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19〝好き〟の違い ─迅─④
「ぐえッ……!」
そんなに力を込めてなかった拳に、ぐにゃっと鼻の軟骨が曲がる懐かしい感触が伝わる。と同時に、奇妙なうめき声を上げた野郎は「藤堂だ!」と叫びながらスタコラ仲間の元へ逃げた。
喧嘩の時に顔面狙うなんて事はまぁ無いんだが、中から俺の様子を窺うためとはいえこの俺を一瞬でもヒヤッとさせた罰だ。
閉じかけた引き戸を開けて中に入ると、そこには懐中電灯を持った野郎が三人居た。
──雷はどこだ。
視線で探すも、居るのは揃いも揃って同じ事しか言わねぇ不細工なヤンキー三人だけ。
騒いでるくせに、どんどん俺から遠ざかる。
「藤堂だ!」
「藤堂が来たぞ!」
「ホンモノの藤堂だ!」
すでに血管が何本かイってる俺を、これ以上キレさせるな。
雷はどこだ。
どいつがヤシロアツトだ。
鼻を負傷した男は戦意喪失し、まだ無傷の仲間二人の背後に隠れてやがる。
〝ホンモノ〟の俺が参上してビビり上がるくらいなら、最初からこんな事しでかすんじゃねぇ。
今日は、雷が楽しみにしてたクリスマスなんだぞ。
家でケーキ作んなくていいリア充のクリスマスを堪能するんだって、バカ可愛くのほほんと笑ってやがった俺の恋人に、最悪な記憶を思い出させちまうのがどれだけイラつく事か、お前らには分かんねぇんだろうな。
「──雷は?」
「…………ッッ」
「雷はどこだっつってん、の!!」
「──グハッ!」
「──うぐッ!」
聞いても、口をパクパクさせるだけの不細工野郎達に猛烈にムカついた。
右、左と拳を振り、二人を床に沈める。
弱え。意気込んで来るまでもなかった。
気絶寸前の短髪男の胸ぐらを掴んで、「雷とヤシロはどこだ」ともう一回凄む。
雷がここに居ねえっつー事は、俺にビビってる野郎達を見る限り、この三人はどれもヤシロアツトじゃない。
「あのチビなら、八代が……ッ、連れてった!」
「どこに」
「ガラス割れる音がしてすぐ、上の階に……ッ」
「案内しろ!」
「いやでも、俺らもどの部屋に行ったかまでは……!」
「うるせぇ! つべこべ言ってっと半殺しじゃ済まねぇぞ!」
「ひぃ……ッッ!」
コイツらは絶対に何かしらを知ってると踏んで、床を這う二人を強引に立たせる。すると案の定、鼻を負傷して鼻血が止まらねぇ男が率先して言うことを聞いた。
こっちかもです! と不確定な言葉で走り出した後を、すぐさま追う。
廃病院はとにかく広い。そして不気味だ。
闇雲に探したって無駄──俺は、やけに冷静だった。
気持ちは焦りっぱなし、不細工野郎どもにはイラつき、ヤシロアツトには殺意が芽生えてた。
でも俺は、今まで考えもしなかった〝誰かに頼る〟という事を自然にやってのけていた。
それもこれも、確実に雷を見つけるため。
「おい、ホントにこっちで合ってんだろうな!?」
「俺らもどこに行ったかは知らねぇって言っただろ!」
「あ゙ぁッ!?」
とはいえ、コイツらは無能だ。マジでヤシロアツトの潜伏先を知らねぇらしい。
ゴミと落書きだらけの階段を駆け上がるも、その階の廊下も安定のオバケ屋敷。耳を澄ましても俺ら以外の足音さえ聞こえなかった。
不細工の一人から懐中電灯を奪った俺は、独りでさらに上の階を目指す。
ダメ元だった。
「──んッ!」
最後の段差を二段飛びで上がってすぐだ。
少し離れたところから、微かに雷の声が聞こえた。
「雷にゃんッ!?」
思わず大声で愛称を呼んでいた。
後ろからついて来てた野郎どもが、俺の「雷にゃん」呼びに絶句している。
存分に驚け。そして好きに笑え。
はなから俺は、雷と付き合ってんのオープンにしたがってたんだ。
こんな事が起こらねぇように、雷の可愛さにほだされた全人間が妙な気を起こさねぇように、俺の名前がストッパーになるならって。
「──っ、雷ッッ!! どこだ! なんでもいい、声出せ! ……クソッ、電池切れか!?」
この階のどこかに居るのは間違いねぇ。
だがこんな時に限って三台の懐中電灯が一斉にチカチカ。マジでヤバイの居そうだし驚きはしねぇが、視界最悪なんだから今はやめてくれ。
仕方なくスマホのライトに切り替えて、声が聞こえた方に突っ走る。その時だった。
──足音だ。
こんな状況じゃなきゃガクブルもんのゆっくりとした足音が聞こえた俺は、無駄に長い廊下の先を恐る恐るライトで照らしてみた。
「んーッ! んーッ! んんん、んんーッ!」
「雷ッ!?」
突き当たりに薄っすらと見えたのは、茶髪のロン毛野郎の肩に担がれた金髪チビ。
数メートル先だがその金髪と目が合った気がして、それが雷だと分かった瞬間……一切の感情が体から抜け落ちた。
「んんー! んんっ、ん! んんんんーッ!」
一目散に駆け寄る俺に、雷が潤んだ猫目で助けを求めてくる。
アイツは黙って捕まるようなタマじゃねぇ。でも口はガムテで塞がれてるように見えるし、おそらく両手は拘束されてんだろ。
だから、……だからあんな状態なんだ。
「うるせぇな。少しは黙れよ」
「んんっ! んんん、んんッ!? んんんッ!?」
「〝ん〟だけで文句を言うな……ッ、うぐッッ!?」
〝俺の雷にゃんに何してくれてんだ。〟
言おうにもその言葉が発せられる事はなく、出たのは自慢の右ストレートだった。
雷にいちゃもんをつけ、余裕ぶっこいて振り返ってきたロン毛野郎の左脇腹に、それは深くヒットする。
肩から落ちかけた体を抱きとめて左腕に抱くと、雷は予想通り両手首を後ろに縛られていた。
雷は「んんッ」と何かを言いたそうにしてたが、頭を撫でてそっと床におろし、ヤシロアツトへの礼がまだ足んねぇ俺は蹲ったロン毛野郎の汚え髪を鷲掴んだ。
「よぉ、てめぇがヤシロアツト?」
「グッ……!」
脇腹を押さえて呻く男に、返事をさせる間もなくもう一発右ストレートを顎に決める。
鼻の軟骨をヤった時とは感触が違う。下顎をえぐるように振り上げると、日常生活では聞く機会の無え鈍い音がして、ついでに受けた方はほぼ確実に舌を噛んでのたうち回る。
人間の動きじゃねぇそれは愉快だ。マジで笑える。
そうだ。こんな時に笑えるほど、俺は頭にきてる。
「ああ、悪いな。まだ確認取ってなかった」
「うぐッッ!」
「お前がヤシロアツトかって、聞いてんだよッ!」
「グハッ……!」
顔も腹も背中も関係なく、あげくヤシロアツトかの確認も取らず、俺はロン毛野郎を殴り続けた。
はじめは反撃しようと試みてた野郎は、手数の多い俺に完全に怯み、早々に無抵抗に変わった。
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