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第6夜 声の愛撫
(※このお話には性描写が含まれます)
夕食を終えてすぐ、ヨセフはそろそろお風呂の時間だよ!とはしゃぎ出した。
ソティルは実のところ、満腹感でちっとも動きたくない。
それどころか、1日に2回も風呂に入らせようとするだなんて……と思っていた。
チェルシーの食器を片づける作業を手伝いたいと思っているのにそれさえも億劫だ、と思っているソティルだったが、ヨセフの様子を見て風呂に入る気分になってくる。
今日のハーブは何にしようかなー、どうしようかなー、花弁を散らしてみるのも良いなー、と子供がお気に入りの玩具を選ぶような無邪気な姿を見てしまったので、俺も早く風呂に入って早めに寝よう、と思ってのっそりと椅子から降りた。
「お風呂はお二人で入られますか?」
デザートの皿や、ティーカップなどを片付けながらチェルシーが二人に確認を取る。
「もっちろん、ソティルと二人で入るよ」
「俺は一人で入るつもりだったんだけど?」
ええー?と玩具で遊ぶことを禁止されたような、すねた声をヨセフが上げた。
彼は椅子から降りて、ソファーへ近づいてそこへ腰かけた。
昼食の時も思ったがまるで、他人に見られることを意識した女性のような座り方だ。
長い脚を広げることなく斜めに流し、美しく座る。
「おいで、ソティル。チェルシーは浴室に行って準備をしていて。僕は今から二人でお風呂に入る事の重要性を今からソティルに説明するから」
自分が腰かけるソファーの横の席を、ぽんぽんと叩いて、座るように促される。
チェルシーは「畏まりました、仲良く話し合って下さいね」と部屋から出ていく。
ソティルはとりあえずヨセフの隣に腰かける、大人の握りこぶし2つ分くらいの空間を開けて。だが、ヨセフは彼ににじり寄ってきて、肩を抱いてくる。
顔を覗き込まれる。
その視線の熱っぽさと、ヨセフが纏う官能的な香りにくらりとしてしまう。
「まずは、君の言い分を聞こう」
これはヨセフの良い所だ、子供であろうともちゃんと人の言葉を聞こうとする。
ソティルは落ち着いた声で話しだす。
「俺は風呂場で溺れてしまうような年齢の子供じゃないんだ。石鹸はどこにあるかとか、タオルや着替えはどこにあるのかとか、浴室の使い方を教えてくれたら自分の世話は自分でできる。そもそも、1日2回も入らなくていい。それに……それに……」
「それに?何だい?」
口ごもったソティルの言葉を、ヨセフは促した。
「……ヨセフに、この身体を見られるのが、すごく、恥ずかしい」
ソティルの頬は恥じらいでほんのりと赤く染まる。
ヨセフは心の内側で、その表情を可愛いと思ったがまだそれは言わず、客観的に言い返す。
「僕は君の裸を今朝見ているよ、隅々までね。身体も洗ったし髪も洗った。それ以前に、熱を出していた時も身体を清潔にする為に脱がせたし、解熱の為の座薬も入れたよ」
「あれは……あの時はまだ、娼夫の気持ちで居たし、割り切った心で居たから……って、座薬!?座薬って言ったか?座薬って、あの座薬だよな!?」
ソティルは必死の形相で、ヨセフを見上げる。
天使は黒く微笑んでいる。
「うん、そうだよ。錠剤を飲める状態ではなかったから、点滴も座薬も入れたんだ。お尻の穴に入れるお薬の座薬をね。僕のこの指で入れたんだよ。意識が無い状態でも、名器なんじゃないかと思えるような――」
「今!は!風呂!の!話!というか、寝込んでいる俺に何をしているんだ!?」
ばか……と、小さな声で言われたが、年相応に刃向ってくる姿のソティルを見るのはちょっと楽しいとさえ、ヨセフは思っている。
「決してやましいことはしていないよ、お薬をお医者さんが正当な手段でお尻の穴に入れただけでね」
ヨセフは、僕は悪くありません、と声高らかに上げるように言い放つ。
ソティルは睨みながら続く言葉を聞く。
「では、次に僕の言い分だ。まずね、僕達は血の繋がりは無くとも親子だ、親子はスキンシップをする、抱きしめたり、頭を撫でたり、あちこちキスをしたりね。そうすると、ソティルはどう思う?最初は戸惑ったかもしれないね、人とのこうした接触に慣れていないから。けれど、もう……心地よく感じているんじゃないかな?」
ソティルは今日一日ヨセフがどれほど自分に触れてきたかを思い出す。
どきり、としたことも。くらり、としたこともあった。
だが、嫌悪感は全くない。
こうして、肩を抱かれながら彼の声を聞いているのは、とても心地よく幸福な気分になる。
ヨセフは表情から、ソティルの返事を読み取って、話を続ける。
「お風呂に一緒に入るのもスキンシップだよ。僕は君の髪を洗って、身体を洗う、身体の隅々まで、この手で触れて、優しく撫でる」
ヨセフの声音が、何の違和感もなく切り替わっていく事にソティルは気づく。
甘い蜜を舐めたような声に、徐々に変化していく。
そして、ヨセフは身を屈めてソティルの耳元で囁いた。
ゆっくりと、甘く、ソティルを誘っていく。
「ソティル、想像してごらん?僕の手を見て……この手が、君の小さな手を洗う、
親指から小指まで、一本ずつ、手の甲も、手のひらも洗うんだ。細い腕も手が這ってゆく。
脇の下は少しくすぐるようにするよ。肩から、首にかけても手が這ってゆく。
首筋には、何度も指が滑って行く。耳も洗おうね、耳朶とそのふちをそっと撫でるんだ」
身体が、ヨセフの声に撫でられている。
ヨセフの細長く白い手から、目が離せなくなってしまう。
声は、本当に、ソティルの手の指一本一本、手の甲、手のひら、腕にも脇にも、肩にも首にも、耳朶にも触れられているかのような感覚を落としていく。
甘い声は、続いていく。
「鎖骨をそっとなでて、次はどこかな? うん、胸だね。やさしく、やさしく……
胸を外側から円を描くように、そっと撫でていく。だんだんと、胸の中心に迫って行くんだ。僕の指の先が、ソティルの小さく膨らんだ乳首に触れるよ。
そうすると、どうなっちゃうかな?石鹸の泡でぬるぬるとした指で、やさしく、そーっと撫でて、擦って、押してみたり、潰してみたりすると、どうかな?気持ちよくなってくるよね?」
「……っ……あ……」
ソティルの真紅の瞳は、ヨセフの甘い囁きと、自分の想像力でとろけていた。
声の通りにされたら、気持ちよくて声を上げてしまうだろう。
ソティルの頭の中では、はっきりと裸の自分とヨセフが向かい合っている姿が見える。
「次は、お腹と、おへそ、わき腹もね。そっと撫でていくよ。
くすぐったいけれど、気持ちいいね。それから腕を回して背中も洗うんだ、
裸のまま密着すると、ソティルの身体が暖かいのが、分かるんだよ。
背筋を、一本の指先ですーっと撫でるんだ。びくんってなるかな?
