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【第1話】濡れ鼠

 どこからともなく感じる突き刺さるような視線に気付き、溜息をつきつつ諦めたように歩を進める。生まれ育った町でさえこの有様なのだから、(ふじ)(いま)だかつて生家の界隈(かいわい)から出られずにいた。  別に気にしなければいいと言われればそれまでなのだが、誰が好奇の中にも好色が混じったその視線を気にしないで居られようか。しかも、好色の目は男女問わず、どちらからも向けられるものだから何とも居心地が悪い。 『おお、相変わらずだなあ』 「黙れ。今話し掛けるな」  へいへいと頭を掻きながら自分の後ろを歩く大男を見向きもせず、藤は小声で冷たくそう言い放った。言われた男は特に気にするふうでもなく、暢気(のんき)に鼻唄なんぞ歌いながら藤の後ろを着いて来る。  藤はこの界隈では老舗で有名な呉服問屋、藤吉屋(ふじよしや)の跡取りでありながら店の手伝いもせず、日がな一日、遊びほうけていた。  ……表向きは。少なくとも世間の目には、そう映っている。  派手な女物の打掛(うちかけ)を羽織った奇抜な格好の藤は江戸時代当時、傾奇者(かぶきもの)と呼ばれていた今で言う原宿や渋谷の個性的な格好をした若者の一人で、所謂(いわゆる)、ファッションリーダーだ。  だがしかし、一部の若者には羨望(せんぼう)の眼差しで見られるも世間的には爪弾き者で、おまけに藤の容姿が一般的な(ヒト)とは違った見た目だったものだから、期せずして注目を浴びてしまうのだ。  藤は生まれつき輝くような白い肌をしており、その白さは肌色だけに留まらず、腰まで垂らされて無造作に束ねられた髪や体毛にまで及んでいた。今でこそ、銀髪と持て囃されるそれも当時は白髪だと馬鹿にされ、色素の薄さから白子(しらこ)と呼ばれ揶揄(やゆ)されていた。色素が薄い瞳は光の加減で不気味に赤く光るものだから、鬼子だと恐れられることもある。  藤自身は化粧なしで女形(おやま)が務まる程に見目好(みめよ)い若者で、藤は若い娘と擦れ違う(たび)、娘が通り過ぎた後ろで感嘆の溜息を聞いた。それは若い娘だけに留まらず男からも同様で、普段はできるだけ表には出ず自室に引き(こも)って生活している。  なら、(かぶ)かなければいいのにとお思いだろうが、藤が傾いているのには藤なりの理由があった。大人しくしていても肌と髪の色で目立ってしまう藤は、敢えてもっと傾くことで近寄り難い雰囲気を演出している。  実際、藤は滅多に外出しないのにも関わらず藤吉屋の放蕩息子(ほうとうむすこ)だと噂され、好奇の目を向けられるも無遠慮に藤に近付く者は誰もいなかった。それから(しばら)くして無人の神社の境内に着き、藤は初めて大男を振り返った。 「紅蓮(ぐれん)、外では話し掛けるなといつも言ってるだろう」 「わりぃ、わりぃ。つい、な」  男は口ではそう言いつつもまるで悪びれた様子はなく、頭を掻きながらだらし無くヘラヘラと笑っている。格好こそそこらの若者と変わりはないが、真っ赤な髪で覆われた頭の(いただき)から二本、にょっきりと大きな(つの)が生えていた。大きな口から覗く白い歯は、二本だけが不自然に長く、それは口を閉じると下唇から上唇に向けて伸びている牙だとわかる。  大男は一般的に鬼と呼ばれている妖怪で、藤には男の姿が見えていた。言い換えると藤は大男が見えている唯一の人間で、だから人前で男と話せなかったのだ。 「悪い悪い。これからは気をつけるから機嫌直せよ、な?」  馴れ馴れしく肩を抱いて来る赤鬼、紅蓮の手を(はた)き落とし、藤は神社の境内の外れにある石段に座った。

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