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第1話
ゆっくりと意識が浮上した。
立っていたのは綺麗に石畳で整えられた地面。
二車線くらいの道幅の両脇は漆喰が塗られた武家屋敷の塀が山の麓まで伸びている。
側溝が塀に沿うように側溝が掘られ、煌々と輝いている満月の光をさらさらと流れる水面に反射させていた。
頭上には山に掛かるように巨大な満月と、橙色と薄紫色を纏った雲が流れていて夕方くらいの時刻だろうと窺える。
昇り始めた満月に照らされた山の紅葉が輝いているように見えた。
山全体が紅葉していて、令和という人工物に溢れた現代では京都や紅葉スポットですら見られるかどうかという程に山全体が紅い色を纏っている。
紅葉に感動していると、気配を感じた。
それまで、この場には自分しか居らず、人の気配も動物の気配も感じなかったはずなのに。
驚いて視線を巡らせば、己の後方に人が立っていた。
紅い着物を着て、上に黒い羽織を肩に羽織ったその人は走った後の様に肩で息をしていた。
アイドルやモデルだろうか、と思うほど整った顔。
それよりも特筆すべきは額に存在感を放っている二本の角である。
牛の角の様に太く緩やかに反り返った形をしたそれは彼が人間でないことを如実に表していた。
俺は何故か角が生えている男に怖さは感じず、男の顔を見た時には懐かしいとすら感じたほどだった。
彼は悲しそうに眉毛を下げ、此方に歩み寄ってきたかと思うと、ぎゅっと俺を抱きしめてきた。
抱きしめられたことに驚いて、びくりと肩が跳ね上がる。
力強く抱き締められて、背骨がミシリと音を立てた気がした。
痛みに抗議の声をあげようと顔を上げると、彼の背後、離れたところに黒い襤褸を纏った人が見えた。
俺が気づいたことに相手も気がついたのか、ちゃきりと鯉口を切る音がした。
というか、ばっちりと目があってしまった。
そいつは、ぐっと腰を落としたかと思えば、飛ぶような速さで走って向かってくる。
未だに抱き締めてくる男を横に引っ張る様に体重をかけ、庇うように地面に一緒に転がった。
急いで体勢を立て直そうと、上半身を起こせば、彼はまだ状況を把握出来ていないのか、驚いた表情をしていた。
とす
でもなく、
ぐさ
でもない、
よく分からない音が自分の胸から聞こえた。
感覚的に死んだと思った。
左胸から刃物の先が見えている。
心臓を一突きにされて死なない方がおかしい。
刺したそいつがどんな表情なのか、気になった。気になったけれど、怖くて振り向けない。
そもそも、痛過ぎて動けるわけもなかった。
そんな事を考えている間に、ずぶ、と水っぽい音がして刺さったそれがゆっくりと引き抜かれていった。
最早、痛いとかそんな次元の話ではない。
燃えるような痛みが胸から広がっていく。
鼓動に合わせて噴き出す血液が、自分の体の下に居る彼を赤く朱く、紅く染めていく。
すぐに貧血になった体は、力が抜けて彼に重なる様に倒れ込む。
目の前に紗が走り、次第に目蓋が下がってくる。
死が近いことは火を見るよりも明らかだった。
こんなこと現実じゃないのに、痛くて、そして眠くて思考が端から消えていく。
「死ぬ時は最後まで聴力が残ってるんだって。」
誰かから聞いたその情報は確かにそうらしい。
痛みが薄れ、視界も暗くなり、眠くなってくる。
ぼんやりとしたまま死を覚悟した時、聴こえた言葉はしっかりと記憶に残った。
「ーーー 、俺を忘れないで」
呟きと共に、思考はブラックアウトした。
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