ソティルの小さな背中を、やさしく、やさしく、洗おうね。
身体を離したら……今度は足も洗おうね。ソティルの足はしなやかで、けれど、柔らかいんだ。太腿の内側をゆっくりと撫でる、ふくらはぎもね、勿論、つま先の指も、かかとも、足の裏も」
ソティルは頭の中の思考を今すぐ止めて、立ち上がろうと思っていた。
このじれったく、甘すぎる感覚から早く解放されたかった。
けれど、身体が動かない。
甘い声が、耳に入ると、頭に、脳内に響き渡り、全身を駆け抜ける。
ヨセフの言う光景が、鮮やかに思い浮かんで、快感に似たものを覚える。
身体はとうに火照っている、身じろいでしまうがそれ以上の事が出来ない。
声も、舌も、喉も、砂糖を焦がしたカラメルソースを大量に流し込まれて、固まってしまった様で、自分の力では溶かせない。
甘い感覚は、ヨセフの声と言葉でどんどん積み重なっていく。
「まだ、洗っていない所があるね。そう……僕の手が、ソティルの大切な所に伸びるんだ。
根元からやさしく、ゆっくりと愛撫するように洗っていこうね。
君の種 を作るところも、この手で包むんだ、さわさわ、とやさしく撫でるよ。
ソティルの敏感な所を、包み込んでやんわりと扱くように洗うんだ、
先端は念入りに指を這わせてね……ソティル、気持ち良くなっていくよね?」
「……ん……は、ぁ……きもち、い……」
やっと声を出せた、だが、それは、欲望に従順になってしまった声だった。
もっと撫でて。
もっと、その甘い声で、俺の事を愛撫して。
そう、口に出さずとも声の愛撫は続いていく。
「ソティルの体の中で、とっても大切な所がまだあるね。
バスタブのふちを手で握って、僕に向かってお尻を突き出してごらん?
ああ……ソティルの小さな可愛らしいお尻が目の前に見えるよ。
僕は、お尻をゆっくりと撫でていく、びくびくするよね?
そうすると、ソティルの可愛い声が浴室に響くんだ。気持ちいいって言う声が。
お尻を洗い終えたら、次は、どこかなソティル?」
「……あ……ん……っ、おしり……の、あな」
ソティルがずっと見つめている指は、人差し指をつき立てる。
指は、穏やかに上下に動く。
「うん、正解だよ。ソティルのローズピンクの色をした、お尻の穴を、この指が撫でるんだ。ゆっくりと、外側から内側に向かって、そして、小さな皺のひとつひとつを伸ばすように、
念入りにね。ソティル、そうすると、どうなるのかな?
君の敏感な身体は、どんな感覚になるのかな?」
ソティルは息を荒げて、汗をかいていた。
きっと、言葉にできないほど気持ちよくなってしまって……求めてしまうだろう。
黙ったままのソティルを差し置いて、ヨセフは声の愛撫を続ける。
「気持ちよく、なるんだね。とても、切なくなるんだね。
ふふふ……身体の泡を流して、僕と一緒に湯船に浸かろうか、ハーブの香りがする温かいお湯に浸かるんだ。暖かくて、良い香りの湯船の中で、ソティルは僕に後ろからぎゅーって抱きしめられるんだ。それから、ソティルの耳元で、囁くんだ。
君がのぼせてしまうほど、甘くて、やさしい言葉をね」
ソティルは、大きく呼吸して、それから、身体を動かそうとした。
なんとか、首と顔が動いた。
声も、どうにか出せるようになっている。
「ヨセフ……俺……」
耳元で囁いていた、ヨセフの瞳を見つめる。
アイスブルーは熱を湛えながらも、穏やかにソティルを見つめている。
「ソティル、君は、とっても、とっても、気持ち良い感覚に、身体が包まれるんだ。勿論、心もね」
「……う……うん」
「とろとろに、甘く、溶けるんだよ」
「んっ……」
ソティルは太腿に力を籠めて、ぎゅっと閉じている。
もうずいぶん前から、性器が立ち上がってしまっている。
声だけを聴いているのに、気持ち良くて、気持ち良くて、切なくて堪らなくなってしまう。
ヨセフとは、性的な事をするのに心の準備が時間が欲しいと言っておきながら、こんなに簡単に発情してしまう身体と心が憎らしかった。
「ソティル、こんなふうに……甘くて、とろとろの感覚に、身も心も包まれたら。君は、どうなると思う?」
「そ……それは……ん、その……」
視線を下げて、染まった表情の中で困惑するソティルを見て、ふと、ヨセフが笑った。
「――寝ちゃうよね」
ん?
