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⑨恋慕 ─迅─⑥
人間の根本、思いやる気持ちってもんを俺は知らなかった。
家が殺伐としてたわけでも、不遇な人生を歩んできたわけでもねぇ。 人間関係に悩んだ経験ってのも一度たりとも無えから、単に俺自身が〝冷めてる〟ってだけの事。
そういうのって誰かに教わるもんでもねぇじゃん。
顔が良くて、うまい具合に背も伸びて、ふっかけられた喧嘩に応戦しても負けナシ、性を知ってからはその捌け口にもまったく困んなかった俺は、完全に勝ち組リア充街道突っ走ってた。
金持ち願望も結婚願望も無えし、そこそこの金が毎月入れば人生やってける。
女も向こうから寄ってくる。 しかも選び放題。
何かに固執するなんてダセェ。
毎日適当に三大欲求満たせて過ごせりゃ満足。
そんな風に考えてた。
その十八年変わらなかった俺の考えを覆したのが、雷だった。
小せえし華奢だし、女とセックスするよりポテチ食いながらダチとゲームしてた方が楽しいって平気で言いやがる、マジで同い年とは思えねぇ色気より食い気な生意気なクソガキ。
なんで俺は、あんなのが放っておけねぇんだろ。
てかいつから、Cカップ美乳でもねぇのに放っとけなくなった?
雷がどこで誰と何してようが、別にいいじゃん。 八時間労働した後にタクシーで一時間以上かけて県外まで来た俺は、結構クタクタなんだぞ。
もうすぐ日付けも変わるし。
こんな心臓バクバクさせて、目血走らせて、先輩にタクシー代だけ渡して一目散に六〇三を目指すことはねぇだろ。
「チッ、階段キッツ……!」
エレベーターの昇降さえ待てなくて、見付けた非常階段を二段飛ばしで上がってたが六階まではさすがにしんどい。
でもモタモタしてらんなかった。
到着したそこは、外観からしてわりと綺麗なマンションだった。 外から見上げたら普通に人が住んでる気配があって、室内で喧嘩でもしようもんなら一発で通報されそうな住宅街。
て事は、だ。 恐れていた監禁説が濃厚になった。
雷がどうなろうが別にいいじゃんって、それ誰が言ってんの。 いいわけねぇだろ。
色々言い訳並べたって、俺はもうアイツが居ないとダメなんだよ。
雷に何かあったら、なぜか俺が死にたくなるくらい申し訳無え気持ちでいっぱいになるんだよ。
一時間前からすでに拳は震えてる。
とりあえず雷の安否を確認したら、ここまで連れて来た奴らを息の根止めねぇ程度にやっちまう気満々。
「…………っ、」
六の文字が見えたそこで、一回立ち止まる。
六〇九、六〇八、……非常階段から見て数の大きい方が手前にきてんな。
コンクリートの廊下を出来るだけ静かに歩いて、表札を注意深く見ていった。
雷を攫った犯人が中に居るなら、派手に突撃してソイツらを刺激したらどんな惨事になるか分かんねぇ。
隣人を装ってピンポン押す、その台詞と演技の心づもりなら出来てる。 雷のためなら何でもしてやる。
耳を澄ましながらそっと歩いていると、ポケットの中でスマホが震えた。
まさに緊迫した状況下、この振動音が一番うるせえから急いで着信を取る。 相手はタクシーの中で番号を交換した束バッキー先輩だ。
「……なんだよッ」
六〇五号室の前で、小声でキレた。 あと五歩も歩けば目的地だってところで邪魔が入り、盛大にイラついていた。
犯人が逃げた場合に備えて下のエントランスで待ってるはずの先輩が、この期に及んで何の用だ。
『着いた?』
「もう目の前だ」
『そう。 六〇三よ、間違えないで』
「分かってる」
『鍵は開いてるから、ピンポン鳴らさないで出来るだけソーッと入って。 玄関もソーッと閉めて。 部屋までの廊下は抜き足差し足忍び足〜って感じで歩くのよ。 それじゃ、あとは頼んだ!』
「あぁ、……って、何!?」
……切りやがった。
先輩、何て言ってた?
鍵は開いてるって? 抜き足差し足忍び足? は? どういう事だ?
「………………」
不審な電話だ。
なんで鍵が開いてるって分かんの。
ソーッと突入しようとは思ってたけど、それは向こうが玄関を開けてくれればの話だ。
〝ヤッホー来たぜ!〟、〝おう、待ってたぞ!入れ入れ!〟みたいな流れになるわけねぇ。 雷じゃあるまいし。
拉致監禁しといてバカ正直に開けるヤツなんて居ねぇって分かってっから、俺はそのために隣人の……山田サンって人を名乗って演技しようとしてたんだ。
「………………」
六〇三号室の前に到着した俺は、とりあえず先輩の電話が気になって言われた通りにした。
山田サンのフリはせず、ピンポンも押さない。 ノブを握って、回す。 そして……ダメ元で引いてみた。
──ガチャッ。
……おい、マジで開いてる。 開いてるぞ、鍵。
なんだ……? なんで先輩は、鍵が開いてるって知ってた?
ソーッと歩けと言われた廊下も、玄関開けてスグに目視で確認した。 短いけど確かに廊下と名の付くものがある。
俺がソーッと歩く前から、この家には人の気配がしねぇ。 物音はどこかから若干聞こえてくるが、やり合ってるとか助けを求めてるとかそんなのじゃない。
玄関には誰かの靴が一足だけあって、それは街でもよく見掛けるとある有名スポーツメーカーのスニーカーだった。
そこで俺は、二つの〝もしかして〟の可能性に気付く。
俺、先輩にハメられて人ン家に勝手に上がり込んでる? そういうドッキリ?
もしくは、……。
「……んッ……ちょっと痛いッ」
「…………ッッ!」
え、……雷? 今の、雷の声じゃ……!?
やっぱり誰かが雷に危害を加えてんのか……!?
俺の雷にゃんに!?
この俺が聞き間違えるはずは無え。 雷の声で、確かに〝痛い〟って聞こえた。
〝痛い〟って……。
その瞬間、瞬時に、猛烈に、全身の毛が逆立つほどの怒りを覚えた。
──バンッ。
いつものクセで一度手のひらをぷらぷらさせた後、俺は右の拳を構えながら奥の部屋に続く戸を勢いよく開けた。
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