かせて、舟而の両手を自分の手の中へ包み込んだ。 「おめでとうございますっ。一度目の企画書で採用されるなんて!」  ひそひそと祝ってくれる声に、舟而は頷いた。 「白帆のおかげだ」 「とんでもない、先生のお力です」 「書き上がったら、演じてくれるよね?」 「もちろんでございます。ああ、今から楽しみです!」  思い余った白帆は舟而の頬へ接吻し、唇の形に紅をつけてしまって、二人は一緒に鏡の中へ収まりながら、手拭いの端で舟而の頬を拭った。 「何だか、紅が伸びていく一方だ」 「クリームをつけて拭き取らないとダメかしらん。ちょっとごめんなさいまし。これで拭き取って。ふふ、ほっぺたが片方だけベタベタになっちまいましたね」 「もう片方も同じようにしてくれればいいさ」  差し出された頬に、白帆は唇形の紅をもう一度つけてから、コールドクリームを塗って拭き取った。 「お顔、洗ってくださいましね」  化粧石鹸を渡されて、その日、舟而は甘いシャボンの匂いに包まれながら、二階の客席の一番後ろで左肩を預け、腕を組んで白帆の演技を見守った。  女として舞台狭しと飛び回っている白帆を、自分はどのように料っていくか。 「本当の二代目銀杏白帆は、こんなものじゃない。僕しか見つけることができない白帆を、舞台の上で見せつけてやる」  相手役の男の手を引いて、花道を去っていく白帆の姿を拍手で見送りながら、舟而は強く口を引き結んでいた。

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