何か今の流れとはずいぶん違う言葉を言われたような気がするぞ、とソティルは視線を上に戻す。ヨセフは柔らかく微笑みながらも、どこか、巧妙に仕掛けた悪戯に成功した子供のような瞳の色を浮かべている。
「湯船につかりながら、うとうとして、寝ちゃうよね」
「あ………」
ソティルが発したのは、気の抜けた声だった。
いつの間にか、身体と声は自由になっている。
まるで、夢か幻から醒めた気分になっている。
「お風呂に浸かりながら寝ちゃうのはとても危険だよ」
「あ……うん、確かに、溺れて死んでしまう可能性もある」
「そう、だから僕と一緒に入浴すればいいんだよ。寝落ち防止にね。というわけで、心身ともに疲れ切ったソティルが、一人で入浴するとお風呂が気持ち良くて、最悪の場合寝落ちて溺れ死んじゃうので、僕と一緒に入ろう」
至極まともで、至極真剣な事を言い始めたヨセフに、ソティルは呆れかえった顔をする。
「さっきまでの……あれは」
ヨセフの顔には、天使の如き悪魔の微笑。
「うん、ソティルの反応を試して見たくてね! 感度が随分と良さそうなうえに、思考能力も高いという事ならば、僕の声と言葉だけで、君の事を心の底から気持ちよくできるだろうなーって」
ソティルは、今までの自分の思考や、身体の反応に恥ずかしくなって顔を手で覆う。
声と言葉で責められただけで、こんなに気持ち良くなって、勃起までしてしまうなんて上級者すぎる。
「あれ?恥ずかしがっているのかな?ふふふ、大丈夫だよ。君の反応はとても良かった!可愛くて、可愛くて、僕も興奮したよ」
ソティルは手のひら越しに、くぐもってはいるが感情を切り捨てたような声を出す。
「……ヨセフ・オッペンハイムさん。俺は、合意の無い性行為は貴方とは致しません。ここでいう性行為とは、身体を洗う以外で性器とアナル、それらの周辺に触れることも含みます。周辺の範囲内は俺の掌のサイズ程度の範囲内です。今後は、その点について守りながら俺と接してください」
「え?何?急に態度を改めちゃって、淡々としてる……僕の事、嫌いになっちゃった?」
慌てたヨセフを置いて、ソティルは立ち上がる。
そして、彼には顔を見せぬように手を下して、部屋のドアまで駆け出して扉を開いた。
だが、扉を開けた瞬間見えたのは、廊下ではなく家事使用人の姿であった。
「あら、ソティルお坊ちゃん。そんなに慌てた様子で、如何なさりましたか?」
ソティルは身体を強張らせる。
姿勢よく立っている彼女を見上げる。
「チェルシーさん、俺達が話している声……聞いていたか?」
年老いた貴婦人は首を振る。
「いいえ、年々耳が遠のくような気がしますから、砂糖に塗れたかのような甘い囁きは聞こえませんよ……ですが、私は旦那様に破廉恥な話題をご本人以外に聞かせるような行動は、控えて頂きたいと申し上げたいと思っております。寝室ならともかく」
聴覚の優れた彼女は、付け加えるようにソティルに言った。
「ソティルお坊ちゃん、お顔がまるで……苺の様に真っ赤ですよ」
「これは! 知ってるとは思うけどヨセフのせいだからな!」
子供っぽい怒りの表情をするソティルに、チェルシーは口元を押さえて、おほほと笑った。
ソティルを怒らせる元凶が、ソティルの後ろまでそろりそろりと迫ってきている事は、まだ伝えない。
「お風呂の準備が整っております。満腹が落ち着いたらお二人でご入浴なさってくださいな。旦那様と仲直りできるとよいですね、互いに裸になって親睦を深めるのですよ。浴室でどんなに声が響き渡っても、私の耳にその声は入ってきませんから、ゆっくりなさってください」
耳に入るけど聞こえなかったふりをする、の間違いじゃないか。
家主のヨセフもおかしいが、彼に従うチェルシーもそれはそれでおかしかった。
周りの価値観がおかしいのか、ソティルの価値観がおかしいのか、分からなくなってくる。
ソティルは何となくもやもやとして、何か言い返そうとしていたが、突然身体がふわっと抱きかかえられる。
横抱きされたソティルは、焦るように自分を抱きかかえるヨセフから顔を逸らす。
「本当だ、顔が苺みたいに赤いね。食べてしまいたくなるよ、とっても美味しそうだ」
「そういうの……人前で言わないでほしい」
「大丈夫、チェルシーはきちんと懐柔してあるから。チェルシー、お風呂の準備をありがとう。少し休んでからゆっくり浸かるよ。いつもより長風呂で、少し騒がしくなるかもしれないけれど、君は何も聞いてないし、何も感じとらないし、何も察知しない!」
にこやかに言い放ち、ソティルを連れてソファーへと戻る。
「お腹一杯なんだよね、ここでお話ししながら休憩しよう。さっきの続きをしてもしてもいいんだよ?」
俺も、この人に徐々に懐柔されていくのだろうか……となんとなくだが、確実にありえそうな実在する未来の事を、ソティルは考えた。
ヨセフの言動にいちいち考え込んでいては身も心も持たない、割り切ってしまおう……そう思っている時点で、もうすでに彼は懐柔されているのかもしれなかった。
