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7 それぞれの言い分
双子の弟、セラフィンがソフィアリを襲い、その事が父の逆鱗に触れて二人が引き離されてから一週間。
バルクの中では残念ながら起こるべきして起こった想定内と言える事態だったが、ついに来たかとは思った。幸いまだ番契約を結ぶ前だったようだったが、危ないところだった。他の事に気を取られてばかりで弟たちにもっと気を配ってやれば良かったのだが……
ソフィアリを失いセラフィンが相当荒れているだろうと予想して自宅に寄り付かなかった、悪いところの出ているずるいバルクだ。
今は昔のようにその時々の恋人の家を渡り歩くようなことはせず、ちゃんと自分で稼いだ金で隠れ家的な小さな部屋を学校からそう遠くない場所に借りている。
バルクの好きなものを詰め込んだような隠れ家には、あの時計塔から引き上げてきたランプシェードや双眼鏡などもおいてある。
その部屋自体は町中の建物にあるので時計塔ほど眺めは良くないがこのあたりでは最上階に有る。
つまりはいつかミカを連れてきたいと思って設え、彼の好みそうな部屋を想像して作ったのだ。
その部屋にいるときはミカとの甘い幻想に浸っていられる。
勿論いつかは本当に連れてきたいと思っているが。まだそのタイミングを掴めずにいた。
今日も大学から直接その部屋へ帰ろうとしたら、友人の一人がセラフィンと同じ制服姿の少年少女を携えてやっていた。タイの色は違っているから学年は違うようだと一瞥する。
「高等教育学校の生徒がお前のこと探してたから連れてきてやったぞ」
親切な友人の後ろから黒い制服をきた小さな生徒たちがひょこっと現れた。幼さの残る容貌で、下級生のように見える。
「あのう、セラフィン様から頼まれてきました」
頬を赤く染めながら少女差し出してきた手紙は確かにセラフィンの筆跡だ。
受け取ると彼らは小躍りして自分たちの校舎の方へ帰っていった。
(俺に避けられてるからこんな姑息な真似を)
一瞬読むのはやめようかなと思ったが、手紙を渡しにきた来たセラフィンの小さな信奉者へ後で怒りがむいても可哀想なので開けてみる。
そこにはセラフィンらしい神経質そうな筆跡でこう書かれていた。
『俺と大切なものの交換っこをしよう。すぐに時計塔の下に来て』
大切なもの……
セラフィンにとっては勿論ソフィアリのことだ。
ではバルクにとっては?
嫌な予感に緊張からの汗が吹き出し背を伝う。
セラフィンは、唯一ミカのことを知っている人物だ。
バルクは手紙を握りつぶすと大学の校舎越しに見える時計塔を睨みつけながら駆け出した。
時計塔の位置はそれぞれの校舎の外れに位置している。
校舎内からは見える位置だが、門側からは校舎の裏手になる。そしてそれぞれの校舎の間には崖や庭がある。
中等年学校と大学の校舎は、庭を挟んで時計塔と同じ台地の上にあるから行きやすいが、高等教育学校は時計塔の裏手の崖を渡してある橋を通っていかねばならない。しかも裏門は基本的に高等教育学校の生徒しか通れない。以前にセラフィンを待ち伏せした表門は大通りに面していて大学の入り口とは真逆にあるのだ。
バルクは1番の近道となる大学の校舎内を突っ切り、中庭から時計塔がみえる柵の前にたつと、服が引っかかりやすい形状のそれを無理矢理に長い足でよじ登って越え、時計塔前の小さな広場にやってきた。案の定、柵に引っかかり上等な上着の裾がほつれたが気にしない。
今はまだどこも授業を受けているもののほうが多いため、時計塔前の広場のベンチには本を読む人が一人いるだけでとても静かだ。
広場を見回すと、制服姿の弟は手ぶらで、空いていた端のベンチに腰を掛けてこちらを手招きしている。
挑発的な美貌は双子の兄のそれと似ていて、しかし瞳にはいつになく昏い翳りがある。
バルクは努めて静かな声で弟に呼びかけた。
「で、何と交換するんだ?」
「兄さんって意外と怒りの沸点低いんだね?」
すでにフェロモンで意識的に攻撃をしてきた兄に口角を片側だけ上げ目を欠けた月のように細める。
