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第79話
「よし、僕は書くよ」
しかし、またもやプロットは床に散り、舟而は黙って拾い上げることになった。
「参ったな。ここまで混迷を極めることになるとは思っていなかったぞ」
口を突き出しつつ、浅草の万寿屋 文具店まで出掛けて原稿用紙を注文していたら、涼やかな声が聞こえた。
「學壇舎の日比と申します。お願いしていた原稿用紙を受け取りに参りました」
「やあ、日比君!」
「舟而先生。お元気……でもなさそうですね」
「わかるかい?」
「左の髪の毛が突っ立ってますよ。何か上手くいかないときの癖が出たということでしょう」
「全くその通りなんだ」
事情を話しながら、上野松木町の自宅へ日比を連れ帰り、書斎でプロットを見せた。
日比は眼鏡の奥の目を澄ませて、舟而の文字を丁寧に辿り、舟而は門人が淹れてくれた茶を飲みつつ、上目遣いに日比の様子を眺めた。
最後まで読み終えた日比は、すんなり顔を上げる。
「わたくしは脚本の専門ではありませんが、大変に面白いと思いますよ。特に二本目のプロットはいいです。わたくしだったら、これ以上プロットを捏ねくり回すようなことはせず、すぐさま執筆に取り掛かって頂きたいですね」
「ふうむ。僕の感覚はずれていないかい? 受賞して変になったりしていないかい?」
日比はプロットと舟而の顔を見比べて、目が眼鏡の奥の目を細める。
「特にお変わりないようにお見受けします。いつもと同じように、一見常識がありそうに見えていながら、実のところしっかりと風変りでいらっしゃいます」
「それは、どうも……。日比君の目に、僕がどう映っているのかということまで、よくわかったよ」
二人は同時に茶碗を持ち上げて口をつけ、上目遣いに視線が合って噴き出した。
「先生、このプロットがそんなに会社に蹴られているのなら、取り下げてウチに回して頂けませんか。小説として書いてください。欲しいです」
「本当かい? 絨毯の上に撒き散らされたようなプロットだよ」
「何か脚本には合わない理由がおありなのでしょうが、小説のプロットとしてはとても面白いです。他所へ出さずに、是非ともわたくしのところへお願いします」
「日比君に拾ってもらえるなら、願ったり叶ったりだ」
舟而は弓形に目を細めた。
「プロットを取り下げる?」
「はい。森多先生がそこまで仰るからには、よほどこのプロットは脚本に向いていないのだと思います。ですから取り下げます」
舟而の言葉に、森多は両頬を持ち上げてニイッと笑う。
「ようやく自覚したか。じゃあ、次こそは使えそうなプロットを、今週中に五本持って来い」
「は? 五本? プロット一本に三日は頂きたいですが」
「どうせクズみたいなプロットしか書けないんだから、紙に文字が書いてあればいい。来週末の会議に間に合うように、ぼくが直してやる。その時間が必要だ」
舟而は大きく深呼吸すると形ばかり一礼し、派手な音を立てて部長室のドアを開閉した。
「舟而先生が、三日で五本っ!」
日比は目を丸くした。
「プロットって、そんなに難しいんですか」
白帆は黒髪を揺らして無邪気に問う。
「会議に掛けるとなると、それなりの形になっている必要があるでしょうね。個人差は大きいですが、舟而先生は三日で一本です」
日比は静かに茶碗へ口をつけ、舟而は口を突き出した。
「話の筋が分かればメモ書きでもいいんだけれども、僕は一晩寝かして読み返す時間が二回は欲しいんだ。同時に書くしかない」
「そんなに難しいご注文なら、お断りできないんですか?」
「上司の命令だからね。焼きおにぎりを頬張りながら頑張るよ」
舟而は肺の中に溜まっていた空気をすべて吐き出すと、両の拳を天井に突き上げた。
「ふん。ようやく発奮したな。プロット五本、全部預かるよ。内容はまだまだだが、執筆してもいいという判断は出るかも知れない」
机の上の箱にバサッと投げ入れられて、舟而は軽い一礼で部長室を出た。
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