蝋燭の灯が点々とついている浴室に着く。
ソティルの感覚では、まだ明かりをつけるような時間帯ではない。冬が終わりかける3月の末、夕食後の時間はまだ明るい。
春めいてくれば日が沈むのさえもっと遅くなる。この国は、冬場の夜が長く、温かくなれば昼が長くなる。
ただ、まだ明るい時間に明かりをつけるのは、富裕層であることのステイタスかもしれない。
この家で使われている蝋燭はおそらくすべてが高級なものだろう、教会で使用していた蜜蝋のような独特の匂いが無い。
点々と明かりが灯されていた廊下のものも、立派な燭台に灯されたものも、全てが高級蝋燭だ。まだ明るいのに火ををつけておくのは蝋燭の無駄だという、貧乏人の思考など一切無い。
ソティルは風呂場をさらによく見てみる、朝はそこまで気持ちの余裕が無かった、だが今は随分落ち着いてきたのでゆっくりと見回せた。
広々とした浴室には大きな陶器製の猫足バスタブがあるが、何故だか木製のバスタブもある。しかも、ふたつともお湯が張られている。
ソティルが不思議そうにそれを見ると、ヨセフが答えてくれる。
「洗う用と、浸かる用だよ」
もう返す言葉さえ見つからない。金持ちもここまで来ると、理解に苦しむ。
洗いながら湯船に浸かればいいのに、とソティルはヨセフの背中を見る。
肝心の家主は、なにやら棚の前で作業をしていた。
今朝、ヨセフが瓶に詰められているものを調合していたのを思い出す。
所狭しと並ぶ瓶が詰まった棚があり、その隣には作業台がある。
そして、作業台のもう一つとなりは、また棚があり、こちらには薄いピンク色の荒い粉のような、粒粒としたものが詰まった瓶が置いてある。
それに、いろんな種類の石鹸や液体せっけん、あまり実用的とは言えないパステルカラーの可愛らしいキャンドルや、青い小瓶が無数にある。
ヨセフは、その二つの棚と作業台に近づく。
左側の棚の瓶を手に取って選んでいる。
「今日はどれにしようかなー?んー……ホップと、それから、バレリアンは香りが強すぎるから今日は止めておこう、ネロリとカモミール……」
ヨセフは風呂に入る事が好きなようだ。
鼻歌を歌いながら、瓶やボディーソープを眺めて選んでいく。
「この瓶の中身は……ハーブか?」
瓶のひとつひとつに、様々な種類のドライハーブが入っている。
ラベルが貼ってあり昼にヨセフが書いた筆跡と同じような文字が書いてある。ハーブの種類を示しているのだろう。
「うん、ここにはお庭があってね。そこで育てた物なんだよ、こうして薬湯として使ったり、ハーブティーにしたり、料理に使うんだ」
「そっちの棚にある、薄いピンク色をしたものはなんだ?」
「当ててごらん? ヒントは……舐めてみたらすぐに分かるよ。棚から瓶を取り出すときは気を付けてね」
ヨセフが楽しそうにクイズを出して、瓶詰のハーブを作業台にいくつか置いて調合していく。
ソティルは薄いピンク色のものがある棚に近づいて、それを手に取ってみる。
大き目の瓶で少し重たかった。
だが、ソティルの手が届かない場所にあるわけではないので、気を付けてゆっくりと取り出せば問題なかった。
瓶のふたを開けて、じっと見てみる。
舐めてみたらすぐに分かる、と言われたが正体不明のものを舐めたくない。
ソティルは近づいてよく見た時点で、なんとなくそれの正体が分かったような気がした。
粒と粉の中間くらいの大きさで、匂いは無い。そしてこれは……口に入れても問題なく、バスタブのお湯の中に入れるものである。
「塩……か?」
「味見もせずに正解するとは素晴らしい。それは岩塩を砕いたものだよ。お湯に溶かすと温浴効果が上がる、料理にも使えるんだ」
「教会にあった本に、そんなことが書かれていた事を思い出したんだ。これは、元は大きな塊なんだよな?磨く前の宝石みたいに」
ヨセフはソティルから岩塩の瓶を貰って、適当な量を湯船にざらざらと入れて、ハーブの詰まった袋も入れた。
「そうだね、大自然の産物というわけだよ。それにしても、ソティルは勉強家だね、教会の孤児院に居た頃は本が好きだったのかな?」
「うん、落ち着ける書斎があったから、いろんな本を読んだ。あんまり子供たちが入り浸るような場所ではなかったから、静かに本が読めたんだ。皆と一緒に遊ぶのも好きだったけれど、一人で居るのも落ち着くんだ」
「そうなんだね、人と群れを成す事は社会的で生産的だけれど、一人で居る事も素敵な事だね。寂しいという意味の孤独では無くて、自分だけの意思で歩き出して学んでいく孤独……群れを成した人間に許された素晴らしい嗜好品だ」
そう言いながらヨセフはソティルの手を引いて、脱衣所に向かう。
孤独は嗜好品なのか……と、ソティルがその言葉を心の中に刻んでいると脱衣所にて頭上から声が降ってくる。
ヨセフが、全身を映せるほど大きな鏡の傍でとても重要な事を聞いてくる。