セラフィンは立ち上がり、兄弟は無言で相手の出方を見るように対峙した。
もはや兄と目線は合うほどに成長を遂げた弟だが幼い頃のように上目遣いになり、わざと可愛らしく目を瞬かせた。
「お兄ちゃんにしか、たよれないんだ。ソフィーをここへ連れてきて?」
「それは無理だな」
ニコリともせず、バルクは冷たく言い放つと、弟の胸ぐらを掴みあげた。
「お前からミカの匂いがする」
兄の剣幕にはまるであわてず、セラフィンは大きな目をさらに見開いて牽制し返す。
「早くしないともうこの匂いかげなくなっちゃうかもね?」
番成立をした場合、フェロモンは互いにしか香らなくなる。
バルクはカッとなり弟の顔を殴りつけるが、日頃鍛えていてると豪語するだけあり、2発目は腕を止められ逆にひねりあげられる。
バルクは間髪入れずに弟の脇腹に容赦なく蹴りを見舞うと、手を離し少しよろけた弟は叫びながら兄の胸に体当りしてきた。
「うわああああっ!!!」
この数週間の悔しい思いをぶつけるように、兄にぶつかっていく。バルクは伸さない程度に弟を殴り、蹴りをみまう。
見た目喧嘩が強そうに見えない兄を舐めていた弟も、すぐに体勢を立て直すと、構えを体術のそれに変えて兄の頭に上段蹴りをかます。
艶のある金髪が乱れすんでで避けたが、弟も動きに迷いがなくバルクも構えを変える。
そこにミカの侍従がこちらに走ってきたのがみえた。
気を取られた一瞬の隙をつき、セラフィンが飛びかかってきた。しかしバルクは弟の腕を逆に取り、その勢いを使って投げ飛ばした。
気がつくと地面に叩きつけられていたセラフィンは、呆然として青空をみあげてむせこんだ。
「お前、俺のこと舐め過ぎじゃね? お前と違ってこっちはそれなりに街で絡まれて場数踏んでるんだよ。勉強ばっかしてるから通り一辺倒の動きしかできないお前なんて、俺でも勝てる。こんなんじゃあの軍人上がりのソフィーの護衛には絶対勝てねぇな」
「ソフィーを返せ! 居場所を教えろ!」
意外と頑丈でダメージをものともせずに飛び起きたセラフィンは兄に詰め寄るが、逆に兄に肩を掴まれ揺さぶられた。
「ソフィアリは、お前の番になりたいとお前を選んだのか?」
「……」
「選んだのかと聞いているんだ!」
顔を背け応えないセラフィンの顎を容赦なくギチギチと掴むと、バルクは目を無理やり合わせ強く言い聞かせた。
「いいか? 番契約は互いの合意のもとでのみ行われなければならない。ソフィーが望まぬ番契約は古の奴隷契約と同じだ。一方的なアルファからの執着だけで、無理矢理番にされたオメガが、幸せだと思うか?」
セラフィンの大きな両目からポタポタと大粒の涙が流れ落ち、拭われもせずに地面を濡らす。
「兄さんにはわからない! ソフィーは堪らなくいい匂いがするんだよ。昔からソフィーのことが大好きで仕方なくて…… ずっと一緒にいて欲しかったのに。引き裂かれた! 俺はまだソフィーに何も伝えてないのに!」
「ソフィーは兄弟としてお前を愛しているんだ。奪うのはやめておけ。お前のそれは錯覚だ…… フェロモンはアルファを狂わす」
セラフィンは大きな音がするほど自分の手のひらを叩きつけ、強く兄の手を振り払う。
「なら! 兄さんがまだ子どもだったのにミカに手を出したのだってフェロモンに狂わされた錯覚でしょう? 俺と何が違うの?」
「違わないかもしれないが、そもそも俺とミカは兄弟じゃない。歳だって父上と母上ぐらいしか離れていない。問題はミカが俺を今でも好きになれそうかどうかだけで俺の気持ちは決まっている。でもお前はすでにソフィーに拒まれてるだろ。いい加減自覚しろ。ふられたんだよ。お前」
セラフィンは途端に子どものようにぼろぼろとさらに涙をこぼして悔しげに声を上げて泣き出した。小さな頃から運動も勉強もできて容姿もよく、とにかく挫折を知らずに来た。
それが思いがけず思う通りにならないことがあって混乱しているのだろう。
双子たちは心の成長が置き去りに、頭と身体だけ先に大きくなった。きっとソフィーもそのことで苦労するかもしれない。
しょうがないやつだなあとこんなにデカイ弟を可哀そうで初めて可愛くも思った。
