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第77話

 会場から拍手が沸き上がる中、舟而は花束を軽く掲げて見せたが、白帆は舞台上手側の袖で、黒髪を揺らしながら首を左右に振り、両手も横に振った。 「そんな風に言わないで、頼むよ、白帆。ここへ来て、僕の、きみへの愛を受け取ってくれ」  白帆は舞台の上へ押し上げられたが、まだ端の方でもじもじしていた。 「白帆、もっとこっちへ来てくれ」  マイクを通して名前を呼ばれて、舟而の笑顔が真っ直ぐ白帆に向いていて、誰かに強く背中を押されて、ようやく白帆は舟而の隣まで歩いて行った。 「先生、おめでとうございます」 「ありがとう。こんな野暮天な僕だけれども、これからも一蓮托生で頼むよ。……いいかな?」  白帆は何も言わず、ただはっきりと頷くと、舟而から花束を受け取った。  沢山の拍手にただお辞儀をして白帆は逃げるように舞台を降りて行ってしまった。  お開きになって、舟而が来賓を見送る間、白帆は舟而の楽屋として与えられている小部屋へ駆け込むと、壁に寄り掛かってしゃがんだ。 「先生、ずっと、ずっと、一蓮托生です。どこまでもついて参ります……」  真紅の薔薇の花束を抱き締めて、今日一日ずっと我慢していた大粒の涙をぽろぽろとこぼした。 「今度はどんな脚本がいいかな」  自宅の台所で、舟而は椅子に腰掛けて脚を組み、膝を抱えて、瓦斯コンロに向かう白帆へ話し掛けた。 「さよですねぇ」  白帆は蛸足の煮えて丸まったのを半分だけ口に挟むと、残りの半分を唇ごと舟而に差し出す。  舟而が蛸足と白帆の唇を同時に口にした瞬間、勝手口の扉が開いて、二人は肩をはね上げた。 「白帆ちゃーん! ……あら、どうしたの?」  椅子に座った舟而へ覆いかぶさったような白帆の姿に、次兄はきゅっと首を傾げる。 「ぼ、僕の目にゴミが入った、かな?」  舟而の言葉に合わせて、白帆は急いで舟而の瞼を上下に開き、覗き込む。 「あ、あの。餡子の毛が入っちまったみたいです。もう大丈夫ですよ、ええ」 「そうかい、ありがとう」  二人はなるべく自然と思われる動きで身体の距離を空け、一足先に立て直した舟而が目を弓形に細める。 「ちい兄さん、如何されましたか」  次兄は深緑色の何かが詰まった大きな瓶を差し出した。 「銀杏家特製の湿布を持って来たのよ。白帆ちゃんの大事な先生が、たくさん原稿を書いて、右の手首が痛いって言ってたから。ネルに塗って、手首に巻くといいんだわ。きっと、すぐによくなってよ」 「ありがとうございます」  差し出した舟而の手へどっしりとした瓶を乗せると、振り返って白帆の顔を見た。 「白帆ちゃん、たまにはウチへも顔を出しなさい。お隣に住んでるんだから!」  白帆は黒目を真横へ動かし、赤い唇を尖らせる。 「ちい兄様は簡単に隣って言うけど、ウチには箱根の山よりも切り立った高い塀があるし、そちらの庭には琵琶湖みたよに向こう岸の見えない大きな池もあって、越えてゆくのは、なかなかに大変な訳なのよ」  次兄は白帆の両頬をつまんで左右に引っ張った。 「しーらーほーちゃんっ、余計なお喋りはいいから、帰っていらっしゃい」 「いー、やっ!」  そこへ長兄が開けっ放しの勝手口から入って来て、次兄の手を白帆の頬から外させる。 「まったく、お前って奴は。白帆がそっとしておいて欲しいっていうのを無視して乗り込んで行ったと思ったら、何をしているんだ」 「だって、白帆ちゃんったら、そっとしておいたら本当に何の音沙汰もないんですもの!」 「舟而先生の受賞式や祝賀会で忙しかったんだから、ゆっくりさせたげなさい」  長兄は次兄の両頬をつまんで左右に引き伸ばし、めっ、と叱ると、腕を掴んで勝手口から出て行った。  舟而は拳で口元を隠し、壁の方へ顔を背けて肩を震わせた。 「決めたよ、次は三人をモデルにして書こう。日々の暮らしの中にも、本人たちにとっては難儀だけれど、傍から見ていたら面白いことはたくさんあるものだ。さすがに三兄弟では差し障りがあるかもしれないから、『三姉妹』なんてどうかな」 「構いませんけれど。私や兄たちで、お役に立ちますかねぇ」   白帆は揃えた指先を頬にあて、眉尻を下げて笑った。

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