ここは、今朝、長い髪をばっさりと切って、服と靴を与えて貰って、これから生きていく為の名前を付けて貰った場所だ。
「さて、ソティル。君には二つの選択肢があるんだけど……自分で脱ぐ?それとも、僕が脱がしてあげる?」
究極の二択を迫られた、鏡に映ったソティルの横顔は神妙になる。
貧民街で身体を売っていた時はみすぼらしい格好をしていて、服は汚かった。
客の手にそれを触れさせるのは良くないか、と彼なりに気をきかせてさっさと自分で脱ぐ事が多かった。
早く脱げと乱暴に脱がせようとする客もいた、酒に酔い暴行に近いことをされそうになった時もあった、だが力任せに脱がせようとすれば質の悪いワンピースは簡単に破れてしまう。
服はこれ一枚しか持っていませんから! と情けを求めたことが多々ある。
だがそれは過去の話だ。
今現在、質の良い服を与えられ、自分を乱暴に扱わないであろうヨセフを前にして、どちらにすれば良いのか決めかねている。
「……どっちも、恥ずかしい」
小動物のような弱々しい声でそう言って、ソティルは自分の身体に両腕を回す。
鏡に映しだされるその姿は、まるで初夜に恥じらう純潔な処女のようだ。
点々と灯された小さな蝋燭の光と、愛くるしい少年の恥じらう表情、それを見つめる麗人、その全てを映す鏡。
その空間は天才的な画家の手によって、緻密に細密に描かれた、ポルノグラフィーのようだ。
性的な感情を煽るであろう絵画世界の主人公は戸惑う。
自分で服を脱げばその一部始終を見られるだろうし、脱がされるのだって同じ……否、脱がされるという行為が羞恥心を煽ってしまう。
ヨセフと出逢って、自分はおかしくなってしまったのだろうか。
裸を見られることなんて、仕事としてやっていた時はどうってことなかったのに、今は恐ろしく恥ずかしい。
「決めかねているようなら、僕が決めちゃうよ?うーん……今日は僕が脱がせよう」
「でも……」
ヨセフは屈んで、ヨセフの強張った両肩にそっと手を置く。
「僕は今から君の身体を隅々まで見て、触れるんだよ。それはお互いに服を脱がないとできない事なんだ。だからどうか、僕の手で脱がされて。それに……好意を持った人にプレゼントした服はね、脱がすために存在しているんだよ」
愛おしそうなアイスブルーの瞳に向かって、これ以上「恥ずかしい」とは言えなくなった。
どうせ裸になってあれこれとされるならば、もう、委ねてしまっても良いかもしれない。
「わかった……脱がせて。でも、俺は……チェルシーさんほど懐柔されないからな」
はいはい、と適当に笑って受け流し、ヨセフはソティルの服を脱がせていく。
髪に結んだリボンと、シャツに合わせたリボンタイを解く。
サスペンダーの留め具を外され、シャツのボタンをゆっくり外されると、鎖骨と痩せすぎているせいで浮き出た肋骨と、骨の上にある滑らかな肌が露出する。
その肌と、浮き出た骨と、ソティルの恥じらう表情を、ヨセフはじっくりと見ている。
「……肌の調子はいいかな?」
シャツを脱がされると、それは軽く畳まれて、脱衣所にある籠の中へと入れられた。
次に、ショートパンツに手がかかる。
「肌……」
脱がされながらも、ソティルは自分の細い腕や、薄い胴体や、顔などに意識を向ける。
ソティルの肌はきめ細やかですべすべとしている、浮き出た骨の上でなければ弾力もある。
「火傷の痕は全て治っているし、それどころか、あちこちに付いていた傷跡も治ってる。今気づいたけど……肌質が以前と違う、まるで、蛇が脱皮したみたいだ」
「それは良かったけど、僕は蛇の脱皮じゃなくて蛹が蝶々になったと言いたいね。高名な医者にして魔術師である僕が治したのだから、綺麗にならないはずがないんだよ」
「身体の調子だって、すごくいい……生まれ変わったみたいだ」
ここにきて冷静になり、初めて気付いた。
貧民街に居た頃には常に感じていた体調不良がどこにもない。寒さが痛みを生み、空腹が吐き気を生み、体中軋むような苦しみがあることなんて日常茶飯事だった。
「それは素晴らしい、手をかけた甲斐があったよ」
ソティルはヨセフの言葉に何か引っかかる所があったが、それを気にかけるほどの余裕はなくなる。もう身体を包んでくれる布は僅かになった。
薄手の長い靴下も脱がされて、そして、とうとう下着も脱がされる。
性器は恥じらいと興奮で立ち上がりそうになる。
ヨセフは情熱的な視線をソティルに向けながら、そっと鎖骨の間からへその辺りまで中指と人差し指を這わせる。
「んっ、あ……」
小さく、そして、甘く。
声が出てしまう。
身じろいでしまう。
ヨセフの指先のせいか、それともソティルの感度が良すぎるせいか。
ヨセフの瞳が、蝋燭の明かりを反射して輝いている。
「素晴らしいよ……とてもきめ細やかな絹のような肌だ。きめの細やかさ、滑らかさ、弾力、艶やかさ。そして、感度の良さ……ひとつの芸術作品のようだ。君の身体は、魂と同様、異例なほどに格別だね」