バルクは幼い頃にすらしなかったようにそんなセラフィンの大きな身体を抱きしめてやると頭を犬にするようにわしわしと撫ぜた。
「兄弟だろうが恋人同士だろうが、フラレたらそれまでなんだよ。諦めるか、まだ縋るかしかない」
制服に包まれた熱い身体は意外にも兄を抱きしめ返してきた。その仕草は少しいじらしくも感じる。
「……ソフィーしかいなかったんだ。俺のことを理解してくれて愛してくれていつも一緒にいてくれたのは」
多分早熟の双子たちは友であっても同年代が相手では物足りなく、かと言って大人たちとは距離がありお互いだけが自然と拠り所になっていたのだろう。そのあたりはソフィアリも同じようなものだ。
「たまたまオメガだったからソフィーに疑似恋愛みたいな感情まで抱いたのかもしれんが……
普通は兄弟同士でどうこうはならない。みんなちょうど今ぐらいの歳には兄弟ばなれして恋人とか友人とかと一緒にいるだろう。お前達は成長が早すぎて心がついてきてなかった。それだけのことだ。少し離れて落ち着いて、それでも好きなら居場所を教えてやるから玉砕覚悟で告白しに行ってこい」
セラフィンはバルクの肩に額を擦り付けるようにして頷くと、赤くなった目元をさらに片手で拭いながら一歩後ろへ下がった。
「分かった。ソフィーに好きになってもらえるようにもっと鍛えて賢くなる」
そうきたか……と心の中で諦めの悪さに呆れたバルクだが、まあもうとりあえずはよしとした。
二人の間の雰囲気を察して声をかけあぐねていたサリエルがやってきて、言いづらそうにバルクに声をかけてきた。
「モルス様」
「久しぶりだな」
相変わらずの隙きの無い美男だ。黒い瞳は何か胸に一物を持っているのを雄弁に語り、バルクもそこからわだかまるものを得た。
お互いいけ好かない感じは顔に滲ませながら、久しぶりに二人は対面した。
「ミカ様がこちらの塔に来ておりませんか? 講義を受けていたはずが教室からいなくなってしまわれまして…… 探しております。以前も一人でここに来られたことがございまして……」
「ミカが塔に?」
それは初耳だった。あの悲劇の舞台となったここへはもう近づいていないかと思った。バルクも鍵が壊れた直後に私物を引き払い、その後は管理人が鍵を変えてしまっていた。
「塔の部屋の鍵が変わってしまっていると知ってからはきていなかったのですが。大変失望されていましたから」
その時のミカの気持ちを思い、バルクは切なくなった。塔の物置部屋に会いにきてくれて、バルクのことを待っているつもりだったのかもしれない。鍵が開かず拒まれたと感じただろうか。約束を守ってミカが成長するまではと秘密を守ろうと思っていたが、距離を取ることで逆に傷つけてしまっていたのかもしれない。
だが、明らかにラフィンの様子がおかしくなり、それに勘づいたバルクは再び弟の胸ぐらを掴んだ。
「お前、ミカをどこに隠した?」
「お教えください!」
サリエルも血相を変えて詰め寄り、兄に掴みあげられながらセラフィンは苦しげに白状する。
「明星のサロンに閉じ込めてきた…… 促進剤打って」
瞬間、奥歯が割れるのではというほどの力でバルクはセラフィンを殴りつけた。
「お前!自分が何をしたかわかってるのか?」
セラフィンは頬を腫らしたまま悪辣な表情で笑うと、兄に言い放つ。
「沢山説教してくれたけど、兄さんも物分りのいいフリするのやめれば? なりふりかまうの止めなよ。じゃないと明星の誰かにあの子を番にされちゃうよ? こうでもしないと、兄さんぐずぐずしたままでしよ。褒めてほしいくらいだよ」
もう一度バルクがセラフィンを殴る前にサリエルが平手でセラフィンの頬を張った。
「貴方がしたことは人を弄ぶこと以外の何物でもない。恥を知りなさい! ミカ様は身体が弱く、番なしの発情期には、もはや耐えられないお身体だ。今週末に番候補と引き合わされるご予定でした」
驚くバルクの方に向きなおり、サリエルは苦しげな顔をした。
「1年前に発情期がきて、ミカ様はそのたびに辛い日々を過ごしておいででした。……その間は私がミカ様をお慰めてしておりましたが」
サリエルは迷わずにそう言い、バルクを試すように黒い瞳でみつめてくる。