その声は、その表情は、その瞳は、苦しい旅路の果てにやっと見つけだす事の出来た宝物を前にした、旅人のようだった。
「さあ、ソティル。お風呂に入ろう。君の綺麗な身体をさらに綺麗にしてあげよう」
「……うん」
ソティルは俯いて、ヨセフの言葉を心の中で反芻していた。
自分の身体を芸術作品のようだと評して、魂も肉体も格別だと言った。
俺にそんな価値があるのだろうか、と不安に思う。
「あのさ、ヨセ――」
ソティルは顔を上げて、声を出したが、あまりの事に言葉を失った。
空いた口がふさがらない、とはまさしくこの事だ。
「なんだいソティル、随分と驚いた顔をしているね」
「……どうして、ヨセフは裸なんだ?」
「それは勿論、お風呂に入るためだよ」
ヨセフの発言は間違ってはいない、だが、間違っているのだ。
間違っているというより、おかしいのだ。
ソティルの目の前に、全裸の美青年が居る事が。
「俺、ヨセフから目を離していたんだ、ほんの数秒」
「うん」
「その間に、ジャケットと、ベストと、シャツと、ベルトとスラックスと……着てるもの全てを脱げるものなのか?」
「いいや、人間の一般的な能力では不可能だね、筋力で破り捨てて全裸になるならともかく。でも、僕は魔術師だろう? シャツを籠の中へ移動させたり、ジャケットをハンガーにかけておくのも一瞬でできる。手間が省けて便利だね」
この美青年の傍に居ると、摩訶不思議な事が山ほど起きるだろう。
徐々に慣れていかないと、慣れなければならないのだ、とソティルは心に決めながらヨセフに手を引かれてバスタブまで歩く。
今日一日、ヨセフと接してきて、ソティルは一つ思った事がある。
甲斐甲斐しいな……と。
ソティルの世話をする準備を整え、万全の態勢で、可愛がりながら実行する。
子供の面倒を見るのに慣れていて、その上で子供という存在が好きなのだろう。
そして、その行為をヨセフはとても楽しんで行っている。
「ねえ、ソティル」
リビングで甘く囁かれた通り、髪を洗った後にソティルは身体を洗われる。
ボディーソープの泡を纏った白い手が、ソティルの小さな手を包んで優しく洗い、その次に腕へと手を伸ばす。
ソティルにとっては水が勿体ないと思える、身体を洗う為のバスタブの中。ふたりで密着することになる。
「今、何を考えているの?」
脇の下をくすぐられると、鼻に抜けるような声と暑い吐息が漏れていく。
「……ん……ヨセフの、こと」
肩から首にかけて、手のひらが滑ってゆく。
首筋は人間にとっての急所であるからか、そこを何度も触れられるとゾクゾクしてしまう。耳朶にもやんわりと触れられてビクビクする。耳も神経が集中し、とても弱い所なのだ。
「おや、嬉しいな。どんなことを考えているのかな?」
鎖骨を撫でられた後、手のひらは胸に移動していく。
先程囁いたように、外側から円を描くように指先が迫ってくる。
ソティルは身体を強張らせていたが、ぬるりとした指先が桃の花のような色をした乳首に触れると、痺れるような快感が広がり始めた。
「あっ……んん……ヨセフは、こども……好き……なのか、と」
ぬるつく指が、ひっそりと膨らんだ乳首を優しく責めこんでいく。
大勢の男たちに触れられ、舐められ、吸われて、快感を覚えた乳首は、その優しい触れ方に普段なら感じないような感覚を生み出していた。
触れられていると、喜びを感じてしまう。
「子供も好きだよ、男の子も、女の子もね」
息を荒くするソティルの顔を、ヨセフがじっと見つめている。
そんなに見つめないでくれ、恥ずかしいから。
そう言いたいのに、もっと見つめて欲しいと薄く思い始める。
「ふぁ……あ、ああ……お……おれっ、いがいの、子供、とも……するの?こういう、こと」
指先は、本当にやさしい。
輪をくるくるとなぞって、擦り、ゆっくりと小さな突起に指をかけて繊細な動きで撫でる。
やさしい指先で乳首を擦られると、堪らなく気持ちよくなる。
ソティルが瞳をぎゅっと瞑ると、突起を内側に押し込むように刺激される。
表面への刺激だけでなく、内側まで刺激されて、じわじわと身体が官能に支配されていく。
押し潰す刺激も、とても柔らかく優しい、暴力とかけ離れた位置にある触れ方だった。
やがて、指先は胸から離れていく。
それを、開いた目で見つめて、名残惜しいと思ってしまう自分が居て、浅ましいと思った。
「そういう時期もあったよ、いろんな子と、いろんな経験をしたんだ。子供だけではないよ、大人でもね、勿論性別関係なく。男性でも女性でも、性別を決めずに生きようとしている人でも」
性愛の対象が子供から大人までと幅広く、そして、バイセクシャルだと聞いても、ソティルは驚かなかった。
手慣れた触り方や、接し方、相手へ快感を与える為のアプローチの全てが、沢山の人に触れた経験を物語っていた。
「ふふ、嫉妬しちゃうかな?今まで、僕としてきた人たちに」
力の抜け始めた身体がヨセフの腕に抱かれる。水の音と荒い呼吸音が絶え間なく響いてゆく。肉の付いていないお腹と、骨が浮き出た脇腹をくすぐるように撫でられる。
肌の上に、確かな快感が流れていく。
「ん……いや……そん、な……ことは」
そんなことはない、と断言したかったが。この手が何人もの人の肌や、その人達の感度や快感の得方を知っていると思うと、何故か複雑な気持ちになった。
「そんなことはない?そうかい?でも、僕は、ソティルの事を今まで使い捨ての玩具みたいに扱ってきた人は地獄に落ちてしまっても良いと思うよ」
笑顔なのに目は笑っていなかった。
その瞳の色をよく観察したかったが、ふいに抱きつかれて密着する。
ヨセフの身体は少しだけひんやりとしている、いや、ソティルの身体が快感と興奮と羞恥で火照っているのだ。
「えっ……ヨセ、フ……んんっあ!!」
ぞくぞくぞく、と背筋に快感が流れ、震える身体が湯を波立たせる。
発された声は甘く上ずって、背中を丸めてヨセフにしがみ付いてしまう。
ヨセフが指先で、すーっと背筋を撫でたのだ。
その後、背中を優しく撫でられながらも、ヨセフの言葉が続いていく。
背中も十分に神経が張り巡らされた性感帯なのだと、ソティルはその時初めて気付いた。
客のほとんどが背中など見向きもしなかったのに、ヨセフはそこを手のひらで念入りに愛撫していく。
「僕は、僕が気に入っている人や物を傷つける存在には容赦しないからね」
呼吸が乱れ、貧血ではない眩暈がする。
ヨセフはソティルから身を離し、彼の身体を支えている。
あの笑みを湛えていない瞳はもう無かったが、声は少しだけ残酷さを滲ませていた。
「もし、君の事を忌子だと罵って石を投げる愚か者が居たら。僕はその愚か者の頭上に、巨大な岩を……いいや、星を墜としてやろう」
ヨセフはソティルの身体を支えながら、木製バスタブから上げる。
そして、バスタブへと入るための踏み台に腰かけさせた。
自分も膝をついてソティルの足を洗っていく。しなやかかつ柔らかな太腿の内側に、手が這う。足を隅々まで洗うためには、両足を開かなくてはならない。
立ち上がったものが、すぐ近くにあるのに、まだ触れられない。
そのじれったさと、足を広げて座る事の羞恥で顔から火が出そうだった。
「あ………っ……ん、星、は……さすがに」
脂肪も筋肉もあまりついていないが、しなやかな足の触り心地を楽しむかのように掌が滑って行く。爪先の五本指、踵、足の裏。
それらも、丁寧な手つきで洗われてから、足のツボを押すように揉みこまれる。
足が疲れている事を見抜かれたのかもしれない、ヨセフは医者ゆえに人体に詳しいのだから。
「僕はね、人を傷つけて良いと思っている人間は、人に傷つけられる覚悟を持っていないといけないと思うんだ。昔、愚か者だった僕はそれを知らなかったけれど、今はそう思うよ。
僕が星を地上へと墜落させた後に、僕の脳天めがけて天にあるモノ全てが落ちてきたとしても、何も文句は言えないよ」
過激ではあるが、決して間違った考え方ではないとソティルは思った。
自分も、同じ考えで居るからだ。
覚悟を持たずに人を傷つけ、自分だけは安全な場所で生きていけると思い込んでいる人間は、数多くいるだろう。
「ソティル、君は……決して自分の意思で人を傷つけようとする人間ではないだろうね」
ヨセフは手を止めて、ソティルを見つめた。
ソティルはその瞳に答える。
「……俺は、貧民街で身体を売る以外にも、盗むことで生きてきたんだ。脅して物をせびる事もあった、この赤い目で呪ってやるぞって」
少しずつ暗くなる室内に、先程までは甘かった声が響いた。
「生きていく為には仕方のない事だと、自分に言い聞かせて、心の中では謝っていた。けれど、許されるはずなんてないんだ。ヨセフの言う通り、自分の行いは、自分に帰って来るんだ……」
盗み、奪うものは。盗み、奪われる。
ソティルは自分のしたことを誰かにやり返されても、それを当然の事だと思った。
自分に、相手を非難できる権利は無い。
「……そうだね、ソティル。でも」
ヨセフは、その話を聞いた後、真剣な面持ちで“ソティルの大切な所”に手を伸ばした。
まるで、愛撫するような手つきで、ソティルをさらに追い詰めていく。
根元から、ゆっくりと扱いて、幼い丸みもやわやわと撫でて。
先端は、人差し指でやさしく撫でられる、力を籠めれば割れてしまう繊細なガラス細工に触れるように。
まだ、自分では排泄以外に使わない、今後貯蔵されていく種もまだ出せないそこは、敏感に反応してしまう。精の種子をまだ出せない身体だからこそ味わえる快感が、ヨセフの念入りで丁寧な指で全身に広がっていく。
「んんんっ……あ、ああっ、ふーっ、あ……ヨセフ……んん、あらう、だけっ……やめっ…あらう、だけだ!」
快感でとろんとした顔で止めるように言っても、全く説得力が無いのだが、ヨセフは慈悲深い表情を浮かべて手を離した。
「君に、盗みや脅しや、体を売る事をさせたのは、君自身じゃあないだろう?