バルクは青い目を怒りに染めてサリエルを見つめ返したが、今はミカの身の安全が先だ。
「橋を渡るのにお前が必要だ。行くぞセラ」
後で弟は更にぶちのめすとして先を急ぐため弟の腕を引っ張って駆け出そうとした。
そのバルクの前にサリエルは立ちふさがる。
「どけよ」
「お待ちください。貴方の番にする気がないのならばせめて私に迎えに行かせてください。私はベータですから発情に当てられてラットしません」
バルク自分の容姿を充分に熟知しているような華やかな顔で微笑むと、より高い立場を誇示し、サリエルをまるであしらう様に無視して隣を通り抜けようとした。
「大分世話をかけたようだが。ミカは俺の番だ。俺が迎えに行く」
セラフィンはそれ見たことかと目をむきながら兄をせせら笑う。
「あはは。結局そうだろう? アルファが自分の獲物逃がすはずなんてないんだよ。兄さんは嘘つきだ。相手のことを尊重するなんてそんなのただの言い訳。本当は手に入れたくて仕方ない。認めてよ? オメガの心なんて関係ない。兄さんがただあの子のすべてを支配したいだけだって」
「俺はお前とは違う」
「違わない。それがアルファのさがでしょう?」
兄弟は一触即発の態度で互いに譲らない。
しかしそれを打開したのはサリエルの意外な一言だった。
「それは違います」
サリエルだけが、ミカの隠れた恋心を知っている。ミカにとっては初めての、小さな小さな恋だった。サリエルはこの後におよび黙っているのが辛くなった。
「ミカ様は…… 初めて貴方にお会いしたとき、大変親切にしていただいて嬉しく思い、またお会いしたいと時計塔に毎日通われていました」
「毎日……」
初めてあった時から2回目まで一週間は空いた。その間毎日バルクに会いたくて通ってきてくれていた。冴えざえとした秋の空気の中、頬を赤くしてバルクを待っていたあの日のミカが愛おしく思い起こされた。
「あんなことがあっても、ミカ様は貴方のことを思って過ごしていましたよ…… しかし同時に…… 家を継ぎ誰にも文句を言われないような跡取りとして父上と同じ仕事を立派に成し遂げたいとも思われています。貴方に、ミカ様の全てを託すことが本当にできるのでしょうか?」
バルクは足を止め、大きく息をつくと興奮も落ち着き不安げな顔になった弟と、サリエルの両方に向かって告白した。
「初めてミカに会ったときから強烈に惹かれるものを感じていた…… だけどあんなに幼い子にそんなことを感じるのは罪深いともおもった。それでも突き放すこともできなくて。わかってるんだ、俺は本当にどうしようもないやつだ……
でもミカがキャラメルを食べて笑った顔とか夕日みたいなキラキラしてる目の色とか意地っ張りなところとか…… そういう他愛もないとこが好きで…… フェロモンのせいでこんなに惹かれるのかもしれないがそれだけじゃないと俺は確信してる」
それだけは確かだ。胸を張って言える。バルクは迷いのない目をした。
「別にフェロモンでもなんでも相手を好きならそれでいいんじゃないのか? なんでそんなに深く考えるんだ。俺は俺の中のここにある気持ちしか信じない」
そういってセラフィンはどんどん腫れてきた赤い頬をして胸を拳でどんっとついた。
サリエルも兄弟のやり取りをみていたが、口元で小さく笑うとバルクに頭を下げた。
「貴方は私が思っていた以上に誠実な方だったようだ。貴方を試して拗らせてしまって申し訳ありません。その方のおっしゃる通り、ベータの間ではそもそも恋なんてそんなものですよ。相手の仕草、顔、笑い声、言われた言葉。そんな他愛のない物一つで、人は恋に落ちるものです」
サリエルがミカを愛おしい思うように、この目の前の青年はミカを大切にしようと考えていてくれたのだと真っ直ぐな立ち姿と声色から伝わってきた。
その時、時計塔が昼間3回だけなる時を告げた。
朝の始業、昼の刻、そして三度目は……
「終業の音だ。セラ、行くぞ。急げ。あんたもついてこい」
終業のブザーが鳴り響く中、三人は揃って吊橋に向かって駆け出した。
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