君を、君の大切な人たちが亡くなる運命に導いた存在であり、環境そのものであり、世界そのもの」
荒くなった呼吸をしながら、ソティルは頷く。
快感にとろけた瞳をしていても、働くべき瞬間に頭は働いてくれる。
「うん、そう……そうだよ、俺は世界に、神に嫌われているんだ。もう、そんな存在も、自分も、他人も、明日も、信じないと、決めた……決めた、のに」
快感の熱を帯びながらも、どこか淡々とした声でそう言った。
感情をむやみに波立たせないようにする、そうすれば、苦痛は最小限ですむからだ。
「僕みたいに、優しい人に出逢って、地獄みたいな場所から抜け出して……信じてもいいかなって、揺らいでいるのかな?」
「……ヨセフも、チェルシーさんもレオンハルトさんも、出逢う人すべてが優しくて、怖くなる。このまま幸せに包まれて暮らせたとして……いつか、自分のしてきたことが、反射がやってきたら」
信じてきたものが、消えてしまったら。その言葉を飲み込んで、ソティルは瞳を潤ませた。
ヨセフは風呂桶に湯を汲んで、ソティルの手と足首から下だけに付着した泡を流した。
小さな手を取って、語りかける。
「ソティル、幸せを信じなくても良いんだよ。怖くても良いんだよ。時間をかけて、人から与えられる好意と共に、少しずつ受け取ってくれるといい」
触れ合った指が、その声が、ヨセフの真摯さを伝えてくれる。
「でも、これだけは伝えておこう。僕は、君が地獄の奥底に戻ってしまったとしても、見捨てない。必ずそこから救い出す。僕は、この世界に終焉が訪れようと、君の傍に居たい」
その言葉は嘘には聞こえなかった、真実をはぐらかしているようにも聞こえなかった。
ヨセフの、心の奥底から出てきた、本心からの言葉なのだと思った。
「ありがとう……俺に、時間を与えてほしい」
体内に快感が蠢く中、ソティルはヨセフの真剣な言葉と眼差しに応えた。
ヨセフは微笑を返し、ソティルの両手を軽く握った。
「さあ、立って。一番大事な所を、今から洗おうね。とっても、気持ち良くしてあげる」
「……洗うだけ、だからな」
とろける様なアイスブルーの瞳に見つめられ、ソティルの内側の官能がふつふつと泡立つ。
「分かっているよ。でも……気が変わったら、いつでも声をかけてね」
ヨセフの一言で、意思が揺らぎそうになった。
ソティルは促されて、バスタブのふちをぎゅっと握って、お尻をヨセフの方へ突き出した。
屈辱的で羞恥心が煽られるその格好を、ヨセフは後ろから舐めまわすように見ていた。
「もう少し、足を広げられるかい?うん、そこで大丈夫だよ。良い子だね……ソティル。とても素敵な光景だよ、可愛いお尻だ」
「……っ…見ていないで早く」
ソティルは目を瞑って、耐えがたい感覚に耐えようとする。
「ふふふ、分かったよ。早くしてほしいんだね。僕の手が、気持ちいいから」
手のひらが、ゆっくりとソティルのお尻を撫で上げる。
ぞくん、とした快感に足が震えてしまう。
「はーっ……あ、ああ……ん、ああ」
浴室に響く声は艶めかしい。
壁に当たって反響し、自分の声が自分の中へと戻っていくような感覚がする。
快感を逃がすことができず、どこまでも追い求めてしまいそうになる。
ヨセフは、興奮を抑えきれない声で聞いてくる。
「ソティル、気持ちいいかい?」
「んっ……あ……きもち、いい……」
気持ち良さから逃げようとするように、身体がくねくねと動く。
その動きさえもが、艶めかしく、見る者の性的な欲望を煽らせてしまう。
「逃げちゃあだめだよ、ソティル。お尻の次は……どこを洗うんだっけ?」
「は……あ、ぅ……あな……を、おしり……のあなを……」
欲情しきって震えた声だった。
ヨセフはソティルの小さく引き締まったお尻を両手で割ってその奥を見つめる。
「ソティルのここは、綺麗な色だね。初夏の庭に咲く薔薇の色をしているよ。ヒクヒクしてる……可愛い」
「はっ…はやく……あらってっ……」
息を荒くして、バスタブのふちをぎゅっと更に強く握る。
後から聞こえていた声が、いつの間にか耳元から聞こえるようになった。
「ねえ、ソティル。気は変わらないかな?」
ソティルの小さな身体の上から、ヨセフは己の身体を密着させている。
彼は、そっとローズピンクの蕾を撫でていく。
とても、丁寧に、優しく。
この蕾が、どうか、咲きますようにと願いを込めているかのような、愛撫。
皺を伸ばすような念入りな優しい愛撫は、強烈な快感を与えてくる。
「ひぅっ……あ、あああ……!!」
「ソティルの敏感なここは、洗うだけでいいのかな?」
蜂蜜を垂らされたように甘い囁きが、ソティルの頭の中に、身体の奥底に響く。
「ずっとヒクヒクしているんだよ。僕の指がとても気持ちいいんだよね。こうやって、洗う為だけに撫でて、それで終わりにしちゃうの? 僕は、ソティルのことを、もっと、もっと、気持ち良くしてあげたいんだ」
ソティルは奥歯を噛みしめて、快感で滲んだ涙を瞬きで散らした。
「……んんっ、あらう、だけ…っ…きょうは、しないっ……!」
ヨセフの方をちらりと向くと、彼は少しだけ残念そうだったが、満更でもないという感情を瞳に宿していた。
「ソティルは本当に意志が強いね、凄いな……」
指先が離れていく、とても名残惜しい気持ちになった。
だが、しない。しないと決めた以上それを貫きたい。
自分に、まだ受け入れられるだけの器が無いうちは、ヨセフからの快感と特別な感情は受け止めきれないからだ。
快感でまだまともに動けない身体の泡が、ヨセフの手によって流されていく。
泡を全て流したら、ヨセフに抱きかかえられて陶器製の猫足バスタブへと運ばれる。
快感でふわふわとしつつも、やはり……バスタブが2つある事は理解できない事だと思った。
「先に温まっていてね、僕も髪と身体を洗うから」
「うん……」
「肩まで浸かってね、それから、浴槽の中で溺れないようにね、ああ、それと……」
ヨセフがにこにことしながら棚から黄色いものを持ってきた。
「はい、アヒルちゃん。押すと音が鳴るんだ」
なぜか黄色をした一羽の手乗りアヒルは、水面に置かれる。
なんとも気の抜けた表情をしている。
ハーブの香りがする湯船にぷかぷかと浮かんで揺れるそれを、ソティルは手に取って、親指と人差し指で押してみる。
――ぴい、ぷう。
なんとも間の抜けた高音が響いた。
こんなおもちゃで遊ぶような年頃ではないんだけれど……と強く思ったが、ソティルはぼんやりと湯船に浸かりながらも、時折、間の抜けたアヒルの鳴き声を鳴らした。
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